いだてん 第29回「夢のカリフォルニア」

重ッ! 政治とスポーツどうすんのかなぁ~とか思った翌週の内容がコレって激重ッ!!! そして重さがさすがのクドカンとでも言おうか、もうどうしようもないやりきれない重さMAXで震える…これだから…これだから軽い気持ちで見られないんだよ…。

今回、前半は徹底的にまーちゃんの共感されにくさ(有り体に言えばウザさ)を煽るようなエピソードがてんこ盛りで、視聴者的なヘイトがたまりにたまったところで鶴さん(松澤一鶴)に対して「日本を明るくしたい」という目的をこっそりひっそりちょっと恥ずかしそうに語るという構成が上手いしズルい。でもズルいなぁ~って思わせつつも、このエピソードでまーちゃんを見直したりしないし、ウザさが全然解消されないところがさらに上手ズルい。完全に脚本に手玉に取られてるよなと思うのはこんな時。そして私が良質だなぁって思う脚本ってこの「手玉に取られてる感あるのに面白くてたまらない」というヤツなので、やっぱりクドカンさんは天才だと思う。私にとっての、という意味だけど。

勝っちゃん(高石勝男)のノンプレイングキャプテン案件。タイムが伸びない選手を「有終の美」的な意味合いで選手に選ぶのはなんか違うと思う派なので、まーちゃんの「タイムこそ全て」な方針は間違っていないと感じるし、多分みんなそれはわかっているのだろうけど、要は「まーちゃんの言い方やり方が納得行かない」ってことなんだろうな。思いっきり感情論であり、肝心のまーちゃんがそこをみんなに説明する気がさらさら無いので、このすれ違いは解消するのが難しいだろうな~。

若手選手が「高石さんを選手に」って鶴さんにお願いするシーン。純粋に勝っちゃんを思いやっているように見えて実は優越感が垣間見えるお願いになってしまっているという事実を突きつけてくる演出が痛い。この時、宮崎君たちには本当に悪気が無いんだよな。心から高石選手を尊敬していて、だからこそ何とか有終の美を飾って欲しくて「自分たちには次があるから」と言ってしまう、その残酷さが結構メンタルを抉ってくる。明らかに自分より実力がある(伸び盛りの)後輩に同情されて配慮されるということのしんどさを、彼らはまだ想像すら出来ないのだよな。それが「まだ子供」という言葉に集約される。同時にそれは鶴田選手や勝っちゃんらベテラン勢の「そこに居るだけで戦力」の意味をまざまざと実感させてくれる。上手い。

プールの守衛さんが日本人に対して融通のきかない対応で嫌がらせ(というほどでもない)をしていたのに、真夜中に泳ぐ勝っちゃんに気付いていながら何も言わず、むしろ選考会で応援してる姿に涙する。アメリカ人として日本選手に対する差別感情はあれど、有色人種として共感する部分もあるという複雑さ。アメリカという国の一面がさり気なく描き出されていて、スッキリと割り切れない人間の感情というものを見せつけられる。

選手選考会。勝っちゃんにレース前に思わず声をかけてしまう宮崎君は、おそらく本当に良い子なんだよなぁ。誰もが高石選手のこれまでの貢献度を熟知しており、どれだけ今回の選考会が不本意かを理解しており、だからこそ心から応援してしまう。奇跡的に良いタイムを出して代表選手になって欲しいと願ってしまう。「宮崎も応援しろ」と最初こそ怒鳴っていたまーちゃんですら最終的には戦友である勝っちゃんに無心で声援を送ってしまう。けれど奇跡は起きず、タイムは伸びない。タイム順に選手が選ばれ、自分の名前の無いまま「以上」と言われた瞬間に拍手する勝っちゃんの姿に寂しさと清々しさの両方が垣間見えて切なく胸を打つ。

ベテランスポーツ選手の葛藤という意味でもとても素晴らしい完成度の高いシーンてんこ盛りだったのだけど、その中にまーちゃんの欠点、至らなさ、危うさみたいなのがキッチリ浮き彫りになっていたのもスゴかった。今回鶴さんに話す時にたまたま勝っちゃんにも聞こえていたから納得されたけど、表から見えるまーちゃんの態度は反発を招いて選手のメンタルをダメにする可能性が高いし、選手全体の士気にも影響しかねなかったし。まーちゃん自身が他人の理解を得たい欲求が低い(ように見える)せいで、他人からの共感を得にくくて、集団の和(特に日本人はこれを重視しがち)を乱す要因になりかねないというのは、結構明確な弱点だよな。今後この強引さが不協和音を増していくシーンもあったりするのだろうか。

面白いのは、まーちゃん自身は自分が共感されることには無頓着だけど、共感の大事さはこの上なく理解してるっぽいところなんだよな。現在の日本が社会的に暗い雰囲気に包まれているからこそ、スポーツで明るい話題を提供したいというのは、日本人の共感性を無意識に察知しているからだと思うのだけど、その発露の方向性が完全にナショナリズム一直線なのがまた危ういというか悩ましいというか…。明るい話題の内容が「アメリカ恐るるに足らず」であることの恐ろしさよ。スポーツ振興のために政治を利用する方便として「スポーツを政治に利用したらいい」と言い出したはずなのに、結果的にまさしくスポーツが政治に利用され過ぎる土壌が着々と出来つつあって、これが人間の業なのか…と暗澹たる気持ちになる。まーちゃんほどの頭の良さでも、この現状の歪さを認識出来ないというのも怖いよな。

まーちゃんの無神経さと不遜な態度は(史実という面も大きいのだろうけど)脚本上の必要悪として描かれているのかなぁ。まぁそうなんだろうなぁ。日系二世の女の子に「おい女給」と呼びつけながらも、日本人が受けているであろう迫害についておそらくちゃんと把握しているんだろうなというのは「君は二世かね?」と呼びかける(まーちゃんにしては)穏やかな声色からもなんとなく察せられる。でもその気遣い(?)の方向性が「勝つことで日本人としての自己肯定感を高めよう」なの、どう考えてもヤバさしか感じなくて、なんかこう胸がザワザワする。まーちゃんの合理的な考え方に共感してしまう自分と、極端過ぎて絶対肯定したくない自分との間で揺れる。こういう主人公に対する共感を思いっきり拒絶してる作りが、なんとも据わりが悪いんだよな。どこまでも落ちついて見せてはくれないドラマだなぁ。

女子選手が親善大使としてロビー活動要員扱いな件。オリンピックの日本誘致という壮大な(…)目的の戦略としては間違っていないと思う一方で、それでいいのか…という思いも拭えない。正しいとか間違っているとかではなく、もうどうしようもなくそういう側面が出てきてしまうという事実がなんともやりきれない。嘉納先生が「ただ参加することに意義がある」と言っていたオリンピックは、得体の知れない何かを取り込みながらどんどん大きくなっていってるのだなぁ…怖い。

今週の孝蔵。なめくじ!!