西郷どん 第44回「士族たちの動乱」

確か今年はNHK働き方改革とやらで全47話だかだったと思うので、今回含めてあと4回で西南戦争で西郷が死ぬまでを駆け抜けるわけか。歴史ダイジェストって感じだな…まぁそういうコンセプトなんだろうなぁ。

今回はあまりこれといった印象深いシーンは無かったかな。やっぱり脚本の中園さんはその場の二人の感情の起伏(情念とか愛憎とかそういう感じのやつ)を書かせるとエモくて滾るシーンを作るなぁと思う一方、歴史の流れとか事象の繋がりとかそういうのには興味なさそうな感じがするな~。時系列とか伏線とかにあまり興味なさげというか。大河なので舞台設定とか小道具とかがしっかりしているのでそのあたり誤魔化されてるけど、チープなセットとかだとコントになってしまいそうな危うさがある気がする。いや、西郷どんは役者さんの演技力だけでシリアスドラマとして成り立つと思うけどさ。

薩摩に戻ってきた西郷のところに、半次郎たちが押しかけてきて「西郷先生じゃなければ日本を変えられない」と担ぎ上げようとするシーン。ある意味ただの好き嫌いの感情先行で、大久保憎しが極まって西郷神格化が進んでいくデススパイラル。そういう風潮の中、西郷が自分を担ぎ上げようとしてる士族をきちんと制御できないという図式は、太平洋戦争時の天皇と軍部の関係性でそっくりそのまま歴史は繰り返されるって感じなんだろうか。人は見たいものしか見ないし、そのために都合のいいように他人を意のままに操ろうとするという、人間らしい醜悪さがわかりやすく描かれてたように思う。いやほんと、小さな不平不満に根ざした悪感情から敵認定した相手を同じように憎む人物の集合がどんどん膨張して過激思想に走って行く様子、現在でもネットの至るところで繰り返されてるよなぁ…なんて思ったりも。

個人的にそういう人間としてどうしようもない部分をねっとり描かれるとテンション上がるんだけど、願わくばそういうどす黒い部分をストーリーの根幹にも絡めて欲しかったなぁ。シーンだけの継ぎ接ぎ感が強くなってしまっていて、せっかくの役者さんの熱演が「演技上手いなぁ」という感想にしかならず、キャラの心情が胸に迫ってこない。残念すぎる。

今回、大久保が進めている新政府の政策に対して、西郷は特に反対するつもりはないという描かれ方だったのだけど、だとすると西郷が立つ理由をどういう風に描くのか興味が出てきた。なし崩しだったらかっこ悪すぎて逆に新鮮なんだけどどうなんだろう?私自身は「八重の桜」で描かれた西郷モニカの「(自分を含めて)現在のやり方に納得がいかず不平不満を抱える士族たちをまとめて抱えて葬り去る」ための挙兵という物語に圧倒されたクチなので、それぞれの作者なりの西南戦争への物語をしっかり見たい気持ちが強い。

人斬り半次郎…これまで人斬りっぽいエピソード何もなかったなそう言えば…。確か2回くらいモブ士族に「あれが人斬り半次郎と呼ばれる…!」みたいに言われてた気がするけど、裏でどんな汚い仕事してたのか知らんけど、ドラマを見ている限りでは顔が良くて腕が立つ(らしい)若造って印象しかない。今回「戦場で最後に頼りになるのは刀だ!」って叫んでて、そういうキャラ設定なんだろうけどあまりに時代が見えてなさ過ぎて泣けた。取り残された士族の象徴なんだろうか。悲しい。

大久保家の正妻と妾。もっとえげつない修羅場にしてくるかと思ったらあっさりだったな~。個人的には八重の桜のあんつぁまの時くらい燃え上がって欲しかった。1と6のつく日はおゆうさんのところに行くらしいけど、1、6、10~19、21、26、31で合ってる?この変則的な分け方は何だったんだろう。史実??謎。