西郷どん 第28回「勝と龍馬」

焼け野原となった京を絶望した目で見渡す吉之助が、生き残った犬を助けるシーン。西郷の犬好きのエピソードに絡めてあるのだろうし、実際に犬がじゃれる姿はかわいくてほっこりしたし、今後この犬が西郷に付き従うのかと思うと楽しみでもあるんだけど、親を探す子供や怪我人が画面に映った後なので、犬だけじゃなくて人も助けるべきなのでは…?という気持ちになってしまった面もある。誰もいない廃墟だったら気にならなかったと思うんだけど…。でも本当にこの犬かわいかったのでにゃんけい和尚並みのレギュラーメンバー化希望。

勝海舟と龍馬と吉之助の出会い。この時勝海舟は幕府の海軍奉行?だったと思うんだけど、この段階から幕府に愛想尽かして「見限るこった」とか言っちゃうと今後の勝海舟の言動が意味不明になりそうじゃない?と思ったけど、良く考えたら別に勝海舟がどういう思想でどういう政治を目指しているかなんてこの大河で語られるわけがないので、言動の意味不明さなんて問題にならないことに気付いた。多分、吉之助の気付きや決断のきっかけとして、都合良く所々でもっともらしいことを言ったりする役割になる未来が見える。わかる。わかるよ。最後まで結局誰だかわからなかったけど、吉之助に「革命」の言葉を吹き込んだ沖伊良部島の謎の老人枠ってことでしょ。あと、勝が「見限るこった」と言った時、斬新にも2回繰り返しの演出になってたけど、大事なことなので2度言いました状態になってたけど、アレは笑いを狙ったってことでいいんだろか。あそこで笑いを取る必要性がさっぱりわからん。

誰も彼もが吉之助に会うと「薩摩の西郷どん」として持て囃してくるのもいい加減慣れてきたというか指摘するのも飽きてきたというか。ただ、やっぱり制作側に「はーい、みなさーん!西郷は誰もが敬愛する人物だったことにしまーす!そう決まってるんでその設定でお願いしまーす!」って押しつけられてる感ばかりが募る。私はその設定の根拠となる創作が見たいんじゃ!(もうスッパリ諦めたけど!)

吉之助と慶喜の決定的な決裂。映像的な見栄え重視、ドラマ性重視であることは全然悪いことではないと理解しつつ、さすがに将軍後継役に単独会見を挑んだ上で足元に刃物突き立てるのはいろいろと盛りすぎでは…?遠山の金さんならばともかく…と思い、ふとこれは遠山の金さん的な大河なんだったと思い出す。そうだった、そうだった。ツッコミはむしろネタ的に楽しむためにあるんだった。ただ、遠山の金さんだと思えば脚本のノリは結構納得できるのだけど、そうすると逆に役者の演技が迫真過ぎてアンバランスなような気はする。役者は重厚な大河をイメージして演技してる気がするんだよなぁ。そうなるとこのバランスの悪さは演出の問題なのかもしれない。鈴木亮平さんと松田翔太さんの芝居そのものは面白いので、多分歌舞伎の演目みたいなイメージで、場面の繋がりとか意識せず、登場人物以外の存在や背景などをまるきり無視して、そのシーンの役者の全力の演技を楽しむドラマというのが一番正しい見方なんだろうな。それを一年間、50回近く連続でやる意味は特に見当たらないけど。

今回ようやく(?)吉之助は慶喜を見限るわけだけど、そもそもこれまで吉之助(というか斉彬)が慶喜を一生懸命盛り立ててきた理由も全然わかってないので、「お、史実に帳尻合わせてきたね?」という感想しかない。その上、龍馬が取り持つ前に「薩摩は長州と組む!」って宣言してたけど、吉之助にそんなこと決める権限あるのだろうか。そして龍馬の功績を全部横取りすることになりそうだけどいいんだろうか。まぁ、いいんだろうな。これまでも慶喜を(キャラとして魅力的だとは思うけども)将軍に相応しい人物だと思ったことはなかったので、むしろこれまでの斉彬がなぜ慶喜にあそこまで肩入れしていたのかという疑問(&人を見る目がないのでは?という疑念)だけが残った結果となった。

そういえば、思わせぶりなふきどんへの「おなごの出る幕じゃない」にはどんな裏があったんだろ…真面目に見てないからかもしれないけど、意図が全然読み取れなかった。ふきどんに重荷を背負わせないため?長州征伐の結果で自分が慶喜の気持ちを変えられると思っていたから?わからない…。今後この伏線(なのかどうかもわからんが)が回収されるときは来るのか。あと大久保と久光はこの瞬間どこで何をしているのかサッパリわからないんだけど、それもこれも「登場していない人物はそもそも存在しない」と考えれば別におかしくはない。

予告を見る限り、来週は3回目の結婚話だそうで。幕末のこの流れに突然ホームドラマぶち込まれることに違和感あるけど、多分来週1回だけ見たら全然違和感のない作りになっているんだろうなっていう予感がする。それはそれでちょっと楽しみ。