いだてん 第23回「大地」

前回さんざん感想に悩まされた「女性解放を訴えるための方法」的な部分は、今回えっらい雑に「父親と娘で走って競争」で収束して拍子抜けだった。いや~お父さん、いくら女性と言えど18歳の若さに勝てると思ってるとかちょっとスポーツを舐めすぎでは…?と一瞬思ったけど、今の女子生徒はそれこそごく一般的な体育は男子とほぼ同じことやってて若いうちは身体能力が高いというのも常識だけど、基礎的な「体を鍛える」ということすらこの時代は(特に女性は)してないという状況だったのか?と気づいて、改めて「普通の教育」って大事だな…としみじみ思うなど。今の私が当たり前のように享受している「普通」も、昔は全く普通ではなかったんだと改めて思うのはこういう時。いついかなる時でもちゃんと忘れないようにしたい。それに「普通」になったはずの今でも理不尽なことは全然なくなっていないことも忘れずにいたい。

村田父はわかりやすい男尊女卑男性ではあったけど、多分突き詰めていけば富江ちゃんをきちんと認めることのできる人なんじゃないかという予感が、負けた後の虚勢を張る姿のかわいらしさ&後半の震災シーンで表現されていたように見えて良かった。こういうクドカンさんの「下げっぱなし」じゃないところ、とても信頼できる。

そして、冒頭の女子スポーツ勃興の一場面を些細な事にしてしまう、圧倒的な関東大震災の描写に思わず唸る。あまちゃんでの東日本大震災描写を見た時も言葉もなく見入ってしまったけど、クドカンさんはこういう「抗いようもない災害を被ってしまった人間の弱さと強さ」みたいなのを描かせると本当にすごいものを出してくるな…。悲惨さを前面に押し出した映像とかはほとんどないのに、さりげないメタファでこちらの想像力をぐわんぐわん揺さぶられた。孝蔵が瓦礫の壁の前で映像を投影されながら喋るシーンとか、うわぁ、すごい映像見てる…!ってゾクゾクしたし。

登場人物の感情が動くことを表現するシーンで「脚本と演出と役者の演技が神がかってる」というパターンは、大河を見てるとだいたい1年通して数回くらいはあるよなって思うのだけど、今回の孝蔵がただ震災の状況を喋っているシーンは、誰かの感情が(少なくとも表面上は)動くわけじゃない、すごく魅せるのが難しいシーンなんじゃないかと思っていて、そこでこの「脚本と演出と役者の演技が神がかってる」という最高の状況が作り上がったのが本当に素晴らしかった。願わくばリアルタイムで見て感想書きたかったよね…。でも世間から時期がずれてるからこそ落ち着いて自分の頭で感想を書き残せるのかもしれないと思うので、これも良かったと思うことにしよう。

9月1日の浅草凌雲閣。正午直前に清さんと小梅とすれ違っているので、シマちゃんも助かっていて欲しかったけど、五りんの話でほぼ絶望的となってショックだった。まさかシマちゃんが関東大震災で退場するなんて…でも嘉納先生と四三とミルクホールで「まだこれから走れるよ」って話してるとこでもうフラグ立ちまくってたもんなぁ。

増野さんが「増野シマさ~ん」って探す姿がさぁ…呼び捨てじゃなくてフルネーム+さん付けっていうのがさぁ…増野さんの性格をよく表しているようでグッと来てしまった。そして増野さんがシマちゃんを探しながらも心の中でどこか諦めているのがわかってしまうの、すごく胸が痛かった。増野さんに「既に諦めかけている」と自覚があることがさらにツラかった。自然と「走って欲しかった」と過去形になってしまっていることがしんどかった。でも、その気持ちがわかりすぎるくらいにわかってしまうのがイヤだった…自分もこういう時すぐに諦めてしまう方だからこそ余計に抉られた。

清さんと四三が出会えた奇跡。この時代、テレビもなくラジオは…(調べた。大震災は1923年、ラジオ放送開始は1925年だから)ない、広く情報を届ける手段のない時代。張り紙の尋ね人広告だけが頼り…なんとも想像もつかない社会がたった100年前だということがいまだに本当の意味で理解できていない気がする。それでも再び会えると信じてお互いを探して歩く姿に言葉もない。

清さんがひとしきり四三との再会を大げさに喜んで、そのあとに増野さんに気付いて「つらいことばかりだから、ちゃんと喜べることを喜ばないと」というのは、東日本大震災の後の過剰な自粛ムードに対する応えでもあるのかなぁ。自粛ムードというか、自粛ムードに便乗して他人の言動を諫めようとする動きに対する反論というか。虎の威を借る人の言葉にはこれからも抗っていこう、と妙な決意を新たにもしたり。

ビートたけしさんの志ん生パート、今回なんかすごくよかった。いつもは、ビートたけしさんはどう見てもビートたけしさんで、全然落語家さんに見えないなぁと思ってたんだけど、今回「どうして別れないのか?」「寒いから」というのを五りんに説明している部分の喋り方がなんかすごく「粋」な感じで、あぁ「フラがある」ってこういうことなんだなぁって理屈じゃない部分で理解した気がする。この「寒いから」が若き孝蔵夫妻の初めての心の触れあいっぽいシーンに繋がるのも、小細工なんだけどすっごい上手かった。でもやっぱり孝蔵のやってることはクズそのもので許せないけどな!(孝蔵みたいな人物がリアルで自分の目の前にいたら軽蔑の視線を送ってしまうだろうなという意味であって、孝蔵というキャラクター造形そのものはすごく好き)

次で第一部完。世間は人見絹枝で盛り上がっている…早く追いつかねば…

いだてん 第22回「ヴィーナスの誕生」

今週の孝蔵。相も変わらず相手の好意をそのまま質屋で金に換えてしまうダメっぷりを遺憾なく発揮中。なんかさぁ…孝蔵はそういうやつだってわかるけど、そこが孝蔵の愛嬌(フラ?)だってわかってはいるけど、それでもやっぱり「ホントこいつクズだな」って思っちゃうのは仕方ないよな。そしてなんと結婚話が舞い込むんだけど、これがまた酷い話であった…。

小梅ちゃんの口調がすっかり女房っぽくなっていてほっこりした。でも孝蔵の結婚相手にあんな育ちの良さそうなお嬢様を連れてきちゃうのはちょっと相手に対して誠実じゃないっていうか…結果的におりんさんが孝蔵に惚れてるっぽいからおさまったけど、親の立場から見たらこの男はなくない??おりんさんの父親も人を見る目がなさ過ぎじゃない!?真面目そうとかどこがだよ!?結婚相手の持参金をそのまま遊郭と賭け事に使っちゃうとか安定のクズっぷりでブレない。孝蔵のダメっぷりは史実もあるんだろうしどうしようもないけど、そこはかとなくこういう破天荒なエピソードが武勇伝ぽく感じられる描写な気がして、なんだかなぁという気持ちになったりもする。昭和パートの描写で「当時を振り返って苦笑してる」おりんさんを見ているからなんとか笑いに出来るけど…。

今週は女子スポーツ事始めという感じだった。人見絹江さん登場。四三よりシマちゃんの方がその将来性をいち早く見抜いているというのが面白かった。このドラマの四三は間違いなく誰でも分け隔てなく熱心に指導してくれるだろうし、その指導には定評があるのかもしれないけど、他人の才能を見抜いて育て上げるみたいなのは向いてないのかもな~。そういう「結果が全て」の指導者じゃないからこそ、竹早の女子生徒たちが慕うのかもしれない。それにしても「パパ」呼びのヤバさはハンパなかった。スヤさんですらドン引きだったからな…。

竹早でスポーツに目覚める女子生徒と、単に行儀作法だけ身につけてお嫁に行って欲しい父親との意識のズレ。そのズレが表面化するきっかけが美川君のアヤしい(どう見てもアヤしい)闇写真販売というのがなんとも美川君らしいというか、美川君の使い方が神がかってるというか。他人の日記や手紙を見るのに葛藤が無いというエピソードといい、こういうダメっぷりで美川君というキャラが積み上がっていくの、本当に上手いなって。いや、それにしたって女子学生の生足の写真売るのは人としてどうなんだろう。

記録のために生足で走っちゃう富江ちゃんのひたむきさは良くわかるし、四三の言ってることはこの上なく正論でごもっともなんだけど、今回の話を見ている限り、悔しいけど保護者達が四三を辞めさせようとする動きも「さもありなん」と納得せざるを得ないというのが正直なところだった。この流れで四三の主張は、正しくても絶対受け入れられないもんだよな、と。それは言い方だったりその時の社会の「常識」だったり力のある者の個人的な意地だったり、本質的な部分と違うところでケチがついてその意見は黙殺されていく。

これは多分意図的な演出だと思うのだけど、女性(に限らずいわゆる弱者)に対する理不尽な社会的抑圧に対して、今回四三のように高らかに正論でNOを突きつける行為は一見爽快に見えるけれど、多分その瞬間は絶対に周囲を納得させることは出来ないという残酷な現実を描き出していたんだと思う。どう見ても四三の言葉は(女性にとっては)正しいのに、絶対にあの場では(男性を主体とした)保護者を納得させることは出来ないよなぁって直感でわかる。もうどうしようもないくらいにわかってしまう。盛り上がり始めたマイノリティの解放運動がどんどん過激化していく図式の再現に見えて、なんかしんどかった。

今回ここで引っかかってしまってずっと感想が書けなかった。ツイッターとかですごい評判良かったし、私も四三の啖呵に一時スッキリはしたけど、それが保護者に通じないという描写が妙にリアルで、そして保護者に通じないことにも納得してしまう自分もいて、それが自分の中の見えない天井のようにも思えたりもして、なんだか自分の感覚が信じられなくなったりもして。何度見ても、このシーンをどう受け止めたらいいのか答えが見えない。

あと、四三が「靴下云々は家でやってくれ」って言うのは思わず笑ってしまった。趣旨は本当にその通りなんだけど、そもそも一番お互いの主張がかみ合っていない問題点から勝手に一抜けしちゃうの、さすがに対話をする気がなさすぎるだろってツッコミしかない。そう考えると、四三の演説に感動しつつも「ん?」て思ってしまうのは、四三にとっては女子スポーツの振興こそが最優先なのだけど、生徒の保護者には彼らにとっての最優先の事項があり、そのすり合わせもしないまま「あなたたちの価値観が間違っている」って言い切ってしまっているからかな。こういう対話の席で演説をしてしまうことの滑稽さがよく出ていたシーンだったとも思う。もちろん、それがダメというのではなく、むしろ四三が「対話による懐柔」みたいなことが全くできない直情型の体当たり人間だということがよくわかって、それはそれでとても良いシーンだったと思う。

全然まとまってないけどとにかく書き終わらないと次の感想にとりかかれないのでもう終わる。こんなところで躓いてしまった~!次は関東大震災らしくて震える…怖い…でも見たい…

いだてん 第21回「櫻の園」

OPまたスヤさんの場所が変わってた。もはやこの程度の変更は通常運行

個人的に、今回四三が「女子スポーツの振興に携わりたい、熊本には帰りたくない、スヤさんは東京に残って欲しい」という要望を言い出した時は「勝手なこと言いおって~!幾江さん一人でかわいそうじゃん!」とかなりマイナス評価だったんだけど、結局のところこの四三を無理矢理熊本に戻らせて教員にしたとしても、鬱屈としてかなりめんどくさい事態になりそうな予感はプンプンするので、「好きにしろ」としか言いようがないよな~とは思った。そして、四三をそういうめんどくさい男として設定したことをすごいな~と思う。あらかじめ四三の人生の大筋は(史実だから)決まっていて、そこに説得力のあるストーリーを与えるためにキャラ付けは重要だと思うのだけど、養子に入りながら金栗姓を使い続け、地元に戻らずマラソン三昧という客観的な史実のためのキャラ付けとしてすごく納得できてしまうの、上手いよなぁ~って。

で、小ネタの多い女学校編。薄汚い体操服で帰宅途中の女子生徒に声をかける姿が完全に不審者で笑うしかない。永井先生のテニス指導からの香水振りかけあたりで「きっつ~」って耐えられなくなりそうなところに、どう見ても駆け足ねじ込み気味の女子やり投げによる生徒懐柔がトントン拍子に進む展開、あまりに嘘くさくて逆にネタとして笑って受け入れやすかった。四三はヤバい人一直線だったけど、全員が「シャン」だって言うところとかは持ち前の天然人たらしっぷりを発揮してたな~。あのあたり完全に嘉納先生に影響を受けている気がする…ヤバいヤツに師事してしまったなぁ。

女子生徒がスポーツに目覚める展開そのものはテンプレをネタとして使って時間短縮したってイメージだった。四三の人生だけの大河だったらもっとゆっくりできたのだろうけど、今回主役が途中で交代する大河なので尺足りなかったのかも。これだけ尺がなくて端折ってるのに、テニスボーイ姿の永井先生のカットはしっかり入れるあたりに、ネタは意地でも入れるという制作側の熱が感じられて苦笑せざるを得ない。

シマちゃんの結婚。あまり本筋に関わらないので全然いいんだけど、シマちゃんの家庭環境はついに全くこれっぽっちも明かされることがなかったのちょっと残念だったな~。三島家の女中から「女学校への入学を目指して」カフェで働きながら学び、その後女学校教師というかなり生粋の職業婦人となった経歴を見ると、すごい先進的な家庭かすごいフリーダムな家庭なんじゃないかと思うんだけど…。でもまぁシマちゃんの家庭環境がわかったらさらにキャラ掘り下げになるかというと、別に必ずしもそうではないだろうし、取捨選択の結果なら仕方ない。

増野さんの言動があまりに理想的過ぎて、逆に裏があるのかと訝しんでしまった。ただ単に現代になってもこれが理想論だと感じてしまうことへの皮肉ってだけかなぁと今は思っている。それにしても、こんなに先進的な考え方をする人であれば、トクヨさんも実際に会ったら野口君を諦めて結婚を考えたかもしれないので、運命は(というか脚本は)残酷だなぁ…。シマちゃんの「走りたい」という夢はそのままでは多分叶わないのだろうけど、この感じだと子供がオリンピックのマラソン選手になるとかそういう流れだろうか。五りんの父親が箱根駅伝走ったって言ってたけど、そっちに繋がったりするのかな。楽しみ~

小梅と清さん。清さんがいい男なのは確かにその通りなのだが、あの小梅が清さんとくっつくまでの展開がむしろ興味深いのでそこをもっと見せて欲しかった。でも多分こうやって隙間ありまくりの妄想ふくらましまくりの方が楽しいのかもしれない。若い頃の小梅は絶対清さんと一緒になるとか考えもしなかったと思うので、ここは二人が積み重ねてきた年月が感じられて良かったなぁ。そして美川君を追い返すシーンは、口でキツイことを言いながらも小声で気づかう小梅に、「やっぱり美川君のダメっぷりは情が移るよねぇ」って苦笑いした。

いだてん 第20回「恋の片道切符」

2度目のオリンピック、2度目の敗北をどう描くかって結構難しい問題だと思うのだけど、今回「3か月後の報告会まですっ飛ばす」という荒業で無理やり解決してて笑ってしまった。確かにストックホルム編でオリンピックとしての盛り上がりは堪能したし、あれ以上にドラマとして盛り上げるのは無理…とは言わないけどかなり難易度高いよなぁ。そして見ている側としてもストックホルム後の四三のヤバさを散々見てきているので、もはや金メダルはどうでもよくなりつつあって、スピーディな展開はむしろ望むところだったり。

平和の祭典のはずなのにそこで競って負けて帰ってくると「非国民」て言われる世界…このシーン、ある意味わかりやすくテンプレな「無責任に責任を追及するマスコミ」として描かれていたと思うんだけど、でも全然風刺とか揶揄になっていなくて、まさに今現在進行形で進んでいる社会の中の雰囲気そのものだなぁって感じてしまい、すごく重苦しい気持ちになった。100年後の日本を憂いていたこの時代の先人たちの期待は、スポーツの記録としてはある程度達成されたのかもしれないけど、それを取り巻く社会自体はあまり成長していないのかもしれないなぁ。しんどい。

今回は永井先生も切なかった…「私は古い、淘汰される人間なんでしょう」の重さったらなかったな。何が重いって、多分永井先生の言葉が真実であることが重いんだよな…自分がそれまで信じてきたものを「既に時代遅れである」って認めるのって多分すごく勇気がいることだと思うので、それが自分一人で考えて出来た永井先生は本当に頭のいいひととして描かれていたと思う。そして多分そういうところが憎めなくて好ましく感じてしまうところだったんだとも思う。

二階堂トクヨさんが報告会で断罪するのも、多分それが自分の役割だと思っているという面があるのだろうなぁ。あえて憎まれ役を買って出ているっぽかったもんな。ただまぁ、あえてあの場で言っちゃうのは「いろいろ拗らせてめんどくさい人間」感もすごい出てて苦笑してしまった。そういえば今回のサブタイはトクヨさんのことも含まれていたんだろうな。野口君に対する恋に気付いた瞬間、野口君が結婚していることが(遠い海の上で)判明するという鬼のような展開だったけど…。トクヨさん、寺島しのぶさんの演技がチャーミングなのでかろうじてコメディとして楽しめているけど、コメディとするには危うすぎる綱渡りを見てるようでハラハラする。

そういえば今回普通に日本は「JAPAN」で表記されてたな。8年前はあんなに「ニッポンじゃなきゃ出ない」って言ってたのに、今回はジャパンでいいのか。8年の間に日本の中でジャパンが定着したってことなのかな~。普段細かく伏線回収してくるからこそ、こういうとこ放置なのが気になってしまう。多分気にしすぎ。

最後の嘉納先生と永井先生のシーン、多分この部分がこのドラマの主張なのかなぁ。「100年後の若者がスポーツを楽しんでいて欲しい」というシンプル過ぎる祈り。そういう世界に、なっているかなぁ…。

  • まーちゃん(18)が阿部サダヲさんにしか見えなくてびっくりした。別人!?!?
  • 久々の弥彦。生命力と若々しさに溢れてたストックホルムの時より、ちゃんと落ち着いた青年に見えて感動した。
  • スヤさんの手紙を見ることに躊躇しない美川君。わざわざ自分から言及してて笑った。強引すぎる伏線回収だな~。そしてスヤさんは3回も「美川に言ってもしょうがなかばってん」と言ってたくせに、肝心の美川君を覚えていないというオチ…お見事です。

いだてん 第19回「箱根駅伝」

上手く感想がまとめられなくて2回見たんだけど、1度目と2度目では見た後の印象がかなり違っていた…そしてますます感想が書きにくくなった…

1回目に見た時から、わかりやすい感動演出がちょっと揶揄的に見えるなって思ってたんだけど、2回目は(最初にそういう印象を持ったからだと思うけど)もう最初から底意地の悪い演出家が「ぼくのかんがえた最強のスポーツものの感動話」を作ったみたいな演出っぽく見えてしまって、全体的に「どういう顔をしたらいいのかわからない…」と混乱する話になってしまった。特に最後の岸さん。あそこ、最初に見た時は「ちょっと感動演出を盛り気味ではあるけど、岸さんがデレたのほっこりするなぁ」って思ってたのだけど、2回目は完全に感動煽り芸にしか見えなくなってしまって、初回の感動はどこへ…みたいな。いや、岸さん自体は相変わらず可愛かったけども。

「初めて見たから」って感動して「何としてもオリンピックにマラソンを」って言う岸さん。「日本人が勝てるとかそういう話じゃない。こんなに感動するスポーツならばやるべきだ」という言葉は一見理性的に見えるけど、これ以上ないほど感情論なわけで。四三の立場から見ると力強い味方が出来たってことになるんだけど、現在のアントワープでマラソン競技を行う妥当性という意味では何一つ問題が解決していないし、それでいいのかよ…と自分の中の永井先生はいまだに仏頂面でテーブルに座り続けている。けれど、そういう感情的で無茶で後先考えない人間の思い付きが、これまでも人間の可能性を広げてきたとも言えちゃうわけで…う~ん…。

高校野球を夏にやる是非とか、箱根駅伝で燃え尽きるランナー問題とか、理性と感情のどちらを優先するのかというのは本当に正解のない問だと思う。スポーツの感動を商業的に搾取しようとする動きに反発するのはもちろんだけど、それは同時にスポーツで感動したいと思っている人間が多いことの証でもあって、それは見ている側だけでなく実際に競技者自身も感動したいと思っているわけで、競技者からその感動を奪うことが出来るのか、みたいなところに踏み込んでしまうとね…。これは実際に競技者に近い人ほど言えないよなぁというのもなんとなくわかる…。ムズカシイ。

ドラマとしては、そういう矛盾とか問題とかを全部ひっくるめて「オリンピックとは、人間とは、そういうものだよね」ってことだと思うんだけど、そこから何を導き出すかは見ている私自身の問題なのだろうけど、わかってるけど…なんかこう、突き放されてる感あるよなぁ。クドカンさんの脚本、本当に面白くて好きなのだけど、あまり自分から進んで見ないのはこのあたりの冷たさ(と私が感じる部分)をどう受け止めていいか迷ってしまうからかもしれない。

とかいろいろ考えちゃってまとまらない。もっと気楽に楽しみたい。後はメモの羅列。

四三の言動(選手に伴走車から撃飛ばしたり)とかは、最初見た時はお笑い要素として見ていたのだけど、2回目は狂気にしか見えなかったよなぁ。四三が善良な人間であることは全く疑ってないけど、善良だからといって無害とは限らないわけで、ランナーが「自分は金栗さんにはなれない」って言ってたのも結局はそういうことかもしれない。

四三が幾江さんを「いい人なんだけど」って苦手意識全開でスヤさんに愚痴るとこ。自分が幾江さん推しなのであそこを「スヤさんのオマケとして付いてきた義理の息子がなんか言ってるわい」と思いながら見てたけど、見方として合ってる…よな? スヤさんも夜泣きする子を「お母さんと二人で朝まで」って言ってたもんな。四三の「お国のために粉骨砕身」の言葉がどこか空虚に響くのは、地に足を付けて生きているスヤさんと幾江さんがいて、その上でかろうじて四三のマラソン生活は成り立っているから。まぁ四三はそれを痛感しているからこそ、肩身が狭くて余計に幾江さんが苦手になっていくんだろうけども。ほんの一握りの人間にしか許されない夢を追いかけるには、その裏でしっかりと現実を生きて支える人が大勢いてこそなんだなぁって思わせてくれるから、私はこのドラマを安心して見ていられるんだと思う。もちろん、夢を追いかけてくれる四三のような存在も絶対に必要だということも理解してるつもりではある。

テーブルに一人残る永井先生。「君は正論しか言わないな」と心底面白くなさそうに言う嘉納先生に対して「自分の役割はこれだ」というセリフにちょっとうるっとしてしまった。ムライ中将…。私はこういう、自分の役割を自覚してる人に弱いんだよ…(肋木はどうかと思うけども)

箱根駅伝をどうやって一話分のドラマにするのかと思ったら、昭和パートの五りんの創作落語として劇中で語らせるという、相変わらずトリッキーでオタク心を擽りまくる凝った構造で「すげぇなぁ」ってため息出た。ただ落語で話すだけでも飽きるから、駅伝と同じ話者のリレー方式にして、語り手の違いによる飽き対策をして、その上でまさかの!まさかの!!森山未來さんの二役!! 志ん生の長男次男が双子かって程に似てるの笑う。ていうかもしかして双子なの? それにしても語り口とか動きが違って「人が違う」ってわかるの凄い…なんなんだ森山未來…(あまりに打ちのめされて思わず呼び捨て)清盛見てた時に「松山ケンイチすごくね?」って思ったのと同じ感動を味わっている…「森山未來すごくね!?!?」

いだてん 第18回「愛の夢」

OPのスヤさんの入り方が先週と違う…!一体何パターンのOPがあるんだろう…オリンピックの映像も初期と全然違うし(アベベどこ行った)もしかして細かい変更は毎回のようになされてるのか!?もしや真田丸パターン!?

小説家はやめて今度は画家になるらしい美川君。微妙な画風の美人画(?)のモデルはもしかして小梅ちゃんなのだろうか…? 美川君が相変わらずダメ男まっしぐらな上に言動がキモくて(ロミオ~って言ってるシーン、素で殴りたくなったw)でもなぜか愛しい…なんだこの感情w 小梅ちゃん、最初のころどう見ても「こいつやべぇ」って目で見てたのに、今はヤクザ者の愛人をしながら美川君を養っちゃってるんだなぁ。本当に惚れているというより、情が移っちゃったんだろうなぁ。なんとなく小梅ちゃんの気持ちがわかってしまうのが嫌だw お互いに相手を利用しているようで、お互いに相手に利用されていることも含めて現状を受け入れているかのような関係性、刹那的に見えて地味に強そうなのが興味深い。

女子スポーツに関するあれこれ。トクヨさんが永井先生信奉者からの脱却。やっぱり留学は世界を広げるんだなー。永井先生のやり方や考え方を「時代遅れ」ときっぱり切り捨てる一方、それでも、そんな聡明なトクヨさんでも、この時代の女性のスポーツは「子を産み、母となるための健康な体を作る」ためのものとしか主張できないの、結構しんどいなー。四三からスヤさんへの手紙でも「お国のために健やかな子を」ってシレッと出て来たり、もちろんこの時代はそういう時代なのだし、実際に手紙に書いてあることをうまく取り入れているのかもしれないけど、なんかこうフィクションで楽しんでるところに現実を目の前に突き付けられた気になってドキッとした。クドカンさんの脚本はこういうとこある…ホントある…。あと全然関係ないけど、トクヨさんの「ハッハッハ」って笑い声がめっちゃ複式で素晴らしい発声だった。

トクヨさんの言葉に冷水を浴びせかけられつつ、シマちゃんが早朝に町を走るシーンは良かったなぁ。最初のワンコと一緒に走る構図最高だった。シマちゃんがどんどん笑顔になるんだよね~。あ~本当に走るのが好きなんだなぁって。そして息苦しくなって倒れこみ、帯を振りほどいて再び走り出すところも最高に良かった。そこで脱ぎ捨てるのは古い価値観か。でもシマちゃんに「女子スポーツ代表」みたいな夢を託したくはない。シマちゃんは「シマちゃん自身」として望む未来へ向かって走って欲しい。

播磨屋さんが絶好調。今回はずっと「足袋のアイデンティティ」に悩んでて可愛かった。どこまで足袋でどこから靴なのか。紐付きコハゼなしはギリギリ足袋だけど、ゴム底は越えちゃいけない壁www もはや何に拘っているのかよくわからないけど、でも「足袋」を死守したいその心意気が微笑ましい。でもチュニックは作ってくれるとこ、とても優しい。そう言えば朝太の着物も播磨屋製だったし、四三の日の丸ユニフォームもそうだった。播磨屋さん頼もしすぎる。最終的にあんなにこだわってた足袋を曲げてゴム底付けてくれたし、四三が反省してる横で「お前は負けたが俺は勝った!」って全力で喜んじゃうの、自分の作品に対する誇りを持つ姿って見ててやっぱり気持ちいい。

三宅弘城さんの播磨屋さんは本当にピエール瀧さんの印象をうまく咀嚼して引き継いだなぁってしみじみ思った。三宅さんの演技を見ていてピエール瀧さんの残像がチラつくことがあり、でもそれがピエール瀧さんを思い出すというよりはより三宅さんの播磨屋さん「らしさ」が際立って馴染んでいくというか…。こうやって役を取り込んでしまうんだから、役者さんてすごいな~。

スヤさん。今週は何はともあれ「美川に言ってもしょうがなかばってん」三連発。完全に実次兄のところに乗り込む幾江さんが入ってて大笑いした。こんな風に口調やしぐさがどんどん似ていくの、幾江さんとスヤさんがどんどん家族として馴染んでるってことだよなぁ~って幸福感に包まれる。赤ちゃんが生まれた時も「孫が嬉しい」よりもまず「スヤ…!」って言ってて感動した。ホント幾江さんのスヤさん推しが尊い。幾江さんの何がいいかって、スヤさんが四三のことが好きだから、四三をちゃんと受け入れてるとこだよな~。前回のスヤさんと同じで、スヤさんが笑顔になるためには手段としての「四三の金メダル」が必要なわけで、そのための援助は惜しまないという合理性と理論性。四三自身を好きか嫌いかを横に置いておける理性が本当にありがたい。精神的に見ていて安心感がある。

今回もシーンの繋がりの見せ方が凝っていたのと、これまでの話に出てきた小道具設定の答え合わせのオンパレードで、オタク総釣りって感じだった。そういうとこホント好き…!って思ったけど、ライトな視聴者を振り落としてるのも多分そういうとこだぞ!って思った…。好きなんだけど対象を狭めているこの感じ、ジレンマ。ホント好きなんだけど…。

路線電車に追いついて乗り込んでくる四三に対して、以前新聞で「早いものベスト10」の中に四三の名前があったってスヤさんが嬉しそうにしてたのを思い出したし、裸足の足は先日の嘉納先生の言葉を思い起こさせるし、安産のお守り→出産シーン→スッスッハッハッがお姉さんのお産を見て編み出した呼吸法というところに帰っていくのは「おぉ~!」って思ったもんな。多分明確に思い起こさせるための演出だったと思うし、こういうのは熱心に見ている視聴者へのサービスだろうし、本当に良く出来た構成だなぁって感心するしかない。

孝蔵と清さんの友情がエモかった。最後清さんが孝蔵を逃がすシーン、先に気付いた清さんが普通に喋ってるフリして孝蔵を逃がすタイミングを計ってる時、動きが不穏で孝蔵にキスするのかと思ったもんな。(顔を隠してやり過ごす的意味で。)多分あれは(キスするかと思わせるのを)狙った演出だったと思うのだけど、実際にはもっと萌える「身を挺して孝蔵を庇う」だったのが猛烈にアツかった。そして庇われたまま一人で逃げちゃう孝蔵のへっぽこダメっぷりもやっぱり「ですよね~~!」て思えて楽しかった。とことまでダメでいて欲しい。本当に本作の孝蔵と美川君はダメっぷりが愛しいな!

そして今回一番インパクトあったのは可児先生かな~。「カニ歩き」からの「骨盤がバーン! 臀部がデーン!」、そして「私は女だ! それがどうした! かかってこいよ!」という一連の流れ、パワーがありすぎる! だいたい「かかってこいよ」って何だよw ただねぇ。最高に面白くてめっちゃ笑ったんだけど、一方で笑いながらどこかシンと冷えた感情もあったんだよな。こうやって「笑いに昇華」させてはいるけど、いや、させているからこそ? 可児先生が「それがどうした!」と女生徒に復唱させるという図が、なんかこう…シュール過ぎてグロテスクというか…私が神経質すぎるのかもしれないけど。可児先生は大好きなのだけど、だからこそ痛い。先週の嘉納先生の女子スポーツへの偏見の時も思ったけど、こういうところ抉ってくるのがクドカン作品なんだよなぁ~って思ったり。

すごい細かいけど、四三の夢でずっと肋木にぶら下がってる永井先生良かった。こういう細かい部分のキャラ付けが本当にため息出るほど上手いと思う。

嘉納先生のスタジアム構想。オリンピックをやりたいがために他の人を焚き付ける能力が相変わらず冴えわたってた。でも隠せない山師感もバッチリ出てて、役所広司さんの役者力にただただ脱帽。

スヤさんのところにお詫びに来た実次兄が誰かに似てる~って思いながら見てる時は思い出せなかったけど、さっきわかった。寅さんだ! この胡散臭い洋装がめちゃ似合ってて笑う。

相変わらず面白い。でも今年はダブル主演でそろそろ主役が阿部サダヲさんに交代だとしたら、四三の愉快な仲間たちはもう出てこなくなってしまうんだろうか…弥彦ぼっちゃんは…? また出てきて欲しいけど、どうなんだろうなぁ。

いだてん 第17回「いつも二人で」

先週ラストでオリンピックの中止にうちひしがれる四三を見せておきながら、今回冒頭でもう一度、今度は四三がその事実を告げられるシーンからやり直すの、結構鬼の所業な気がする。政治とスポーツは別物というタテマエをいとも容易く蹂躙していくのが「戦争」であり、その前では個人の夢や希望なんて簡単に奪いとられてしまうのだという事実を、これでもかって見せつけられた感。あとオリンピック委員会もさ、前年までやるやる言っといて、戦争長引いてるから中止ね、ゴメンね、みたいなのどうなのよって気もしないでもない。嘉納先生に対してもさ、これまでさんざん煽っといて「無念!」じゃねーよって。いや、嘉納先生も断腸の思いなのはわかるけども。結局一番下の弱い人間が政治に弄ばれて割を食うんだなって。なんかそんなやさぐれた気持ちになってしまった…。こんなちょっとのシーンなのに、理不尽なやりきれなさに押しつぶされそう。

そして、四三は踏みにじられる平凡な庶民側かと思ったら、その四三に「日本のランナー」の夢を託す清さんのような人々もいるわけで…。なんかここ壮絶だったなぁ~。みんながみんな自分の夢を誰かに託している。そして四三はまさにそういう風に託されている自覚があるからこその辛さもあるわけで…。はぁ~ほんとしんどい。あと清さんの「ばってんて言ってから考えてんじゃねぇよ」ってセリフがなんかもう凄くて。あそこギャグっぽい演出も出来そうなセリフなんだけど、シーン自体は結構緊迫した雰囲気に仕上がってて(落としは最後の「ダレ?」だったと思うし)、不思議な感じだったな~。

失意のどん底の四三を慰めるスヤさん。興味深かったのはスヤさんの応援から「四三の夢は自分の夢」みたいな献身的な重さを感じなかったところ。スヤさんは心から四三を応援してるけど、本人も言ってたように別にどうしても金メダルを取って欲しいわけでもない。スヤさんの希望は「四三が笑顔になること」であって、金メダルはその方法の一つだってちゃんと本能でわかってるんだよな~。そういうスヤさんの頭の良さがめちゃくちゃカッコいいし愛らしいし尊敬するし幾江さんが入れ込むのもこういうとこだろうな~って納得しちゃう。

そしてなんとあの朴念仁の四三がついにスヤさんに自分の気持ちを伝えた!闘わずして金メダルの夢を絶たれるという絶望は四三ほどの朴念仁をも成長させるのか…。あとスヤさんは意外と四三の好意をあたりまえのように信じてるんだなってわかって、ますますスヤさんが最強キャラになっていく。自分たちの家族のことじゃなくていきなり日本のマラソンのその後とかを語り始めた四三に超絶呆れた顔して寝に入ったところも良かった。スヤさんにはスヤさんの幸せな未来像があって、四三の夢と混同していないところ本当に頼もしい。

50人の金栗四三から駅伝を思いつくエピソード。ふと思ったけどこれどこまで史実なんだろう?見てるときは普通に四三が駅伝の考案者なんだ~!って素直に思ってしまったけど、創作なのかなぁ。読売新聞社て名前が直接出てきてびっくりしたけど、社名ならそのまま…だっけ?龍馬伝も三菱って出してたっけか。久々の吉岡天狗にほっこりし、再び自分の(それもまたでっかすぎる)夢を手に入れた嘉納先生にやれやれってなる。それにしても嘉納先生は常にストックホルムスタジアムの写真を持ち歩いているのだろうか。すげーな。

前回、浜松のまーちゃんはもう一人の主人公田畑政治だと判明して、構成凝ってるなぁ~って思ったんだけど、今回の田畑パートへの入り方はどれもこれもトリッキーの極みで凄かった。こういう演出大好きなんだけど、絶対この部分が「わかりにくい」って言われる部分だよな~とも思う。少年まーちゃんを朝太が湖に投げ込んで、それを語ってた志ん生師匠が「すみません」と謝り、田畑パートで「すみませんじゃないよ!」と受けた続きが聖火リレー。リレーはそのまま四三が思いついた駅伝にリンクする、と。こういうドミノ倒しみたいな関連性を物語に盛り込んでいくの、クドカンさんホント好きなんだろうなぁ~。組み立てながらワクワクしてそう。

今回攻めてるな~って思ったのは、あの教育者の鑑みたいに描かれてきた嘉納先生に、あれだけ女子スポーツに対する偏見特盛のセリフを言わせたこと。この時代そういう風潮しかなかったのはもちろんそうなんだろうけど、あえて嘉納先生にこれを言われたことで横っ面張り倒されるような目覚めがあった。これまで日本人の古い価値観の中で「スポーツ」のために必死で闘ってきた嘉納先生が「女子は子供を産むのが大事だからスポーツなんかするな」と当たり前のように言うこの絶望感。だからこそこの先のシマちゃんパートが盛り上がるのだろうけど。頑張れシマちゃん。

そしてこの流れからトクヨさんを一旦女子スポーツの救世主と錯覚させ、直後に肋木で落とすまでの圧倒的クドカン節。上げた直後に落とすこの流れ、さすがにクドカン節としての受け取り方が染みついてきた感ある。トクヨさんの肋木が女子スポーツそのものへの否定じゃなく、純粋にマラソンが嫌いなだけなのもめっちゃ笑った。

四三が走る駅伝最終区間。画面の見せ方もあるのだろうけど、エキストラ大量で気合の入ってるシーンになってたな~。人ごみの中で視線を交わす四三とスヤさん。そういえばスヤさんは四三が本気でマラソン走ってる姿を見るのは初めてなのかな。すごく素敵なシーンだったけど、これまでの上げて落とす演出に慣らされてしまった私には「普通の感動シーン」に見えてしまって、何かオチがあるんじゃないかと構えてた後だったのでちょっと拍子抜けだった。ものすごく見方が偏り始めている自覚はある。

今週の幾江さん。スヤが帰ってこないという幾江さんのグチ。これ金栗家かな? 囲炉裏あるからそんな気がする。もうすっかりスヤさんの怒鳴り込みが日常風景になってるの微笑ましい。あとどうでもいいんだけど金栗家と池部家の位置関係が気になる。近いの? 遠いの??

そしてとうとうスヤさん懐妊。ホントに四三はオリンピックのためにずっとストイックに自分を抑え込んでいたんだなぁと妙なところで感心する。でも確かに先週と比べて今週の四三とスヤさんは夫婦って感じしたもんな。なんというか、脱童貞っぽい感じ? あと幾江さんの怒鳴り込みが初めて嬉しそうだったのめでたいw でも結局怒鳴り込むのは変わらないのね。

次からリアルタイムで見られるの嬉しい。今後はためずに感想を書かなければ。