いだてん 第30回「黄金狂時代」

副題はチャップリンの映画だっけ? そういえばヒトラーの話ちょっと出てたな。

ロサンゼルスオリンピック編。こうやってドラマを見ているだけでストックホルム(日本初参加)→ベルリン(中止)→アントワープ第一次世界大戦後)→パリ(四三引退)→アムステルダム人見絹枝物語)→ロサンゼルス(水泳大国日本)と大まかなオリンピック史がちゃんと脳内で定着するからすごいな~。

水泳日本現地組の腹痛ドタバタ劇は安定のクドカン節という感じで怒濤の勢いで全てをなぎ倒していく感じに心地良く飲み込まれた。人情派だったはずの鶴さんがまーちゃんもびっくりのメダルの鬼に変貌してるのとか、一見コメディなんだけど、まーちゃんに影響されて&現地の雰囲気に飲まれて&なまじちょっと実現可能性を見てしまった結果、必要以上に結果を求めて突き進んじゃうみたいなの、戦争に突き進む非日常に飲み込まれていく一般市民の縮図みたいで笑えない部分も。

実感放送の話。バカバカしすぎるけど実話なんだろうな~。こんなとこで創作入れる必要無いもんな。陸上短距離で実際には10秒程度の競技が実感放送だと一分以上になるとか、めちゃくちゃありそうなエピソードで笑ってしまう。おそらく水桶でバシャバシャ効果音出したりするのも実話だよな。こういう本人たちが大真面目であるがゆえに面白いエピソードはいいなぁ…心穏やかに楽しめる。

オリンピックの日本招致の話。社交辞令?の「応援するよ!」って言葉にホイホイ乗せられて、いざ誘致合戦の場に乗り込んでいったら周回遅れ感たっぷりというシーン、すごい「日本っぽい」エピソード過ぎて笑えない。なんかこう、微妙にいろいろズレてる感じとか場の空気を読む能力が高いくせに最終的に読めない方向に突き進む感じとか、重いものを飲み込まされたようなゲンナリ感。これを来年オリンピックを開くというタイミングで見せてくるの、かなり(制作側が)強メンタルというかなんというか。オリンピックに向けたプロパガンダ大河かと思った時期もありました(いや、クドカン脚本という時点でプロパガンダは無いなとは思ったけどさ)…。

この時点ではローマが最有力候補であること、ヒトラーがオリンピック嫌いなのでベルリンが流れそうなこと、その結果ローマが繰り上がったら1940大会の日本開催も夢ではないこと、が嘉納先生のほんのちょっとの会話で説明される部分、すごい上手かった。こんなに近代世界史に疎い私でもすんなり事情が理解出来るというのがすごい。どれだけセリフが洗練されてるかってことだよな~。

オリンピックで勝ちまくった結果「一種目も失うな」が呪いのように選手にのしかかるの、なんて言うか人間の自己肯定感に対する麻薬のような依存心をまざまざと感じるようでかなりしんどい。今回のサブタイはこの状況を示しているという面もあるのか。勝つことが嬉しいことではなく義務になっていくの、冷静に考えたらかなりバカバカしいんだけど、そういう思考から逃れられないという状況はあるあるなんだよなぁ。あと、参加することに意義のあったはずのオリンピックが「勝つこと」にシフトしていく理由が「国民感情を上向かせること」であるのが心底恐ろしい。怖いよ~なんか全然過去の話に感じられなくて怖いよ~;;

今週の孝蔵。質屋で流れないように毎月お金を払ってくれている万朝さんに涙。そしてその万朝さんの噺を聞きに行って、楽しそうな妻の姿に奮起する孝蔵…だけど私は知ってるんだ。これは長続きしないヤツ。でもそういう生き方もいいのかもしれない。別に「心を入れ替えて努力家になりましためでたしめでたし」じゃない物語が当然のようにあり得ることを、孝蔵の生き方は私に教えてくれる。

嘉納先生の「柔道」に対する見解。「これまで誰も聞いてこなかったから話さなかった」という嘉納先生の言葉はまぁ間違いなく言い訳だと思うけど、まーちゃんがそういう「本音」を明かしやすい人間だというのはあるんだろうなと思う。まーちゃんが良くも悪くもあけっぴろげで正直かつ他人に対してたいした興味がない(ように見える)というのは秘密を明かす相手が多い理由の一つなのかもしれない。まーちゃんが面白いのは、まーちゃんがスクープを期待して下心丸出しでバー「ローズ」に入り浸ったりするとことか超俗人なのに、妙に肝心なところで功名心が引っ込む(からこそ偉い人に可愛がられる)ところだよな。これも多分フラだね、フラ。

いだてん 第29回「夢のカリフォルニア」

重ッ! 政治とスポーツどうすんのかなぁ~とか思った翌週の内容がコレって激重ッ!!! そして重さがさすがのクドカンとでも言おうか、もうどうしようもないやりきれない重さMAXで震える…これだから…これだから軽い気持ちで見られないんだよ…。

今回、前半は徹底的にまーちゃんの共感されにくさ(有り体に言えばウザさ)を煽るようなエピソードがてんこ盛りで、視聴者的なヘイトがたまりにたまったところで鶴さん(松澤一鶴)に対して「日本を明るくしたい」という目的をこっそりひっそりちょっと恥ずかしそうに語るという構成が上手いしズルい。でもズルいなぁ~って思わせつつも、このエピソードでまーちゃんを見直したりしないし、ウザさが全然解消されないところがさらに上手ズルい。完全に脚本に手玉に取られてるよなと思うのはこんな時。そして私が良質だなぁって思う脚本ってこの「手玉に取られてる感あるのに面白くてたまらない」というヤツなので、やっぱりクドカンさんは天才だと思う。私にとっての、という意味だけど。

勝っちゃん(高石勝男)のノンプレイングキャプテン案件。タイムが伸びない選手を「有終の美」的な意味合いで選手に選ぶのはなんか違うと思う派なので、まーちゃんの「タイムこそ全て」な方針は間違っていないと感じるし、多分みんなそれはわかっているのだろうけど、要は「まーちゃんの言い方やり方が納得行かない」ってことなんだろうな。思いっきり感情論であり、肝心のまーちゃんがそこをみんなに説明する気がさらさら無いので、このすれ違いは解消するのが難しいだろうな~。

若手選手が「高石さんを選手に」って鶴さんにお願いするシーン。純粋に勝っちゃんを思いやっているように見えて実は優越感が垣間見えるお願いになってしまっているという事実を突きつけてくる演出が痛い。この時、宮崎君たちには本当に悪気が無いんだよな。心から高石選手を尊敬していて、だからこそ何とか有終の美を飾って欲しくて「自分たちには次があるから」と言ってしまう、その残酷さが結構メンタルを抉ってくる。明らかに自分より実力がある(伸び盛りの)後輩に同情されて配慮されるということのしんどさを、彼らはまだ想像すら出来ないのだよな。それが「まだ子供」という言葉に集約される。同時にそれは鶴田選手や勝っちゃんらベテラン勢の「そこに居るだけで戦力」の意味をまざまざと実感させてくれる。上手い。

プールの守衛さんが日本人に対して融通のきかない対応で嫌がらせ(というほどでもない)をしていたのに、真夜中に泳ぐ勝っちゃんに気付いていながら何も言わず、むしろ選考会で応援してる姿に涙する。アメリカ人として日本選手に対する差別感情はあれど、有色人種として共感する部分もあるという複雑さ。アメリカという国の一面がさり気なく描き出されていて、スッキリと割り切れない人間の感情というものを見せつけられる。

選手選考会。勝っちゃんにレース前に思わず声をかけてしまう宮崎君は、おそらく本当に良い子なんだよなぁ。誰もが高石選手のこれまでの貢献度を熟知しており、どれだけ今回の選考会が不本意かを理解しており、だからこそ心から応援してしまう。奇跡的に良いタイムを出して代表選手になって欲しいと願ってしまう。「宮崎も応援しろ」と最初こそ怒鳴っていたまーちゃんですら最終的には戦友である勝っちゃんに無心で声援を送ってしまう。けれど奇跡は起きず、タイムは伸びない。タイム順に選手が選ばれ、自分の名前の無いまま「以上」と言われた瞬間に拍手する勝っちゃんの姿に寂しさと清々しさの両方が垣間見えて切なく胸を打つ。

ベテランスポーツ選手の葛藤という意味でもとても素晴らしい完成度の高いシーンてんこ盛りだったのだけど、その中にまーちゃんの欠点、至らなさ、危うさみたいなのがキッチリ浮き彫りになっていたのもスゴかった。今回鶴さんに話す時にたまたま勝っちゃんにも聞こえていたから納得されたけど、表から見えるまーちゃんの態度は反発を招いて選手のメンタルをダメにする可能性が高いし、選手全体の士気にも影響しかねなかったし。まーちゃん自身が他人の理解を得たい欲求が低い(ように見える)せいで、他人からの共感を得にくくて、集団の和(特に日本人はこれを重視しがち)を乱す要因になりかねないというのは、結構明確な弱点だよな。今後この強引さが不協和音を増していくシーンもあったりするのだろうか。

面白いのは、まーちゃん自身は自分が共感されることには無頓着だけど、共感の大事さはこの上なく理解してるっぽいところなんだよな。現在の日本が社会的に暗い雰囲気に包まれているからこそ、スポーツで明るい話題を提供したいというのは、日本人の共感性を無意識に察知しているからだと思うのだけど、その発露の方向性が完全にナショナリズム一直線なのがまた危ういというか悩ましいというか…。明るい話題の内容が「アメリカ恐るるに足らず」であることの恐ろしさよ。スポーツ振興のために政治を利用する方便として「スポーツを政治に利用したらいい」と言い出したはずなのに、結果的にまさしくスポーツが政治に利用され過ぎる土壌が着々と出来つつあって、これが人間の業なのか…と暗澹たる気持ちになる。まーちゃんほどの頭の良さでも、この現状の歪さを認識出来ないというのも怖いよな。

まーちゃんの無神経さと不遜な態度は(史実という面も大きいのだろうけど)脚本上の必要悪として描かれているのかなぁ。まぁそうなんだろうなぁ。日系二世の女の子に「おい女給」と呼びつけながらも、日本人が受けているであろう迫害についておそらくちゃんと把握しているんだろうなというのは「君は二世かね?」と呼びかける(まーちゃんにしては)穏やかな声色からもなんとなく察せられる。でもその気遣い(?)の方向性が「勝つことで日本人としての自己肯定感を高めよう」なの、どう考えてもヤバさしか感じなくて、なんかこう胸がザワザワする。まーちゃんの合理的な考え方に共感してしまう自分と、極端過ぎて絶対肯定したくない自分との間で揺れる。こういう主人公に対する共感を思いっきり拒絶してる作りが、なんとも据わりが悪いんだよな。どこまでも落ちついて見せてはくれないドラマだなぁ。

女子選手が親善大使としてロビー活動要員扱いな件。オリンピックの日本誘致という壮大な(…)目的の戦略としては間違っていないと思う一方で、それでいいのか…という思いも拭えない。正しいとか間違っているとかではなく、もうどうしようもなくそういう側面が出てきてしまうという事実がなんともやりきれない。嘉納先生が「ただ参加することに意義がある」と言っていたオリンピックは、得体の知れない何かを取り込みながらどんどん大きくなっていってるのだなぁ…怖い。

今週の孝蔵。なめくじ!!

いだてん 第28回「走れ大地を」

スポーツと政治編の序章…かなぁ。時代が動いている!!(それもあまり良くない方向に!)というのはわかるんだけど、まーちゃんがあのキャラで異次元方向に突き抜けているので、あまり時代のきな臭さや切実さを感じないというか、感じてもまーちゃんの勢いに押し流されてあまり印象に残らなかった気がする。ちょっと注意散漫で見てたからかもしれないけど…いつもいつも万難を排してテレビにかじりついて見られる日ばかりじゃないから…(言い訳)

政治部の記者なのに政治にほとんど興味が無く、頭の中は水泳でいっぱいで、なのになぜか高橋是清からスクープをもらったりするまーちゃん。むしろまーちゃんが水泳にしか興味が無いからこそ高橋是清は面白がってネタをくれたりしてそう。動物園で珍獣にエサをあげたくなる心理みたいなものだろうか。そしてせっかく掴んだネタを「こんな記事つまらない」と書かないまーちゃん。なかなか興味深いキャラだとは思うものの、正直いまだにまーちゃんがどういう人物なのか掴みかねている。とてつもなく頭がいいということはわかるんだけど、それを水泳競技の発展という方向に使っているせいで、頭の良さがわかりやすい方向に発露されないというか…いや、これは私自身が水泳とかオリンピックとかスポーツ振興とかに興味がないせいで、発露されていても気付かないだけかも?

まーちゃんは四三のように自分で競技をして勝とうとするわけではない。どちらかというと「日本の水泳を勝たせようとする人」だ。スポーツ振興を推進し続ける嘉納治五郎が理想論で「勝っても負けても」というのとも違う。まーちゃんははっきりと「勝たなきゃ意味が無い」と言う。でもまーちゃんの「勝たなきゃ意味がない」が本心なのか詭弁なのかはわからない。とにかく胸の内を読みにくい人物描写なので、何を考えているかさっぱりわからず、ただひたすらに受け身で情報を受け取るしかない状況なので、見ていてちょっと疲れる。まだ脳がまーちゃんに慣れてないんだろうな。いずれはオリンピック招致という目的に帰結していくのだとは思うけど、今のまーちゃんの目指すところがいまいちピンとこないのは、第二部を見ていて「めっちゃ面白いけどちょっとわかりにくい」と感じる原因の一つかなぁと思う。エピソードとか演技とか一つ一つの要素はめちゃめちゃ面白いんだけど、それ全体でどこを目指しているのかがわかりにくいというか…。

日本人女性初の金メダリストの前畑秀子さん。人見絹枝さんが初登場時からどことなく悲劇的で悲壮感のある描写だったのに対し、前畑さんのシーンは(上白石萌歌さんの演技も後押しして)どこもほんわかとしているのが印象的。もちろん前畑さんにも今後いろいろなプレッシャーが押し寄せるのだろうけど、いろいろな切り口でオリンピックの光と影を描くためには、その当事者たちのバリエーションも多様性がないと描き切れないということなのかなぁ。松澤監督に指導されている間中、監督がピンボケで鶴田さんにフォーカスが合ってた演出、めっちゃ笑った。これからの前畑さんのエピソードに期待。

第29代内閣総理大臣犬養毅五・一五事件で暗殺という歴史的事実は散々暗記したので覚えているけれど、五・一五事件というのが何だったのかは全く理解できていない人間にとってはちょっと背景がわかりにくかったかなぁ。政治色を極力排除して描いているように見えたけど、これがそういう脚本なのか、演出の過程でそうなったのか、ちょっと読めない。海軍の青年将校が何を目的に総理大臣襲撃などという暴挙に出たのか。それがこれまでの政治と今後の政治をどう変えたのか。いだてんはオリンピック史大河だから政治史には踏み込まないという方針はなんとなく感じていたけれど、やっぱりもう少し政治的な背景に触れて欲しかったという気持ちはどうしてもある。

犬養毅が「話せばわかる」という対話路線だったことはわかったし、海軍将校がそれに不満を持っていたのだろうという想像はつくけど、具体的に暗殺されなければならない理由などはドラマを見ている限りではわからないままなんだよなぁ。ドラマ全体でも「だんだん軍部が力を付けて来て、それに睨まれると新聞も危うい」という雰囲気しか描かれておらず、この時代誰がどんな未来を見ていたのかは全然わからない。ただまぁ、そういう込み入った話を描くにはそれ専門でドラマを作れって話になって、結局なんとなくの雰囲気政治的ドラマでお茶を濁すしかないのかなぁ。ちょっと残念だった。

まーちゃんが犬養毅暗殺に大きなショックを受けているのはわかったけど、どういう風にショックなのかはちょっとはっきりとは確信できない。これが意図的にぼかされているのか(いずれ明確になるのか)あるいは政治色をあまり入れないようにするためなのかがわからなくてちょっとモヤモヤする。高橋是清の話を「つまんないよね」って記事にしないあたり、政治に興味無いとも見えるんだけど、政治に興味ない人がスポーツを政治に利用しろって言うかなぁ?という疑問も。今後に注目したい。

いだてん 第27話「替り目」

金栗さん退場の回。もう四三は出なくなるのかなぁ。50年後にストックホルムでゴールテープ切るのは映像映えしそうなエピソードなのでやりそうな気はするけど、それ以外は前半のまーちゃん程度のワンカット出場になるのかもしれない。

実次兄の死。いくら父親代わりと言ってもそんな年じゃないよね!?と思ったら急性肺炎…普段元気な人ほどぽっくり逝くのよな…。これまでの回想シーンが涙無くしては見られない。そして改めて見ると最初の頃の若々しい雰囲気にびっくりする。衣装やメイクの力も大きいと思うけど、やっぱり自然と年を重ねる演技あってこそだよなぁ。そして幾江さんの言葉もさぁ…。「最期までお前のために頭を下げて回ってた兄上のそばについていてやれ」って…号泣。私こういうのに本当に弱くて、特に「もう会えない相手が、なんの見返りも求めずどれほど自分のことを想ってくれていたかを自覚する」というシチュエーションにめっぽう弱くて、今回はそれを第三者から指摘されるという役満揃ってて泣くしかない。その幾江さんも足腰が弱るほどに年老いているのがわかるシーンになっていて、四三が引退(熊本への帰省)を決意することへの説得力がハンパなかった。

今週の孝蔵。ここまで来るとどれだけ魅力的なクズを描けるかという挑戦と見るべきだと覚悟を決めた。実際には感謝している、言葉にはしないけどすまないと思っている、なんていうシチュエーションに1ミクロンほども心を動かされない自分にとってはどこまでいっても孝蔵はアウトなんだけど、おりんさんにとっては惚れた相手なわけで、そうなったら腹を括るしかない…んだろうなぁ。でもさすがにエピソードが酷すぎるからか、今回「いないと思って本音を零したら本人に聞かれた」というお約束エピソードで中和してて苦笑しつつやっぱり面白かった。このシーンで「高座に上がって欲しいですよ」とぽつりと呟くおりんさん美しかったなぁ…。大根監督はこういうライティング演出好きよね。これで孝蔵が心を入れ替えたり…しなそう。むしろここまで来たらクズを極めて突き抜けて欲しい。

とにかくまーちゃんの騒がしさに圧倒される。あの早口&ハイテンションの演技をひたすら続ける阿部サダヲさんに脱帽。あらゆる相手に傍若無人に好き勝手言いまくるんだけど、早口過ぎて言ってる内容が無礼だと気付いた時には話題が変わっていて怒るに怒れない、みたいな相手の反応が面白すぎる。まーちゃんが戦略としてこういうやり方してるなら強かだけど、多分これはただの素なんだろうなぁ。そしてオリンピック参加費を国に出させるために「これからはスポーツを政治に利用すればいい」って言い切っちゃうの、すげー。絶対何も考えていない(というかお金を出させることが最優先で後は全部口からでまかせ)なんだと思うけど、これが後々響いてくるのかそうでないのか。スポーツと政治についてはどこまでツッコんで描くのかとても気になる…。

最後に四三のことを「金栗さんは特別だ」って言ってたとこ、あそこは私的にはまーちゃんらしくない言葉というか取って付けたような違和感あるなと思ったけど、多分最後の四三の「さよなら」に続けるための前振りと、きかれていないと思って本音を言ったら聞かれていたという孝蔵のパターンの繰り返しの意味があったんだろうなぁと推測する。あるいはここまできて初めて見せたまーちゃんの「可愛げ」ってやつなんだろうか。そう言えば今回シレッと上司に「結婚したいから相手紹介して」って言ってたけど、また見ていて微妙な気持ちになる夫婦が出来るのだろうか…。おりんさんといいまだ見ぬまーちゃんの妻といい、規格外の結婚相手は大変だよなぁ…。

いだてん 第26回「明日なき暴走」

人見絹枝物語。ドラマとしての完成度は本当に素晴らしかった。菅井小春さんの演技の「人見絹枝さんって本当にこういう人だったんじゃないか」と思わせるパワーに圧倒されたし、ライティングや画面構成、小気味よいセリフの間などの演出に何度も見入ったし、笑いと苦みの入り混じる絶妙な宮藤官九郎節に心底打ちのめされた。でも、その内容がさぁ…! 描かれた人見絹枝さんの壮絶な人生がさぁ…! こうやってドラマのたった一話として消費されてしまっていいんだろうかとか、こんな悲しくてやるせない話を「感動した」とか語っていいんだろうかとか、今の時代はこの時から少しでも前に進んでいると言えるのだろうかとか、モヤモヤする気持ちを整理できない。

人見絹枝さんのことは、有森裕子さんの銀メダルフィーバーの時に「人見絹枝以来の日本女子陸上のメダル」と散々言われていた(気がする)ので、その時名前を知った。でも、当時それほど陸上に興味がなく、そういう名前の人がいたくらいの認識しかなかった。今回その人生が女子スポーツ振興の人柱そのものであったことを知って愕然とした。人間とはかくも学習能力のない生き物であるのか…。現在もきっと同じようにそこかしこに人柱をたてているのであろうことに絶望する。

河野に象徴される「国民」は、みんながみんな「人見絹枝」に期待する。各々がそりゃーもう勝手に「日本の希望」とかを託して期待する。「人見絹枝は負けない」という言葉の「人見絹枝」が彼女個人ではなくそれぞれの思い描く「日本人を象徴する何か」に差し替わっていることに恐怖しかない。そういう人たちのために何で彼女があんなに苦しまなければならなかったのか。そして多分そういう風潮は今も変わらず続いていて、そのことを多分このドラマは訴えているのだと思うんだけど、強いメッセージ性というよりは寓意というか微弱な電波くらいの発信性のような気もして、妄想電波を受け取っているかのような戸惑いを覚えている。この胸のモヤモヤをどうしたらいいんだ…。

国民性なのか人間という生き物の原罪なのか。なぜ我々は他人に勝手に思い入れ、そして勝手に裏切られたと傷つき、やがて勝手に攻撃するようになるのか。自分の感情を守ることが最優先で、相手に感情があることを徹底的に無視するその姿勢は今も変わらずむしろ増長しているようにも見えるし、自分にもそういう「人間の性質」があるのだと突き付けられているようで抉られる。こういうとこ、このドラマは本当に容赦ないと思う。

有森裕子さんのメダルが「人見絹枝以来」だったことは、有森さんの功績という意味で使われているのだろうしその功績は確かだけど、人見絹枝さんと有森さんだけが奇跡的に身体的に優れていたというはずもなく、その間の女子陸上の才能はいろいろな要因で摘み取られてきたのだろうなぁと容易に想像がつき、そこでもやるせない気持ちになる…。そう考えると嬉しそうに連呼できる言葉でもないし、これまでそこに全く気付かなかった自分の無関心さにもゲンナリする。

今回はドラマがあまりに素晴らしかった結果、その内容があまりに深く胸に刺さり、そこから派生して自分が今社会に感じている矛盾なり嫌悪なりのマイナス部分が炙り出され、結果的に自分一人で鬱々とした想いを持て余すという、よくわからない経験をしている。面白いドラマによって社会の面白くない部分をより一層意識するというこの構造、もしかして「社会派」というやつでは!?これまで理解できなかった「社会派」というジャンルこれでは!?と目から鱗。もしかしたら見当はずれかもだけど、私にとっての分類はこれでいい。思えば竹早での女子スポーツの時も同じようにダメージ受けて感想止まってたなぁと思うと、私にとってのクリティカルな部分ってこの辺なのかな。そして宮藤官九郎さんとの相性の良さ(あるいは悪さ)もこの辺なんだろう。時にはこういうドラマも必要だけど、もっと楽しく心躍るドラマを見たいという気持ちも無くはなく…ジレンマ。

増野さんとりくちゃん。シマちゃんの志が受け継がれていることに涙する。増野さんの「人見絹枝、バンザーイ」という言葉でも、多分「人見絹枝」は「シマちゃんの女子スポーツへの夢」に容易に置き換わっていて、増野さんですらそうなのだから、人間というのはそういう生き物なのだと受け入れていくしかないのだなぁと思う。そういう生き物であるという自覚を持ちながら、それが相手あるいは他者の負担になり過ぎないように注意して生きていくしかないのだろうなぁ。生きるって難しい。

まーちゃん。本当に心底そばに寄りたくないキャラなんだけど、そういう人がいないと前に進まない何かはきっとある。でもやっぱり近寄りたくない。無神経に見えるんだけど相手の感情を理解できないわけじゃないんだよな。むしろ理解しながらギリギリのところで攻めてくる感じはサイコパスの素質有りなのでは…?そしてそういうキャラに一定の魅力を感じてしまうという事実に苦虫を嚙み潰したような顔になる。まーちゃん…怖い男…。

人見絹枝さんと二階堂トクヨさん。「ご幸福ですか」という言葉の残酷さが浮き彫りになってた。「スポーツの成績と結婚、両方掴める」と応援した二階堂トクヨさんは善良な人だと思うけど、「競技スポーツは嫌いだけど、あなたは品があるから応援したい」という言葉も私には結構残酷に響いた。トクヨさんにとっては人見さんが傷つき苦しむ姿は自分の理想とする「女性の品格」みたいなものを補強するもので、だからこそ人見さんを心から応援して支えたのだろうなぁと…それは結果としては人見さんを救ったのだろうし、だからこの場では正しい結果なのだけど、誰にでも通用する真理ではないし、そればかりを尊ばれることに対するモヤモヤと言うか…うーむ。トクヨさん、いろいろ解釈が難しい人だ。でもドラマの人見絹枝さんは心底トクヨさんを頼りにしていたし、あの校長室(?)での光輝くシーンは本当に美しかった…。

人見絹枝さんの死がナレーションで済まされてしまったのは多分メッセージ性を強め過ぎないためだったんじゃないかと思うし、紀行でもさらりと流されていたけど、どう見ても無理がたたっての早世だし、才能に溢れた若者を使い捨てる社会に絶望しかないけど、今は途上でもその頃より少しでも前に進んでいると信じたい、信じるしかない…そうでなければ悲しすぎる。

いだてん 第25回「時代は変る」

今回から第二部。さてどうなるんだろうって思ってたら、田畑のまーちゃんが第一部以上にテンション高い状態で45分ぶっちぎってて笑ってしまった。まさか視聴率とかでこれだけ再放送したりよくわからん番宣したりしてる状態で「ついてこれない奴は置いていくぜ」って言い切るような第二部初回にしてくると思わないじゃないですか~! あーでも番宣や再放送決めてる人たちと現場のスタッフは違う人なのかな。現場の士気は下がっていないようで何より。このまま突っ走って欲しい。

ただすごく面白くて楽しい45分なのだけど、1度見るとお腹いっぱいで2回見ようとか思わないのは確かで(直虎とかは見直したりしてた)、そういう部分がいわゆる一般受けしないのかなぁとも思わなくもない…。あと、制作側から選別されてる感じは確かにある。「自分は面白く思えるから大丈夫」っていうのは、ある意味上から目線の感想であって、そういう感想を持たせる(雰囲気のある)作品そのものが全部気に食わない、と思う人は確かにいる…それも結構たくさんいる…ような気がする…そういう意味では視聴率が全然回復する兆しが無いのもわからなくもない…。朝ドラでは「女子高生が主人公」という強烈な縛りがあったからそのあたりがだいぶ中和されてた…のかなぁ。

まーちゃんがまたものすごいメンドクサイ人間に育ってて笑う。寄席で大声で噺家に話しかけるとかオリンピック報告会で思いっきりヤジ飛ばすとか、いわゆる「空気読まない」の筆頭として突き抜けてて、もう絶対に絶対に近くにいて欲しくないタイプなんだけど、見ているとやっぱり愛嬌で誤魔化されてしまうんだよなぁ。新聞社でも上司に気に入られてて(リリー・フランキーさんすごい素敵)苦笑するしかない。これは孝蔵もそうで、多分クドカンさんの持ち味なんだろうけど、やっぱりこういうタイプに生理的に近寄りたくないと思ってしまう私はクドカン作品と相性悪いんだろうなと思う。でも面白いからすごいなぁと思うんだけど。おそらく引き際というかオチでのバランスのとり方が上手いんだろうな。

相変わらずお金のない体協で、相変わらずのメンツがヤケクソになって「初心にかえって選手は自腹で」とか言い出すのが情けなさ過ぎて面白い。嘉納先生も相変わらずの癇癪もちで、全然人間として成熟されてなさげで何より。肝心な時にさえ間違えなければ、上の人は日常は多少厄介でも愛される。そして陸上と水泳などの個別スポーツ団体が力を持つようになり、それをまとめる体協にどんどん力がなくなっていく描写は、面白可笑しく描かれてたけど結構深刻な組織の構造だよなぁという気にもなる。どうしても組織は細分化するし、それぞれがそれぞれの利益を優先するようになり、結果として全体は空洞化していくんだよな…難しいね。

突撃アポで高橋是清からオリンピック資金をふんだくることに成功したまーちゃん。きな臭くなってまいりました~!政治と金とスポーツ!これからどこまで食い込んで描くのか!?時代も戦争に一直線だし、どういう描写にするのかめちゃくちゃ期待している。

薬師丸ひろ子さんがめちゃアヤシイ占い師さんで、今後も多分要所要所で出てきそう。そのうち歌ってくれそうで期待してる。桐谷健太さんは前の朝ドラでも見てたし最近ず~っと見続けている気がする…こんなNHKに出続ける役者さんになると予想してなかった。来年の織田信長も楽しみ。しばらくは水泳連のメンツが裸要員なのかなぁ。斎藤工さんは相変わらずカッコよかったけど、それよりなぜか皆川猿時さんに釘付けとなってしまった。奇人オーラはイケメンオーラを塗りつぶす…。

いだてん 第24回「種まく人」

「さすがの金栗さんも熊本に帰りました。…四年ぶりです。」上手い。森山未來さんのナレーションのタイミングと相まって、ツラいシーンの中でもクスリと笑える。いや、ツラいシーンの中だからこそ笑ってしまうのかもしれない。制作側に手のひらで踊らされている感じがするけど、本当に上手い脚本に手玉に取られているのは本当に楽しいので無問題。もっと躍らせて欲しい。

熊本での幾江さんの言葉が本当に…本当に…それでこそ私の(?)幾江さん…!私は幾江さんは本当に四三をダメ婿(養子)だと思っていると思うけど、それは幾江さん自身にとってダメなだけであって、マラソンやスポーツという世界では希望の存在たりうることもちゃんとわかってるとも思うんだよな。その価値を自分は全く評価しないけど、評価する人がいて、その人たちにとっては大事なものであるということも理解している。そして大事に思われている世界で力を発揮することは悪いとは思っていない。幾江さんにとって価値がなくても、他の誰かにとって価値があるなら、その力を存分にふるえと応援することが出来る。その描き方が本当に素晴らしくて幾江さんの魅力に満ちていて「クドカンさん最高!」と万歳三唱したい。好き。いや、実はマラソン選手としての四三のことも(口には出さないけど)誇らしく思っていて応援しているという解釈の方が正しいのかもしれないけど。そっちでももちろん好き。

そして一方でスヤさんが「負けて帰ってきてもいい」と言う存在であるというのもすごく良かった。個人的にスヤさんは幾江さんが言わなければ今回幾江さんの言ったようなことをいずれ四三に言った気もするけど、でもあの場では妻として四三を庇う立場なの、幾江さんとうまく役割分担しているようにも見えてキュンとした。幾江さんとスヤさんの嫁姑関係、心から推していきたい。

避難所で昼間は笑い、夜は泣いているという話と、スポーツによる復興(大運動会)の話。清さんが嘉納先生の提案に最初は反対してみせる件、なんかものすごく胸にドスンと来てしまった。あと清さんが自治会長(?)をやっているというのがものすごくびっくりしてしまった。いや、清さんは漢気のあるリーダーになれる人材というのは全然納得なんだけど、そういう「代表」とか柄じゃないって言いそうな気がして。小梅もそろって面倒見がいいので、夫婦で信頼されているという描写なのかもしれない。

最初清さんが運動会にいい顔をしないのはすごく気持ち的にわかってしまった。嘉納先生たちは多分被災者を全体としての総量で見ていて、清さんたちは被災者個人の積み上げで見ているんだろうな。それはどちらも正しくて、嘉納先生たちの考え方だって絶対に必要なのだけど、現場で個々で戦っている人たちには「それじゃない」感があるのも仕方ない。そういえば全然描かれていなかったけど、嘉納先生自身の被災状況はどんなだったんだろうか。だいたいいつも(くたびれてはいても)身なりがきちんとしているので、家とかは残ったのかな。

今回アバンで嘉納先生が自らの夢の集大成であるスタジアムにすすんでバラックを建てたことで「さすが嘉納先生」って思ったけど、清さんとの言い合いで思わず「私のスタジアムに」みたいなこと言ってて笑ってしまった。聖人になり過ぎず、時々俗人としての本音が出るところもとても愛おしい。

人見絹枝さん再登場。シマちゃんはこうやってきちんと女子スポーツの襷を絹枝さんに繋いでいたんだなぁ。願わくばちゃんと自分の目で見て欲しかったよなぁ。自分の蒔いた種が芽吹くのを見届けて欲しかった。けれど、叶わない願いがまた残された人を高みに導くのもきっと真実だったりもするのかもしれない。運動会の観衆の中で笑うシマちゃんの幻と、それを見て泣き笑いする増野さんのシーンも切なかった。頭のどこかで諦めながら、心と別の頭の部分で諦められずにシマちゃんを探し続ける増野さんが、この瞬間本当の意味で「諦める」ことを受け入れたのかなぁ。

人見絹枝さん役の菅原小春さん、演技経験はこの大河が初めてと知って感嘆する。ご本人の才能にも心底称賛しかないんだけど、この人にこの役をやってもらいたいと思いついて企画を通す人の「見る目」みたいなものに何よりひれ伏したい。こうやって新しい分野に花開いていく才能もあるんだなぁ…。たたずまいがちょっと市川実日子さんに似てる気がする。市川さん大好きなので菅原小春さんの雰囲気もとても好き。

これで第一部完。次から主役交代なので雰囲気変わるのか楽しみ。阿部サダヲさんは前半にもちょこちょこ出てたので、今後も中村勘九郎さんはちょこちょこ出てくれるのだろうか。この後時代はどんどんきな臭くなるけど、どんな風に描かれるのかも楽しみ。ぐいぐい追いつくぞ!