いだてん 第1回「夜明け前」

うん!正直なところ、時代が行きつ戻りつしすぎて内容がさっぱり頭に入ってこなかった!

今回、視聴前にあらかじめの予備知識をほとんど持たないまま、中村勘九郎さんと阿部サダヲさんのダブル主演だということと、明治と昭和の二つの時代の話をリレー形式でやるということくらいしか知らないままの初回当日だった。他の出演者もほぼ知識無しで見たので、とにかく整理しなきゃいけない情報量が多すぎて頭がパンク状態。阿部サダヲさんが出てくれば「これは昭和パート…」とインプット出来たのだけど、もう一方の中村勘九郎さんは終盤までほぼ出てこなかったので、途中「役所広司さんは明治パート」と認識出来るようになるまではもうほとんど雰囲気で見てた…(テロップの年代表記がイマイチ頭に入ってこない病に罹患中)

せっかくの星野源さんとか神木隆之介くんとか松坂桃李さんとか、あと竹野内豊さんとか、誰が誰やら全然整理できてない…その中で飛び抜けてキャラが立ってた天狗倶楽部のインパクトよ。あっ!これ明治!!ってすぐ頭に入ってきたもんな。

もっと事前に出演者とか時代背景とかいろいろ調べてたらもっとすんなり理解出来たんだろうなぁという反省はある。あるけどそれ前提でドラマ作られてもなぁという気持ちもある。ドラマ初回なんて、もっと気軽に「見てみようかな~」くらいの気持ちで見られる方が良くない?それとも私が「理解しなきゃ」と気負いすぎているだけなのかなぁ。

一番混乱したのがビートたけしさん演じる志ん生師匠の立ち位置というか役割。なんで突然落語が出てくるのかわからなかったし、ビートたけしさんの演じる時代が明治なのか昭和なのか混乱しながら見てたけど、あとから考えたらビートたけしさんは昭和パートの人だというのは明白だったんだよな。テレビで落語を見てる人がいるってことは確実に昭和…考えてみれば当たり前だわな。ただ、私の中で明治~昭和初期(=太平洋戦争後あたりまで)って変化が急激すぎてかえって渾然一体としてるので、それをこうやって矢継ぎ早にいれかわり立ち替わり見せられると混乱しかなかった。そして見終わってからサイトとか調べてやっと、志ん生師匠が(昭和時代に)明治パートを語るという演出だということ、そして志ん生師匠の若い頃が森山未來さんで、途中から語り手が変わったのはそういう演出だったということがわかった。わかりにくっ!まぁ私の理解力の問題かもしれないけども。

まだ一回しか見ておらず、見直したらもっと理解度が深まることは確かなので、あとでもう一回見ようかな~とは思っている。とりあえずの記録として混乱の極みの初見感想を残しておく。

初めてオリンピックに選手を送り出そうとする嘉納治五郎の話がメインになってからはすごくわかりやすく面白かった。天狗倶楽部の暑苦しく胡散臭い感じが本当に興味深かったし、御曹司っぽい三島弥彦生田斗真さんめっちゃハマってた!)の悪気のない傲慢な言い分とか本当に「らしく」て最高。それ以外の倶楽部員も濃いメンツばかり&むさ苦しくて無駄に脱ぐという誰得な演出だったのがまた良かった。それに一見振り回されてる感がありつつもしっかりちゃっかり自分の理想のための足場を固めちゃったりもするのが嘉納治五郎という人なんだとすんなり納得できたのも良かった。

オリンピック、果てはスポーツとは「楽しい」ものなんだ!という治五郎の主張に、思わず「確かにそうだよなぁ」と言われてみればの目から鱗感を得るなど。最近、スポーツを見るためにルールがどうとか選手がどうとか余分な情報で頭でっかちになってる感、確かにあるなぁ。スポーツに限らず、ドラマを見るときも脚本家がどうとか演出がどうとか、やっぱり情報優先で見てるところがある気がする(というか自分がそういう見方が好きという面もある)ので、そのあたりをリセットすることを考えたりするのもいいかも。

杉本哲太さんの演じる永井教授が選手派遣を反対するのにも一定の正論みがある作りだったのも良かった。「国民の期待を背負わされて走らされる」というのは確かにそういう面もある(というか今現在も解消されていない問題だ)と思うし、それが解消されることは絶対にないとも思うので、今後ずっと抱えていく課題なんだろうな。その上で「せっかくやるのだから精一杯楽しく!」という目標とどうバランスを取って向き合っていくのか、考え続ける必要があるというメッセージでもある…のかなぁ?一応そう受け取った。

あとは最後の金栗四三の激走までノンストップで面白かった。特に赤い隈取り(帽子の色落ちw)が歌舞伎然としてるところとかサービス精神の塊って感じ。赤い色が落ちたのは史実らしいけど、隈取り風だったのはオリジナル…だと思ってるんだけど、どうなんだろう?最後にようやく主役が出てきたので、しばらくは金栗編モードで落ちついて鑑賞…できるといいなぁ。

クドカン脚本は「あまちゃん」がドストライクで大好きなので今年の大河も楽しみにしていた気持ちはあれど、大河っぽくない大河(謎定義)になりそうだなぁという漠然とした不安も発表時からず~っとあって、心から「面白かったぁ~!」と言えるか心配な面もある。年末にはそれを蹴散らす満足感で満たされていることを祈りつつ。近年の傾向を見る限りなんとなく叩かれ大河になる予感もするので、なるべくメディアの評価とか無責任な視聴率記事とかから目をそらしつつ、自分なりに楽しんで一年間お付き合いしたい。

そういえば、今回「夜明け前」で次回「坊っちゃん」だったから、サブタイは本の題名縛りでいくのかな?私は文豪の名作をほとんど読んでいない人間なので内容とは全然比べられないけど、そういうコダワリの小ネタは全力で応援したい。楽しみです。

西郷どん 第47回「敬天愛人」

思った以上に最後までドンパチしてたな~。そういえば清盛とかも最終回駆け足壇ノ浦だったっけ。最後までだらけずに画面に集中できるので、最終回が巻き展開なのは結構好きかも。真田丸が終盤の盛り上がりが(私の中では)完璧なまでの構成だったので、脳内でラストはあれくらい盛り上がって欲しいと無意識に考えてしまうけど、普通に考えたらあれは三谷さんの大河のために練りに練った構成力があってこそなんだろうし、一年間撮影に追われて走り続けなければいけない制作陣にとって最重要なのは「破綻しないエンディング」で、そういう意味ではとりあえず締めてきた感のある最終回だった。うん、締めようとはしてた。その意欲は充分に伝わった。

最後の最後で政府軍の西郷助命の降伏勧告に対して、半次郎が降伏を勧めてきたのはちょっと意外だった。なんか先週までの勢いだと死なばもろとも精神で担ぎ上げたのかと思ってたので。そしてそこで初めて明かされる西郷の真意!「不満を持つ武士を抱えて死んでいく」ってそのまま全部口にしちゃうのがちょっと残念だった…!この西郷はそういう気持ちだったのか、とここで初めて知る衝撃。もうちょっとこう…匂わせてくれても…いや、第40話でそういう感想書いてるからその時は多分そう思えたんだとは思うけど、ここ数回「ボウズシサツ」で呆然としてた西郷がやたら印象的だったので、てっきり「どういうことだ一蔵どん!」って胸ぐら掴みに行く気満々だったんだと思ってたよ…。

あと、仲間相手にその真意を口にしちゃうのもびっくりした。あれっていわば目の前の仲間に対して「俺たちは時代遅れの種族で滅びた方がいいみたいだから一緒に滅びようぜ!」って宣言に他ならないと思うのだけど、それってあの時点ではみんなで共有出来ていた心境ってことだろうか。最初っからそんな心持ちで蜂起はしないと思うんだけど、「武士の不満をぶつけて新政府を倒すぞ!」から「どうせ負けるけど最後に一泡吹かせてやろうぜ!」に変化した経緯とかタイミングとかがきっちり描かれていたら、もっともっと共感出来たんだろうに…まぁ共感出来すぎると(八重の桜みたいに)見ててツラすぎて多分批判のご意見がたくさん来ちゃうので、マイルドにした結果なのかもしれない。

思えば西郷のこの流れって月照さんと入水するときと流れが一緒だよなぁって思ったりも。あの時も西郷自身は死ぬ必要はなかったけど、月照に付き従う形で一緒に入水しようとしたわけで。今回は形としては自分が先導しているけど、西郷自身は新しい政府のやり方を受け入れていた(と描かれてたよな?)のに、不満を抱える周りの武士たちを放っておけなくて蜂起したように見えたし。そうやって相手に共感して生きるというのは実際に西郷の本質だったのかもな~と思うんだけど、であればそこをもっと魅力的に描いて欲しかったよなぁ~。最後まで主人公に心情的に寄り添えなかったのが残念。

戦闘シーンはショボいなりに(ショボい言うな)頑張ってたと思う。西郷が笑顔さえ見せて戦闘モードになってたのはなかなか興味深かった。鈴木亮平さんは結構クレバーに積み上げてキャラを作る人だと思うので、この時点では西郷達は既に戦をスポーツのような気持ちで楽しんでいたという解釈なのかもしれない。自分たちが死んで行くために政府軍に戦を仕掛けるというのは果たして西郷にとっての敬天愛人だったんだろうか、というのはちょっと考えてしまうけども…。全ての人を自分を愛するように愛する、の行き着く先が西南戦争だったという結論は…このドラマを見てる限りではちょっとすんなり受け入れるのは難しいかなぁ。

西郷の最期。最愛?の斉彬の「刀をぶら下げた武士の世界は終わる」という言葉を、不平武士が滅びることで「これで斉彬様の目指した世界が」って解釈するの斜め上過ぎませんか!?!?斉彬はそういう意味で言ったんじゃないと思う…武士が藩主となって民から年貢を搾取するみたいな封建制度が終わるってことが言いたかっただけであって、別に刀に象徴される武士という存在をこの世から消すことを想定してたわけじゃ無いと思うんだよな…。なんか上手いこと言って全体を締めよう感が漂っていた。これ知ってる…八重の桜の最終回で見たやつだ…。

西郷の自決を描かないってちょっと新鮮。有名エピソードをあえて外してくるのは映像的な理由なのかなぁ。西郷の自決のシーンを描いても描かなくても、この作品の印象って変わらないと思うので、こういう改変は別にいいんじゃないかなぁと思ったり。最期に満足して薩摩の大地に仰向けにごろんとなって死ぬっていうのは、せごどんとしては最高の死に方だったんじゃないかなって。そういう心象風景だと思えば良い終わりだった。

大久保の慟哭シーンは(シーンそのものは)感動できる出来なんだけど、大久保がどういう思惑だったかわかりにくくて…まさか西郷が助命勧告に従うと信じてた?従わないとは思ってもみなかった?そうで無ければあそこまで衝撃を受けることはなかったよなぁ。従わないという可能性を(受け入れられなくて)あえて考えることを拒否していたという解釈もありか。でも大久保ってそういうキャラだったっけ?むしろ常に最悪のシナリオを想定して、そうならないために全力で西郷を新政府から追い落とそうとしてたんじゃなかった?それに西郷が助命勧告に従わないことを考えなかったとすると、ここでも大久保は西郷を全く何も理解していないことになるんだよな…その辺でね。感動する気持ちをね。奪われてしまったんだよね。一心同体の親友同士のはずなのに、一度もわかり合っていないような西郷と大久保…なんだかとても虚しい。

最後に大久保の暗殺を描いていたけど、西郷が抱えていったはずの「武士の不満」は残り、結果的に大久保の死を招いたということになるわけで、そこもとても虚しかった。でも多分この虚しさは作り手の想定内なんだよな?西郷の「自分が死ねば戦はなくなる」は幻想で、むしろ大久保の死の引き金になってるという事実を突きつけてるってことでいいんだよな?最終回でこんな皮肉を突きつけられる西郷…哀れ。

なんだかなぁ…最後までクサしたくはないんだけど、やっぱり見終わって「で、結局西郷本人は最初から最後まで何がしたかったんだろうなぁ」って総括できちゃうのがちょっと切なかった。時代に取り残された者たちを全部引っ抱えて死んで行くというのは、後世から見たら西郷に対しての最大限の「生きた意味」だと思うのでその結論で最後を描くのは納得なんだけど、だからこそ西郷がどこでその考えに至ったか、その意思をどう描くかが大事なわけで、こんな風に最後の最後で自分の口から語られて初めて「そうだったのか」って思うとか無粋な極みだと思うわけで…。つくづく残念。

唐突な慶喜とふき!ふきの言い草が相変わらず「なんでこの人はこんなにわかったような顔で西郷贔屓なことばっかり言ってるんだろ?あなたに西郷の何がわかるの?」感に溢れていて、ブレてないなって。

前回「そんなとこで解き放たれても!?!?」と私の中で非難囂々だったワンコの帰還を描いたところは百点満点を献上したい。そこだけで私の中の中園さんの株が爆上がりした。

一年間見終わって、最後までいろいろずっとクサしてきたけど、でも嫌な気持ちにならずにずっと見続けられたし、感想も全話分ちゃんと残せたので有意義な一年間だったんだと思う。久光様最高。俳優さんたちの演技がとても熱量があって、圧倒されっぱなしだった。制作陣のみなさま一年間おやっとさぁでした!

西郷どん 第46回「西南戦争」

西郷隆盛の大河で西南戦争がたった1話で終わるとか(これまでの時間配分からわかってたことではあるけど)まさかと思うよな~。まさしくダイジェスト風西南戦争という感じ。先週のBSの英雄たちの選択スペシャルの2時間特番の方が内容詳しかったもんな~。そこが描きたいわけじゃないと言われたら黙るしかないけど、せっかく西郷隆盛を描きながら西南戦争をダイジェストにするとか(わかってたけど)実際に見るとやっぱりがっかり感がハンパない。

正直、西郷がどうして大久保との実戦を決意したのか、私には全然わからなかったんだけどそれは作り手的にはどうだったんだろう。一年間、これまで45回かけて西郷隆盛という人物を見てきながら、なぜ一蓮托生だった親友と袂を分かつことになったのか、なぜ一番救いのない内戦という結末に行き着かなければならなかったのか、本当にちっとも理解出来なかったし、当然その悲劇性すら実感できなかった。

西郷は本当に大久保に「自分を殺そうとしたのか」って聞くために東京に行こうとしたという解釈なんだろうか。そんなマヌケな理由で西南戦争が始まってしまったとして(それ自体はドラマとしても結構面白い解釈だとは思う)その後半年以上闘い続ける理由が全然ドラマ内から読み取れず(武士の意地とか執念とかそういうのもほとんど感じなかった)、ただただ西郷が負けを認める時機を逸し続けたようにしか見えないのは、西郷ドラマ的にどうなんだろう…?いやそもそも半年以上闘ってたように見えなかったし。あまり知識無くぼんやり見てて、西南戦争って二週間くらいで終わったんだっけ?という疑問を持ち、まさかそんなと思ってウィキペディア読んだら2月から9月までやってたらしいじゃないですか…そんな長く闘ってるようには見えなかったぞ…。

大久保の内面も全然想像出来ない。本心では戦いたくないというのは、先週あたりに「立たないでくれ」って祈ってたことから確かだと思うんだけど、その割に西郷を信用してはおらず密偵とか送り込むわ士族への弾圧を繰り返すわ、言動がちぐはぐに見える。事実としてそうなんだから仕方ないという事情もわかんないわけじゃないけど、そこを創作で「事実こうだったかもしれない!」と思わせるのが作り手側の力量ってやつじゃないのか。わからないものをわからないまま出されても、生煮えの料理を出されたような困惑しかない。

好意的に見れば西郷にも大久保にもお互い以外の生活があって、どうしようもない流れに流されるまま不本意に戦に突入せざるを得なかったみたいに感じさせたいのかなって思わなくもなかったけど、でもそれは思いっきり好意的に見ての話だし、そう思わせたいのかなって感じただけで、そう思えたわけではないからな~。これまで見てきた限りでは二人(というか主に大久保)が個人の喧嘩の延長で政治をやってるという印象しかない。ここまで薩摩にも新政府にも心情的に寄り添えない状態で西南戦争が始まりましたと言われても、戦争の悲哀すら感じられず、歴史番組の映像資料にしか見えなくてツラい…。

そして最後にぶっ込んできた糸どんの戦地訪問!そこからの「旦那さぁが西郷隆盛じゃなければ良かった」発言!多分ここが描きたかった(というかこうとしか描けなかった)んだろうなぁと感じさせるなかなか趣深い(揶揄)シーンだったと思う。私の邪推では、西南戦争はただ闘ってるシーンだけだとつまらないしそもそも興味無い→糸と隆盛の夫婦愛を入れたら締まる→糸に戦地に出向いてもらわなければならない→菊次郎が負傷した事実があるので心配で出向いたことにしよう、みたいな脈略でこの場面が作られたことになってるんだけど、夫婦愛シーンのダシにされてる菊次郎(邪推)哀れすぎない?

ほんのちょっとでも糸どんに共感出来たらもう少し感動を味わえたのかもしれないけど、正直糸どんが見ている西郷像と私が見ている西郷像って多分かけ離れているんだろうなぁって思ってしまい、糸どんが遠く見える…なんかこうメロドラマに浸ってるヒロインを見ているかのようなこそばゆい感情がふつふつと…。黒木華さんの演技の妙だけはじっくり堪能できたのが不幸中の幸いか。あと多分この「西郷隆盛じゃなければ良かった」が第一回の銅像を見ての糸どんの「こんな人じゃない」発言に繋がるんだろうと予測。

西南戦争で隆盛の末弟がいきなり登場していきなり退場してびっくりした。以前から出てきてたっけこの末弟。そして実家で姉が訃報を偲ぶまでの流れが思いっきりテンプレをなぞっただけに見えたのが悲しかった。なんて言うか、歴史資料との兼ね合い?それを盛り込んだことによる義務的な追悼シーン?みたいな…こういうの義務感でやられると結構見ててしんどいということがわかった。

今回一番作り手の熱を感じたのは、久光が新政府の使者(名のある人?)に対して「シサツとは視察?それとも刺殺?」って聞いたシーンだったかなぁ。西郷に肩入れしてるわけではないんだけど、それ以上に新政府が気にくわないからイヤミを言う久光のキャラが輝いていた。それにしても一年通して久光ほど成長して成熟したキャラっていなかったような。しみじみとこの青木崇高さんの久光を見られただけで、西郷どんには意味があったんだよなぁって思い返している。

次回は最終回。もう今からかなりどうでも良くて気楽に見られるのは確定しているので、ふんわりと一年を振り返りながらサラッと流したい。来年のいだてんの予告もあるだろうし、そこはめちゃめちゃ楽しみ。

西郷どん 第45回「西郷立つ」

わかってたけど、結局ふんわりとした理由で西郷が立った。わかってたけど。

ボウズシサツについては最初よく意味がわからなくて、見終わって身内と感想をツイッターでやり取りしてる最中に「もしかしてシサツって刺殺と視察の同音異義語で勘違いってこと!?!?」って突然思いついて脱力した。聞いたら結構有名な巷説(?)だそうで…そうだったんだ…刺殺と視察…いろんな意味でくだらなすぎる…。あとボウズが西郷のことっていうのはどこかで説明されてたっけか。文脈的に西郷のことっぽいとは思ったけど、明確にそう判断できる根拠がなくて混乱した。どこか見落としてるんだろうか。

ここまでずっと新政府のやり方に従う方針だった西郷が立つ理由が「信じてた大久保が自分を暗殺しようとした疑惑」だった(少なくとも私はそう読み取った)の、安定の個人感情拗らせドラマだなぁという印象。ここまで個人の喧嘩・認識のすれ違いが歴史を動かしてきた解釈が続いたらさすがに驚かないけど、逆にそればっかりで飽きてきたとも言える。これまで散々勘違いで痛い目見てきた(あるいは見せて来た)西郷が、己のこれまでの積み上げた経験を何一つ反省したり改善したりしてこなかった証でもあって、なんかこう…最後までそれかよ感ハンパない。

いきなり庄内藩の人が出てきてポカーンだったけど、紀行見たら「なぜこのエピソード本編でやらなかったんだ」案件だった。戊申戦争時に無視して進むことに決めたのにあえてこのタイミングで触れてきたの謎すぎる。こういうトリビアっぽい小ネタを盛り込むことを否定はしないけど、取り込み方や時期によってむしろ「頑張って取り込んでるドヤ感」が出てしまい、途端にショボさに変わってしまう気がするので取扱には注意した方が良いような。

今回やたら息子と風呂に入ってるシーン多かったけど、なんか意味あったんだろうか。これもかなり謎演出だったな…西郷が風呂好きとかの俗説とかあったりするんだろうか。風呂場に突然「私学校の士族が政府にたてついた」って報告が来て、裸で「しまった…!」する西郷とかシュールすぎて笑えない。そこまで深刻な状況でのんきに風呂入ってるってイメージ操作をする演出の意義とは…?サービスシーンのつもりなんだろうか…?謎。本当にいろいろ謎。

愛加那の娘がまさしく二階堂ふみさんの娘っぽい表情してて、キャスティングの妙を味わうなど。でも史実準拠なんだろうから仕方ないんだけど、島の娘が島から出ちゃいけないみたいな掟があるわけじゃ無かったんだな~ってモヤモヤした。「真実の愛」とか言いながら愛加那を本土に連れてこない理由がよくわかんないな~とは思ってたけど、結局のところ本土に連れてきて本妻にするほどの愛ではなかったってことかよ…とあえて穿った見方をして毒づいてみる。愛加那が島を愛しているのはわかるし、好意的に見れば愛加那自身が島から離れたくないと思っているのだろうとは思うけど、であればその部分を強調するエピソード欲しかった。

糸どんが西郷に「新しい国を見せてもらってない」と言ったのもモヤる。薩摩藩がなくなって鹿児島県になって、藩政が終わって中央政権が始まって、これだけ士族の不平不満がたまっている状態を見た上で「新しい国」になっていないと言われると…。いや、わかるよ。西郷が思い描いていた「理想的な新しい国」ではないって言いたいのはわかる。ただドラマ内で西郷は本当に心底一人で新政府内で頑張ってたし、心底頑張った上で無理だって思い知らされたから下野したわけで、そういうのを見てきてる視聴者に「あなたの考えた理想の国を実現させるために行くんですよね?」って正論で責めるの残酷すぎない?って気持ちになってしまった。この場で糸どんにそれを言わせる必要ってあったんだろうか?そもそも菊次郎に対しては「愛加那さんから預かっている大事な命なのだから行っちゃダメ」って言ってるのに、西郷に対しては「あなたの理想の国ために行くんですか?」って聞いてるし、糸どんの言動が一貫性無いように感じられて残念。

なんか、毎回同じようなグチばっかり書いてて自分でもゲンナリするんだけど、この脚本はそれぞれのシーンを綺麗にまとめるためにそのキャラが本質的にどういうキャラなのかがあまり一貫してないように見えるのが本当に残念。ゲンナリしつつもグチってしまう程に本当に残念。作者がこの登場人物はこういう人物像だと捕らえていて、だからこそここでこのセリフを言わせたんだ、みたいな一貫性を演技や演出から読み解くのが私にとっての大河(に限らないけど)ドラマの醍醐味なんだけど、西郷どんはその場の盛り上がりや場当たり的なまとまりの良さのための決めゼリフみたいなのが先に決まってて、それをその場にいるキャラに適当に言わせてる感があって、出来レースを見せられてるみたいなシラけてしまう感覚がずっとある。そういう部分が合わないんだろうなぁと思う。

今回ネタとして面白かったのが海江田の(だよな?いまだに誰が誰やら…)国父様のモノマネが上手すぎる件。メタネタとしてはかなり秀逸だったけど、海江田がそういう(国父様のモノマネをするような)キャラなのかって観点から見ると謎演出でもあった。そもそも海江田という人がどういう人なのかドラマから全然読み取れないし。そういうとこがホントがっかりなんだよな…(結局グチになる)。

西郷どん 第44回「士族たちの動乱」

確か今年はNHK働き方改革とやらで全47話だかだったと思うので、今回含めてあと4回で西南戦争で西郷が死ぬまでを駆け抜けるわけか。歴史ダイジェストって感じだな…まぁそういうコンセプトなんだろうなぁ。

今回はあまりこれといった印象深いシーンは無かったかな。やっぱり脚本の中園さんはその場の二人の感情の起伏(情念とか愛憎とかそういう感じのやつ)を書かせるとエモくて滾るシーンを作るなぁと思う一方、歴史の流れとか事象の繋がりとかそういうのには興味なさそうな感じがするな~。時系列とか伏線とかにあまり興味なさげというか。大河なので舞台設定とか小道具とかがしっかりしているのでそのあたり誤魔化されてるけど、チープなセットとかだとコントになってしまいそうな危うさがある気がする。いや、西郷どんは役者さんの演技力だけでシリアスドラマとして成り立つと思うけどさ。

薩摩に戻ってきた西郷のところに、半次郎たちが押しかけてきて「西郷先生じゃなければ日本を変えられない」と担ぎ上げようとするシーン。ある意味ただの好き嫌いの感情先行で、大久保憎しが極まって西郷神格化が進んでいくデススパイラル。そういう風潮の中、西郷が自分を担ぎ上げようとしてる士族をきちんと制御できないという図式は、太平洋戦争時の天皇と軍部の関係性でそっくりそのまま歴史は繰り返されるって感じなんだろうか。人は見たいものしか見ないし、そのために都合のいいように他人を意のままに操ろうとするという、人間らしい醜悪さがわかりやすく描かれてたように思う。いやほんと、小さな不平不満に根ざした悪感情から敵認定した相手を同じように憎む人物の集合がどんどん膨張して過激思想に走って行く様子、現在でもネットの至るところで繰り返されてるよなぁ…なんて思ったりも。

個人的にそういう人間としてどうしようもない部分をねっとり描かれるとテンション上がるんだけど、願わくばそういうどす黒い部分をストーリーの根幹にも絡めて欲しかったなぁ。シーンだけの継ぎ接ぎ感が強くなってしまっていて、せっかくの役者さんの熱演が「演技上手いなぁ」という感想にしかならず、キャラの心情が胸に迫ってこない。残念すぎる。

今回、大久保が進めている新政府の政策に対して、西郷は特に反対するつもりはないという描かれ方だったのだけど、だとすると西郷が立つ理由をどういう風に描くのか興味が出てきた。なし崩しだったらかっこ悪すぎて逆に新鮮なんだけどどうなんだろう?私自身は「八重の桜」で描かれた西郷モニカの「(自分を含めて)現在のやり方に納得がいかず不平不満を抱える士族たちをまとめて抱えて葬り去る」ための挙兵という物語に圧倒されたクチなので、それぞれの作者なりの西南戦争への物語をしっかり見たい気持ちが強い。

人斬り半次郎…これまで人斬りっぽいエピソード何もなかったなそう言えば…。確か2回くらいモブ士族に「あれが人斬り半次郎と呼ばれる…!」みたいに言われてた気がするけど、裏でどんな汚い仕事してたのか知らんけど、ドラマを見ている限りでは顔が良くて腕が立つ(らしい)若造って印象しかない。今回「戦場で最後に頼りになるのは刀だ!」って叫んでて、そういうキャラ設定なんだろうけどあまりに時代が見えてなさ過ぎて泣けた。取り残された士族の象徴なんだろうか。悲しい。

大久保家の正妻と妾。もっとえげつない修羅場にしてくるかと思ったらあっさりだったな~。個人的には八重の桜のあんつぁまの時くらい燃え上がって欲しかった。1と6のつく日はおゆうさんのところに行くらしいけど、1、6、10~19、21、26、31で合ってる?この変則的な分け方は何だったんだろう。史実??謎。

西郷どん 第43回「さらば、東京」

大久保~~~~~~~!!おまえ…おまえってやつは…!!今回もいろいろと言いたいことはあるんだけど、瑛太さんの大久保利通が演技的に素晴らしかったのでもうこれはこれでいいやと思った。圧倒的な演技で全部ねじ伏せられた。最近そんな感想ばっかりだな。

大久保と西郷の決別は、政治的な方向性の違いでもなければ西郷が全てを悟って捨て石となることを決意するのでもなく、なんとただの痴話喧嘩でしたって作劇に仰け反った。そういえばこのドラマ、鳥羽伏見も西郷と慶喜のただの喧嘩って描き方だった。そっか…そういう解釈なのか…いやまぁ、一貫しているといえば確かに一貫しているけども。

愛憎とは良く言ったもので、愛情が深ければ深いほど、裏切られたと思った時に反動で憎さは増すわけで。これまで大久保の執着の唯一の対象だった吉之助さぁが自分を選んでくれないとわかった瞬間から、大久保は完全に闇落ちして西郷排斥に動き出しちゃうわけで。そのあまりに極端な動きは政治家・大久保利通としてはどうなんだろう?と思いつつも、ドラマの作劇としてはかなり面白かった。まぁもともと政治的な部分を極端に排除したドラマだから仕方ない。

今回もうこの演技だけで勝ちでしょ、って思ったのが、「一蔵どんは自分を切り捨てたかったのか」と西郷に問われたときの「ん?うぅむ」みたいな相槌ね。あの、ギリギリの虚勢だけで取り繕ってる感じ、あれ最高に良かった。自分の味方ではなくなったと悟った瞬間から、西郷は大久保にとって「憎しみでもいいから自分に一番強い感情を向けて欲しい」相手になって、だからこそ一番西郷が最も嫌がる方法で排除しようとしたんだろうな。でもそれすらも西郷は全て飲み込んで「一蔵どんを嫌いになれるわけがなか」って許してしまう。その時の大久保の表情がまた良かった~。あの「あ、間違えた」って表情が素晴らしかった。

ただ、西郷が「これまでずっと二人一緒にやってきた」としみじみ言うセリフに視聴者として全く共感できなかったのはやっぱり残念な点かな。大久保がコンプレックスを感じるほどに西郷に固執していることは十分描かれて来たと思うけど、西郷が大久保に対してどれくらい心を許しているのかはわかりにくかったと思う。これは多分、西郷を「万人に対する聖人君子」みたいな描き方をしてきているせいだと思うんだけど、でもまぁ西郷って実際にそうだったのかもしれないし、このあたりは描き方も難しいよなぁ。

あと、大久保って(月照さんの時も思ったけど)西郷のことを肝心の時に読み違えるっていうか、そもそもお前は西郷のことをちゃんとわかってないんじゃないか?みたいな気にさせられたのも残念だった。固執しすぎて盲目的になってしまうことももちろんあるだろうけど、大久保に至っては一度でもちゃんと理解出来ていたシーンあったか!?と思ってしまうのが悲しい。もっと普段はガッチリはまっている二人という基盤がまずあって、その上でボタンのかけ違いでその基盤が崩れるという作劇の方が劇的だったと思うんだけどな。このドラマ内でガッチリはまっている二人を描いているつもりだと言われたら黙るしかない…。

今回熊吉も余韻があって良かった。長屋?で女性と仲良さそうにしていて、ついに熊吉にも春が!?でも西郷は政府辞めちゃったけど!?と思っていたら、薩摩に帰る時に少し寂しそうに未練を振り切っている演技がすごく印象的だった。あの、何かあったんだろうなぁ(でも具体的には描写しない)っていう演出がとても良かった。やっぱり部分部分はかなり好きなシーンも多い。

結構笑ったのが、西郷がおゆうさんに「一蔵どんが全国に鉄道を通したら鹿児島は近くなるから、皆で遊びに来い」って言ったこと。大久保の正妻のいる鹿児島に、妾に遊びに来いっていう西郷、かなりフリーダムw そんなに修羅場が見たいのか。私は見たい。

鶴瓶師匠の岩倉はもういろいろ諦めた。これはあれだよ。清盛での松田聖子枠だと思えばいいんだよ。大阪弁妖精さんだと思ってやり過ごす。それとは別に、明治編に入ってからの岩倉の老けメイクが精巧で毎回見事だなぁって思っている。そういう部分に手を抜かないスタッフの本気度は賞賛したい。

三条殿が伏せってしまい、西郷に「留守政府はよかった」と述懐するシーンはいただけなかった。ドラマ内でも山縣有朋の不正とか国政の停滞とか問題山積みでしたやん?西郷の韓国派遣にも結局回答出さなかったですやん?自分に都合のいい過去だけ美化している表現だとしても、この場面で三条にそういう言動をさせる意図が良くわからないし、ここは無くても良かったなぁ…まぁ、些細な部分だけど。

それにしても西南戦争ちゃんと終わるんだろうか…?

西郷どん 第42回「両雄激突」

大久保ついにダークサイドへ。前回の蜜月から一気に壊してきた感じするけど、残りの回数考えると巻きで進めないと西南戦争終わらないので仕方ない。ただ、大久保と西郷の決裂って結構大きな見せ場でもあって、最初からもっとそこを盛り上げるためのいろんな伏線張ろうと思えば張れたよね?という思ってしまうのが残念。やっぱり時間配分間違ってたよな~。大島編に4週はかけ過ぎだった気がするな~。所詮結果論だけども。

前回、大久保から西郷への感情は「嫉妬と執着のせめぎ合い」だなって思ったんだけど、今回それを更に拗らせてて、これこれ、こういう積み上げが見たいんだよ!とワクワクしながら見られた。明治編になってから、以前よりは見てて楽しい。これは自分が作品に慣れたのか、ようやく制作陣の作りたいターンがやってきたのか、そのあたりは良くわからない。なんかもう、鈴木亮平さんの西郷隆盛像に圧倒されて、なんでも良くなったのかもしれない。

大久保にとって西郷は、自分が欲する「他者からの信頼と尊敬」を一身に集める存在で(残念ながらその根拠はきちんと描かれていない気がするけれど、大久保が西郷をそう思っていることはわかる)、強い嫉妬があるのは確かなんだけど、一方でその嫉妬の対象である西郷が大久保自身を誰よりも信頼しているというところに強い自己肯定感も感じていて、だからこそ大久保から西郷への気持ちというのは厄介なんだろう。今回、大久保は遣欧使節団としての役目を果たせなかったことでプライドをへし折られてるところに、留守組の西郷が自分たちを差し置いて国政を思うように進めていて、何よりもそれが一定の成果を出しつつある(=自分の必要性が脅かされる)ところに強い危機感を抱いた結果、西郷に「自分に付け、自分を信じてくれ」って迫ってたのが面白かった。そしてその誘いを断られたことで、態度を一変して西郷排除のために全力で動いちゃう極端なところ、嫌いじゃない。でも現実問題として友だち付き合いはしたくない。

新政府の腐敗っぷりは今回も続行で、山縣有朋の絵に描いたような汚職事件は思わず笑ってしまった。刀の鞘にお酒入れて飲むとか俗物っぷりが潔かった。それにしてもせっかくの村上新悟さんの美声が全然聞けなかったのが残念。直江状とは言わないけど、もう少しセリフあっても良かった!