西郷どん 第17回「西郷入水」

月照さんとの逃避行なんだけど、やっぱりこの描き方だと完全に月照さんがお荷物モードなんだよねぇ。いや、事実としても確かにそうだったのかもしれないけども、こうやって吉之助側の助けるメリットが(吉之助自身の正義感以外)全く無いように描かれてしまうと、物語上の吉之助(の正当性)のために月照さんを安易に消費してる感がハンパなくて、なんか居たたまれない。月照さんが吉之助にとって(京都で朝廷工作に尽力してくれた以外で)どういう人物だったのかもっと描いて欲しかった。同時に、月照さんがどうしてそこまで吉之助に命を預ける覚悟をしたのかも、納得いく描かれ方がされたら良かったのに…とも思う。

薩摩への逃避行はそりゃー大変だったんだろうけども、追っ手に見つかりそうになる&逃げるというシーンしか無いので、単調になってしまった気もする。かといって他にどういうシーンを入れたらいいのかはわからんが。そして大変そうな割にあっさりと吉之助の実家にたどり着いたように見えてしまい、終わりがあっけなさ過ぎた。

正助が吉之助を生かそうと奔走するのはまぁ、わかる。わかるんだけど、その方法が「月照を斬れば吉之助が許される」だったのは、正助がノーテンキ野郎だということをアピールしたかったからなんだろうか。吉之助が月照を斬るという決断が出来る人物だと思っているとすれば人を見る目がなさ過ぎるし、友人のこと何もわかってないってことじゃん…。吉之助の本質を見抜いた上でこの作戦を立てたのなら、吉之助を騙したり恨まれてでも結果を出すというエピソードにした方が良かったんじゃなかろうか。中途半端にみんないい人にしたせいで、結果として正助は「吉之助がそこまで助けたいと思っていた人をあっさり殺せばいいと言ってしまえる友人気取りの勘違い野郎」に見えてしまって悲しかった。その上吉之助に入水の覚悟を決めさせてしまうという超裏目を引かせる上に、それに気がつかない無能野郎にもなってしまっているんだよね…切ない。

正助から月照を斬る案を聞いた吉之助が、その場で素直に受け入れたフリをして心中を決意するというのも、シーンの展開としては美しいのだけど、これまで見てきた吉之助がそういう決断をする人物か?という素朴な疑問から逃れられない。斉彬が死んで絶望しているが故の決断なのかもしれないし、あるいは吉之助の成長…というか新たな面での覚醒を意図しているのかもしれないけど、やっぱりこの流れで心中決意するのって月照さんに失礼すぎる気がするし、何よりもこれまでの吉之助のキャラと違いすぎる。良くも悪くも素直バカで目の前の人物と一対一で熱くぶつかり合うことしか出来ないのが吉之助ってイメージだったので、ここのシーンに違和感ありまくり。今後の展開のためにムリヤリキャラを動かした感が残るんだよね…いや、そういう風にお話を作ること自体はすごく良くわかるんだけど…。

そして入水。唐突に放り込まれるBL感にあっけに取られる。これまで吉之助と月照さんの関係性を超薄味にぼかして来たのに、最後の最後で抱き合って入水…演出の意図がさっぱりわからない…最後の最後で仕方なく(シーンの美しさに紛れさせて)原作との帳尻合わせてきたとしか思えん。そんな突拍子もないBLはやめて欲しかった…普通に手だけ繋いでドボンしてくれた方がまだ私の好みだった。最後に抱き合わせるなら、もっと前から二人の精神的なBL感を煽って欲しかったなぁ。尾上菊之助の美しさだけを頼りに、時々月照と吉之助が見つめ合ってただけじゃん!そんなのただの記号でしかないじゃん!もっと!心の!繋がりが!見たかったんじゃ!!

いや、そもそも斉彬が死んだときに吉之助に「生きろ」と諭した月照さんが、こんな「(自分は別に死ぬ必要はないけど)お供します」風な言葉に対して「心強いですなぁ」とか言うかね?それだけ絶望してたってこと?せっかくあの気高く美しく麗しい月照さんなのだから、吉之助だけは生かそうとするというような、高潔なエピソードにしても良かったんじゃ?いや、これ先の展開を知らないとか、心中に成功してたとかの結末ならわかるんだけども、見ている方は月照さんだけが死に、吉之助は生き残るという史実を知っているので、登場人物が悲劇に酔ってるような気持ちになってしまい、どうしても素直に感動できない…。

幾島が篤姫の元から去るシーン。篤姫がわざわざ「汚名を被る覚悟を…!?」と言ってくれて「なるほど、そういうパワーバランスなのか」ってわかったけど、願わくばセリフじゃない演技で把握したかったよね。

久光ぼんくら回だったけど、未来に繋がる布石を感じた。今後の覚醒を楽しみに待ちたい。あと、もうこの作劇上仕方ないんだろうけど、斉興一人を悪役にするのやめて欲しかった…。