いだてん 第27話「替り目」

金栗さん退場の回。もう四三は出なくなるのかなぁ。50年後にストックホルムでゴールテープ切るのは映像映えしそうなエピソードなのでやりそうな気はするけど、それ以外は前半のまーちゃん程度のワンカット出場になるのかもしれない。

実次兄の死。いくら父親代わりと言ってもそんな年じゃないよね!?と思ったら急性肺炎…普段元気な人ほどぽっくり逝くのよな…。これまでの回想シーンが涙無くしては見られない。そして改めて見ると最初の頃の若々しい雰囲気にびっくりする。衣装やメイクの力も大きいと思うけど、やっぱり自然と年を重ねる演技あってこそだよなぁ。そして幾江さんの言葉もさぁ…。「最期までお前のために頭を下げて回ってた兄上のそばについていてやれ」って…号泣。私こういうのに本当に弱くて、特に「もう会えない相手が、なんの見返りも求めずどれほど自分のことを想ってくれていたかを自覚する」というシチュエーションにめっぽう弱くて、今回はそれを第三者から指摘されるという役満揃ってて泣くしかない。その幾江さんも足腰が弱るほどに年老いているのがわかるシーンになっていて、四三が引退(熊本への帰省)を決意することへの説得力がハンパなかった。

今週の孝蔵。ここまで来るとどれだけ魅力的なクズを描けるかという挑戦と見るべきだと覚悟を決めた。実際には感謝している、言葉にはしないけどすまないと思っている、なんていうシチュエーションに1ミクロンほども心を動かされない自分にとってはどこまでいっても孝蔵はアウトなんだけど、おりんさんにとっては惚れた相手なわけで、そうなったら腹を括るしかない…んだろうなぁ。でもさすがにエピソードが酷すぎるからか、今回「いないと思って本音を零したら本人に聞かれた」というお約束エピソードで中和してて苦笑しつつやっぱり面白かった。このシーンで「高座に上がって欲しいですよ」とぽつりと呟くおりんさん美しかったなぁ…。大根監督はこういうライティング演出好きよね。これで孝蔵が心を入れ替えたり…しなそう。むしろここまで来たらクズを極めて突き抜けて欲しい。

とにかくまーちゃんの騒がしさに圧倒される。あの早口&ハイテンションの演技をひたすら続ける阿部サダヲさんに脱帽。あらゆる相手に傍若無人に好き勝手言いまくるんだけど、早口過ぎて言ってる内容が無礼だと気付いた時には話題が変わっていて怒るに怒れない、みたいな相手の反応が面白すぎる。まーちゃんが戦略としてこういうやり方してるなら強かだけど、多分これはただの素なんだろうなぁ。そしてオリンピック参加費を国に出させるために「これからはスポーツを政治に利用すればいい」って言い切っちゃうの、すげー。絶対何も考えていない(というかお金を出させることが最優先で後は全部口からでまかせ)なんだと思うけど、これが後々響いてくるのかそうでないのか。スポーツと政治についてはどこまでツッコんで描くのかとても気になる…。

最後に四三のことを「金栗さんは特別だ」って言ってたとこ、あそこは私的にはまーちゃんらしくない言葉というか取って付けたような違和感あるなと思ったけど、多分最後の四三の「さよなら」に続けるための前振りと、きかれていないと思って本音を言ったら聞かれていたという孝蔵のパターンの繰り返しの意味があったんだろうなぁと推測する。あるいはここまできて初めて見せたまーちゃんの「可愛げ」ってやつなんだろうか。そう言えば今回シレッと上司に「結婚したいから相手紹介して」って言ってたけど、また見ていて微妙な気持ちになる夫婦が出来るのだろうか…。おりんさんといいまだ見ぬまーちゃんの妻といい、規格外の結婚相手は大変だよなぁ…。

いだてん 第26回「明日なき暴走」

人見絹枝物語。ドラマとしての完成度は本当に素晴らしかった。菅井小春さんの演技の「人見絹枝さんって本当にこういう人だったんじゃないか」と思わせるパワーに圧倒されたし、ライティングや画面構成、小気味よいセリフの間などの演出に何度も見入ったし、笑いと苦みの入り混じる絶妙な宮藤官九郎節に心底打ちのめされた。でも、その内容がさぁ…! 描かれた人見絹枝さんの壮絶な人生がさぁ…! こうやってドラマのたった一話として消費されてしまっていいんだろうかとか、こんな悲しくてやるせない話を「感動した」とか語っていいんだろうかとか、今の時代はこの時から少しでも前に進んでいると言えるのだろうかとか、モヤモヤする気持ちを整理できない。

人見絹枝さんのことは、有森裕子さんの銀メダルフィーバーの時に「人見絹枝以来の日本女子陸上のメダル」と散々言われていた(気がする)ので、その時名前を知った。でも、当時それほど陸上に興味がなく、そういう名前の人がいたくらいの認識しかなかった。今回その人生が女子スポーツ振興の人柱そのものであったことを知って愕然とした。人間とはかくも学習能力のない生き物であるのか…。現在もきっと同じようにそこかしこに人柱をたてているのであろうことに絶望する。

河野に象徴される「国民」は、みんながみんな「人見絹枝」に期待する。各々がそりゃーもう勝手に「日本の希望」とかを託して期待する。「人見絹枝は負けない」という言葉の「人見絹枝」が彼女個人ではなくそれぞれの思い描く「日本人を象徴する何か」に差し替わっていることに恐怖しかない。そういう人たちのために何で彼女があんなに苦しまなければならなかったのか。そして多分そういう風潮は今も変わらず続いていて、そのことを多分このドラマは訴えているのだと思うんだけど、強いメッセージ性というよりは寓意というか微弱な電波くらいの発信性のような気もして、妄想電波を受け取っているかのような戸惑いを覚えている。この胸のモヤモヤをどうしたらいいんだ…。

国民性なのか人間という生き物の原罪なのか。なぜ我々は他人に勝手に思い入れ、そして勝手に裏切られたと傷つき、やがて勝手に攻撃するようになるのか。自分の感情を守ることが最優先で、相手に感情があることを徹底的に無視するその姿勢は今も変わらずむしろ増長しているようにも見えるし、自分にもそういう「人間の性質」があるのだと突き付けられているようで抉られる。こういうとこ、このドラマは本当に容赦ないと思う。

有森裕子さんのメダルが「人見絹枝以来」だったことは、有森さんの功績という意味で使われているのだろうしその功績は確かだけど、人見絹枝さんと有森さんだけが奇跡的に身体的に優れていたというはずもなく、その間の女子陸上の才能はいろいろな要因で摘み取られてきたのだろうなぁと容易に想像がつき、そこでもやるせない気持ちになる…。そう考えると嬉しそうに連呼できる言葉でもないし、これまでそこに全く気付かなかった自分の無関心さにもゲンナリする。

今回はドラマがあまりに素晴らしかった結果、その内容があまりに深く胸に刺さり、そこから派生して自分が今社会に感じている矛盾なり嫌悪なりのマイナス部分が炙り出され、結果的に自分一人で鬱々とした想いを持て余すという、よくわからない経験をしている。面白いドラマによって社会の面白くない部分をより一層意識するというこの構造、もしかして「社会派」というやつでは!?これまで理解できなかった「社会派」というジャンルこれでは!?と目から鱗。もしかしたら見当はずれかもだけど、私にとっての分類はこれでいい。思えば竹早での女子スポーツの時も同じようにダメージ受けて感想止まってたなぁと思うと、私にとってのクリティカルな部分ってこの辺なのかな。そして宮藤官九郎さんとの相性の良さ(あるいは悪さ)もこの辺なんだろう。時にはこういうドラマも必要だけど、もっと楽しく心躍るドラマを見たいという気持ちも無くはなく…ジレンマ。

増野さんとりくちゃん。シマちゃんの志が受け継がれていることに涙する。増野さんの「人見絹枝、バンザーイ」という言葉でも、多分「人見絹枝」は「シマちゃんの女子スポーツへの夢」に容易に置き換わっていて、増野さんですらそうなのだから、人間というのはそういう生き物なのだと受け入れていくしかないのだなぁと思う。そういう生き物であるという自覚を持ちながら、それが相手あるいは他者の負担になり過ぎないように注意して生きていくしかないのだろうなぁ。生きるって難しい。

まーちゃん。本当に心底そばに寄りたくないキャラなんだけど、そういう人がいないと前に進まない何かはきっとある。でもやっぱり近寄りたくない。無神経に見えるんだけど相手の感情を理解できないわけじゃないんだよな。むしろ理解しながらギリギリのところで攻めてくる感じはサイコパスの素質有りなのでは…?そしてそういうキャラに一定の魅力を感じてしまうという事実に苦虫を嚙み潰したような顔になる。まーちゃん…怖い男…。

人見絹枝さんと二階堂トクヨさん。「ご幸福ですか」という言葉の残酷さが浮き彫りになってた。「スポーツの成績と結婚、両方掴める」と応援した二階堂トクヨさんは善良な人だと思うけど、「競技スポーツは嫌いだけど、あなたは品があるから応援したい」という言葉も私には結構残酷に響いた。トクヨさんにとっては人見さんが傷つき苦しむ姿は自分の理想とする「女性の品格」みたいなものを補強するもので、だからこそ人見さんを心から応援して支えたのだろうなぁと…それは結果としては人見さんを救ったのだろうし、だからこの場では正しい結果なのだけど、誰にでも通用する真理ではないし、そればかりを尊ばれることに対するモヤモヤと言うか…うーむ。トクヨさん、いろいろ解釈が難しい人だ。でもドラマの人見絹枝さんは心底トクヨさんを頼りにしていたし、あの校長室(?)での光輝くシーンは本当に美しかった…。

人見絹枝さんの死がナレーションで済まされてしまったのは多分メッセージ性を強め過ぎないためだったんじゃないかと思うし、紀行でもさらりと流されていたけど、どう見ても無理がたたっての早世だし、才能に溢れた若者を使い捨てる社会に絶望しかないけど、今は途上でもその頃より少しでも前に進んでいると信じたい、信じるしかない…そうでなければ悲しすぎる。

いだてん 第25回「時代は変る」

今回から第二部。さてどうなるんだろうって思ってたら、田畑のまーちゃんが第一部以上にテンション高い状態で45分ぶっちぎってて笑ってしまった。まさか視聴率とかでこれだけ再放送したりよくわからん番宣したりしてる状態で「ついてこれない奴は置いていくぜ」って言い切るような第二部初回にしてくると思わないじゃないですか~! あーでも番宣や再放送決めてる人たちと現場のスタッフは違う人なのかな。現場の士気は下がっていないようで何より。このまま突っ走って欲しい。

ただすごく面白くて楽しい45分なのだけど、1度見るとお腹いっぱいで2回見ようとか思わないのは確かで(直虎とかは見直したりしてた)、そういう部分がいわゆる一般受けしないのかなぁとも思わなくもない…。あと、制作側から選別されてる感じは確かにある。「自分は面白く思えるから大丈夫」っていうのは、ある意味上から目線の感想であって、そういう感想を持たせる(雰囲気のある)作品そのものが全部気に食わない、と思う人は確かにいる…それも結構たくさんいる…ような気がする…そういう意味では視聴率が全然回復する兆しが無いのもわからなくもない…。朝ドラでは「女子高生が主人公」という強烈な縛りがあったからそのあたりがだいぶ中和されてた…のかなぁ。

まーちゃんがまたものすごいメンドクサイ人間に育ってて笑う。寄席で大声で噺家に話しかけるとかオリンピック報告会で思いっきりヤジ飛ばすとか、いわゆる「空気読まない」の筆頭として突き抜けてて、もう絶対に絶対に近くにいて欲しくないタイプなんだけど、見ているとやっぱり愛嬌で誤魔化されてしまうんだよなぁ。新聞社でも上司に気に入られてて(リリー・フランキーさんすごい素敵)苦笑するしかない。これは孝蔵もそうで、多分クドカンさんの持ち味なんだろうけど、やっぱりこういうタイプに生理的に近寄りたくないと思ってしまう私はクドカン作品と相性悪いんだろうなと思う。でも面白いからすごいなぁと思うんだけど。おそらく引き際というかオチでのバランスのとり方が上手いんだろうな。

相変わらずお金のない体協で、相変わらずのメンツがヤケクソになって「初心にかえって選手は自腹で」とか言い出すのが情けなさ過ぎて面白い。嘉納先生も相変わらずの癇癪もちで、全然人間として成熟されてなさげで何より。肝心な時にさえ間違えなければ、上の人は日常は多少厄介でも愛される。そして陸上と水泳などの個別スポーツ団体が力を持つようになり、それをまとめる体協にどんどん力がなくなっていく描写は、面白可笑しく描かれてたけど結構深刻な組織の構造だよなぁという気にもなる。どうしても組織は細分化するし、それぞれがそれぞれの利益を優先するようになり、結果として全体は空洞化していくんだよな…難しいね。

突撃アポで高橋是清からオリンピック資金をふんだくることに成功したまーちゃん。きな臭くなってまいりました~!政治と金とスポーツ!これからどこまで食い込んで描くのか!?時代も戦争に一直線だし、どういう描写にするのかめちゃくちゃ期待している。

薬師丸ひろ子さんがめちゃアヤシイ占い師さんで、今後も多分要所要所で出てきそう。そのうち歌ってくれそうで期待してる。桐谷健太さんは前の朝ドラでも見てたし最近ず~っと見続けている気がする…こんなNHKに出続ける役者さんになると予想してなかった。来年の織田信長も楽しみ。しばらくは水泳連のメンツが裸要員なのかなぁ。斎藤工さんは相変わらずカッコよかったけど、それよりなぜか皆川猿時さんに釘付けとなってしまった。奇人オーラはイケメンオーラを塗りつぶす…。

いだてん 第24回「種まく人」

「さすがの金栗さんも熊本に帰りました。…四年ぶりです。」上手い。森山未來さんのナレーションのタイミングと相まって、ツラいシーンの中でもクスリと笑える。いや、ツラいシーンの中だからこそ笑ってしまうのかもしれない。制作側に手のひらで踊らされている感じがするけど、本当に上手い脚本に手玉に取られているのは本当に楽しいので無問題。もっと躍らせて欲しい。

熊本での幾江さんの言葉が本当に…本当に…それでこそ私の(?)幾江さん…!私は幾江さんは本当に四三をダメ婿(養子)だと思っていると思うけど、それは幾江さん自身にとってダメなだけであって、マラソンやスポーツという世界では希望の存在たりうることもちゃんとわかってるとも思うんだよな。その価値を自分は全く評価しないけど、評価する人がいて、その人たちにとっては大事なものであるということも理解している。そして大事に思われている世界で力を発揮することは悪いとは思っていない。幾江さんにとって価値がなくても、他の誰かにとって価値があるなら、その力を存分にふるえと応援することが出来る。その描き方が本当に素晴らしくて幾江さんの魅力に満ちていて「クドカンさん最高!」と万歳三唱したい。好き。いや、実はマラソン選手としての四三のことも(口には出さないけど)誇らしく思っていて応援しているという解釈の方が正しいのかもしれないけど。そっちでももちろん好き。

そして一方でスヤさんが「負けて帰ってきてもいい」と言う存在であるというのもすごく良かった。個人的にスヤさんは幾江さんが言わなければ今回幾江さんの言ったようなことをいずれ四三に言った気もするけど、でもあの場では妻として四三を庇う立場なの、幾江さんとうまく役割分担しているようにも見えてキュンとした。幾江さんとスヤさんの嫁姑関係、心から推していきたい。

避難所で昼間は笑い、夜は泣いているという話と、スポーツによる復興(大運動会)の話。清さんが嘉納先生の提案に最初は反対してみせる件、なんかものすごく胸にドスンと来てしまった。あと清さんが自治会長(?)をやっているというのがものすごくびっくりしてしまった。いや、清さんは漢気のあるリーダーになれる人材というのは全然納得なんだけど、そういう「代表」とか柄じゃないって言いそうな気がして。小梅もそろって面倒見がいいので、夫婦で信頼されているという描写なのかもしれない。

最初清さんが運動会にいい顔をしないのはすごく気持ち的にわかってしまった。嘉納先生たちは多分被災者を全体としての総量で見ていて、清さんたちは被災者個人の積み上げで見ているんだろうな。それはどちらも正しくて、嘉納先生たちの考え方だって絶対に必要なのだけど、現場で個々で戦っている人たちには「それじゃない」感があるのも仕方ない。そういえば全然描かれていなかったけど、嘉納先生自身の被災状況はどんなだったんだろうか。だいたいいつも(くたびれてはいても)身なりがきちんとしているので、家とかは残ったのかな。

今回アバンで嘉納先生が自らの夢の集大成であるスタジアムにすすんでバラックを建てたことで「さすが嘉納先生」って思ったけど、清さんとの言い合いで思わず「私のスタジアムに」みたいなこと言ってて笑ってしまった。聖人になり過ぎず、時々俗人としての本音が出るところもとても愛おしい。

人見絹枝さん再登場。シマちゃんはこうやってきちんと女子スポーツの襷を絹枝さんに繋いでいたんだなぁ。願わくばちゃんと自分の目で見て欲しかったよなぁ。自分の蒔いた種が芽吹くのを見届けて欲しかった。けれど、叶わない願いがまた残された人を高みに導くのもきっと真実だったりもするのかもしれない。運動会の観衆の中で笑うシマちゃんの幻と、それを見て泣き笑いする増野さんのシーンも切なかった。頭のどこかで諦めながら、心と別の頭の部分で諦められずにシマちゃんを探し続ける増野さんが、この瞬間本当の意味で「諦める」ことを受け入れたのかなぁ。

人見絹枝さん役の菅原小春さん、演技経験はこの大河が初めてと知って感嘆する。ご本人の才能にも心底称賛しかないんだけど、この人にこの役をやってもらいたいと思いついて企画を通す人の「見る目」みたいなものに何よりひれ伏したい。こうやって新しい分野に花開いていく才能もあるんだなぁ…。たたずまいがちょっと市川実日子さんに似てる気がする。市川さん大好きなので菅原小春さんの雰囲気もとても好き。

これで第一部完。次から主役交代なので雰囲気変わるのか楽しみ。阿部サダヲさんは前半にもちょこちょこ出てたので、今後も中村勘九郎さんはちょこちょこ出てくれるのだろうか。この後時代はどんどんきな臭くなるけど、どんな風に描かれるのかも楽しみ。ぐいぐい追いつくぞ!

いだてん 第23回「大地」

前回さんざん感想に悩まされた「女性解放を訴えるための方法」的な部分は、今回えっらい雑に「父親と娘で走って競争」で収束して拍子抜けだった。いや~お父さん、いくら女性と言えど18歳の若さに勝てると思ってるとかちょっとスポーツを舐めすぎでは…?と一瞬思ったけど、今の女子生徒はそれこそごく一般的な体育は男子とほぼ同じことやってて若いうちは身体能力が高いというのも常識だけど、基礎的な「体を鍛える」ということすらこの時代は(特に女性は)してないという状況だったのか?と気づいて、改めて「普通の教育」って大事だな…としみじみ思うなど。今の私が当たり前のように享受している「普通」も、昔は全く普通ではなかったんだと改めて思うのはこういう時。いついかなる時でもちゃんと忘れないようにしたい。それに「普通」になったはずの今でも理不尽なことは全然なくなっていないことも忘れずにいたい。

村田父はわかりやすい男尊女卑男性ではあったけど、多分突き詰めていけば富江ちゃんをきちんと認めることのできる人なんじゃないかという予感が、負けた後の虚勢を張る姿のかわいらしさ&後半の震災シーンで表現されていたように見えて良かった。こういうクドカンさんの「下げっぱなし」じゃないところ、とても信頼できる。

そして、冒頭の女子スポーツ勃興の一場面を些細な事にしてしまう、圧倒的な関東大震災の描写に思わず唸る。あまちゃんでの東日本大震災描写を見た時も言葉もなく見入ってしまったけど、クドカンさんはこういう「抗いようもない災害を被ってしまった人間の弱さと強さ」みたいなのを描かせると本当にすごいものを出してくるな…。悲惨さを前面に押し出した映像とかはほとんどないのに、さりげないメタファでこちらの想像力をぐわんぐわん揺さぶられた。孝蔵が瓦礫の壁の前で映像を投影されながら喋るシーンとか、うわぁ、すごい映像見てる…!ってゾクゾクしたし。

登場人物の感情が動くことを表現するシーンで「脚本と演出と役者の演技が神がかってる」というパターンは、大河を見てるとだいたい1年通して数回くらいはあるよなって思うのだけど、今回の孝蔵がただ震災の状況を喋っているシーンは、誰かの感情が(少なくとも表面上は)動くわけじゃない、すごく魅せるのが難しいシーンなんじゃないかと思っていて、そこでこの「脚本と演出と役者の演技が神がかってる」という最高の状況が作り上がったのが本当に素晴らしかった。願わくばリアルタイムで見て感想書きたかったよね…。でも世間から時期がずれてるからこそ落ち着いて自分の頭で感想を書き残せるのかもしれないと思うので、これも良かったと思うことにしよう。

9月1日の浅草凌雲閣。正午直前に清さんと小梅とすれ違っているので、シマちゃんも助かっていて欲しかったけど、五りんの話でほぼ絶望的となってショックだった。まさかシマちゃんが関東大震災で退場するなんて…でも嘉納先生と四三とミルクホールで「まだこれから走れるよ」って話してるとこでもうフラグ立ちまくってたもんなぁ。

増野さんが「増野シマさ~ん」って探す姿がさぁ…呼び捨てじゃなくてフルネーム+さん付けっていうのがさぁ…増野さんの性格をよく表しているようでグッと来てしまった。そして増野さんがシマちゃんを探しながらも心の中でどこか諦めているのがわかってしまうの、すごく胸が痛かった。増野さんに「既に諦めかけている」と自覚があることがさらにツラかった。自然と「走って欲しかった」と過去形になってしまっていることがしんどかった。でも、その気持ちがわかりすぎるくらいにわかってしまうのがイヤだった…自分もこういう時すぐに諦めてしまう方だからこそ余計に抉られた。

清さんと四三が出会えた奇跡。この時代、テレビもなくラジオは…(調べた。大震災は1923年、ラジオ放送開始は1925年だから)ない、広く情報を届ける手段のない時代。張り紙の尋ね人広告だけが頼り…なんとも想像もつかない社会がたった100年前だということがいまだに本当の意味で理解できていない気がする。それでも再び会えると信じてお互いを探して歩く姿に言葉もない。

清さんがひとしきり四三との再会を大げさに喜んで、そのあとに増野さんに気付いて「つらいことばかりだから、ちゃんと喜べることを喜ばないと」というのは、東日本大震災の後の過剰な自粛ムードに対する応えでもあるのかなぁ。自粛ムードというか、自粛ムードに便乗して他人の言動を諫めようとする動きに対する反論というか。虎の威を借る人の言葉にはこれからも抗っていこう、と妙な決意を新たにもしたり。

ビートたけしさんの志ん生パート、今回なんかすごくよかった。いつもは、ビートたけしさんはどう見てもビートたけしさんで、全然落語家さんに見えないなぁと思ってたんだけど、今回「どうして別れないのか?」「寒いから」というのを五りんに説明している部分の喋り方がなんかすごく「粋」な感じで、あぁ「フラがある」ってこういうことなんだなぁって理屈じゃない部分で理解した気がする。この「寒いから」が若き孝蔵夫妻の初めての心の触れあいっぽいシーンに繋がるのも、小細工なんだけどすっごい上手かった。でもやっぱり孝蔵のやってることはクズそのもので許せないけどな!(孝蔵みたいな人物がリアルで自分の目の前にいたら軽蔑の視線を送ってしまうだろうなという意味であって、孝蔵というキャラクター造形そのものはすごく好き)

次で第一部完。世間は人見絹枝で盛り上がっている…早く追いつかねば…

いだてん 第22回「ヴィーナスの誕生」

今週の孝蔵。相も変わらず相手の好意をそのまま質屋で金に換えてしまうダメっぷりを遺憾なく発揮中。なんかさぁ…孝蔵はそういうやつだってわかるけど、そこが孝蔵の愛嬌(フラ?)だってわかってはいるけど、それでもやっぱり「ホントこいつクズだな」って思っちゃうのは仕方ないよな。そしてなんと結婚話が舞い込むんだけど、これがまた酷い話であった…。

小梅ちゃんの口調がすっかり女房っぽくなっていてほっこりした。でも孝蔵の結婚相手にあんな育ちの良さそうなお嬢様を連れてきちゃうのはちょっと相手に対して誠実じゃないっていうか…結果的におりんさんが孝蔵に惚れてるっぽいからおさまったけど、親の立場から見たらこの男はなくない??おりんさんの父親も人を見る目がなさ過ぎじゃない!?真面目そうとかどこがだよ!?結婚相手の持参金をそのまま遊郭と賭け事に使っちゃうとか安定のクズっぷりでブレない。孝蔵のダメっぷりは史実もあるんだろうしどうしようもないけど、そこはかとなくこういう破天荒なエピソードが武勇伝ぽく感じられる描写な気がして、なんだかなぁという気持ちになったりもする。昭和パートの描写で「当時を振り返って苦笑してる」おりんさんを見ているからなんとか笑いに出来るけど…。

今週は女子スポーツ事始めという感じだった。人見絹江さん登場。四三よりシマちゃんの方がその将来性をいち早く見抜いているというのが面白かった。このドラマの四三は間違いなく誰でも分け隔てなく熱心に指導してくれるだろうし、その指導には定評があるのかもしれないけど、他人の才能を見抜いて育て上げるみたいなのは向いてないのかもな~。そういう「結果が全て」の指導者じゃないからこそ、竹早の女子生徒たちが慕うのかもしれない。それにしても「パパ」呼びのヤバさはハンパなかった。スヤさんですらドン引きだったからな…。

竹早でスポーツに目覚める女子生徒と、単に行儀作法だけ身につけてお嫁に行って欲しい父親との意識のズレ。そのズレが表面化するきっかけが美川君のアヤしい(どう見てもアヤしい)闇写真販売というのがなんとも美川君らしいというか、美川君の使い方が神がかってるというか。他人の日記や手紙を見るのに葛藤が無いというエピソードといい、こういうダメっぷりで美川君というキャラが積み上がっていくの、本当に上手いなって。いや、それにしたって女子学生の生足の写真売るのは人としてどうなんだろう。

記録のために生足で走っちゃう富江ちゃんのひたむきさは良くわかるし、四三の言ってることはこの上なく正論でごもっともなんだけど、今回の話を見ている限り、悔しいけど保護者達が四三を辞めさせようとする動きも「さもありなん」と納得せざるを得ないというのが正直なところだった。この流れで四三の主張は、正しくても絶対受け入れられないもんだよな、と。それは言い方だったりその時の社会の「常識」だったり力のある者の個人的な意地だったり、本質的な部分と違うところでケチがついてその意見は黙殺されていく。

これは多分意図的な演出だと思うのだけど、女性(に限らずいわゆる弱者)に対する理不尽な社会的抑圧に対して、今回四三のように高らかに正論でNOを突きつける行為は一見爽快に見えるけれど、多分その瞬間は絶対に周囲を納得させることは出来ないという残酷な現実を描き出していたんだと思う。どう見ても四三の言葉は(女性にとっては)正しいのに、絶対にあの場では(男性を主体とした)保護者を納得させることは出来ないよなぁって直感でわかる。もうどうしようもないくらいにわかってしまう。盛り上がり始めたマイノリティの解放運動がどんどん過激化していく図式の再現に見えて、なんかしんどかった。

今回ここで引っかかってしまってずっと感想が書けなかった。ツイッターとかですごい評判良かったし、私も四三の啖呵に一時スッキリはしたけど、それが保護者に通じないという描写が妙にリアルで、そして保護者に通じないことにも納得してしまう自分もいて、それが自分の中の見えない天井のようにも思えたりもして、なんだか自分の感覚が信じられなくなったりもして。何度見ても、このシーンをどう受け止めたらいいのか答えが見えない。

あと、四三が「靴下云々は家でやってくれ」って言うのは思わず笑ってしまった。趣旨は本当にその通りなんだけど、そもそも一番お互いの主張がかみ合っていない問題点から勝手に一抜けしちゃうの、さすがに対話をする気がなさすぎるだろってツッコミしかない。そう考えると、四三の演説に感動しつつも「ん?」て思ってしまうのは、四三にとっては女子スポーツの振興こそが最優先なのだけど、生徒の保護者には彼らにとっての最優先の事項があり、そのすり合わせもしないまま「あなたたちの価値観が間違っている」って言い切ってしまっているからかな。こういう対話の席で演説をしてしまうことの滑稽さがよく出ていたシーンだったとも思う。もちろん、それがダメというのではなく、むしろ四三が「対話による懐柔」みたいなことが全くできない直情型の体当たり人間だということがよくわかって、それはそれでとても良いシーンだったと思う。

全然まとまってないけどとにかく書き終わらないと次の感想にとりかかれないのでもう終わる。こんなところで躓いてしまった~!次は関東大震災らしくて震える…怖い…でも見たい…

いだてん 第21回「櫻の園」

OPまたスヤさんの場所が変わってた。もはやこの程度の変更は通常運行

個人的に、今回四三が「女子スポーツの振興に携わりたい、熊本には帰りたくない、スヤさんは東京に残って欲しい」という要望を言い出した時は「勝手なこと言いおって~!幾江さん一人でかわいそうじゃん!」とかなりマイナス評価だったんだけど、結局のところこの四三を無理矢理熊本に戻らせて教員にしたとしても、鬱屈としてかなりめんどくさい事態になりそうな予感はプンプンするので、「好きにしろ」としか言いようがないよな~とは思った。そして、四三をそういうめんどくさい男として設定したことをすごいな~と思う。あらかじめ四三の人生の大筋は(史実だから)決まっていて、そこに説得力のあるストーリーを与えるためにキャラ付けは重要だと思うのだけど、養子に入りながら金栗姓を使い続け、地元に戻らずマラソン三昧という客観的な史実のためのキャラ付けとしてすごく納得できてしまうの、上手いよなぁ~って。

で、小ネタの多い女学校編。薄汚い体操服で帰宅途中の女子生徒に声をかける姿が完全に不審者で笑うしかない。永井先生のテニス指導からの香水振りかけあたりで「きっつ~」って耐えられなくなりそうなところに、どう見ても駆け足ねじ込み気味の女子やり投げによる生徒懐柔がトントン拍子に進む展開、あまりに嘘くさくて逆にネタとして笑って受け入れやすかった。四三はヤバい人一直線だったけど、全員が「シャン」だって言うところとかは持ち前の天然人たらしっぷりを発揮してたな~。あのあたり完全に嘉納先生に影響を受けている気がする…ヤバいヤツに師事してしまったなぁ。

女子生徒がスポーツに目覚める展開そのものはテンプレをネタとして使って時間短縮したってイメージだった。四三の人生だけの大河だったらもっとゆっくりできたのだろうけど、今回主役が途中で交代する大河なので尺足りなかったのかも。これだけ尺がなくて端折ってるのに、テニスボーイ姿の永井先生のカットはしっかり入れるあたりに、ネタは意地でも入れるという制作側の熱が感じられて苦笑せざるを得ない。

シマちゃんの結婚。あまり本筋に関わらないので全然いいんだけど、シマちゃんの家庭環境はついに全くこれっぽっちも明かされることがなかったのちょっと残念だったな~。三島家の女中から「女学校への入学を目指して」カフェで働きながら学び、その後女学校教師というかなり生粋の職業婦人となった経歴を見ると、すごい先進的な家庭かすごいフリーダムな家庭なんじゃないかと思うんだけど…。でもまぁシマちゃんの家庭環境がわかったらさらにキャラ掘り下げになるかというと、別に必ずしもそうではないだろうし、取捨選択の結果なら仕方ない。

増野さんの言動があまりに理想的過ぎて、逆に裏があるのかと訝しんでしまった。ただ単に現代になってもこれが理想論だと感じてしまうことへの皮肉ってだけかなぁと今は思っている。それにしても、こんなに先進的な考え方をする人であれば、トクヨさんも実際に会ったら野口君を諦めて結婚を考えたかもしれないので、運命は(というか脚本は)残酷だなぁ…。シマちゃんの「走りたい」という夢はそのままでは多分叶わないのだろうけど、この感じだと子供がオリンピックのマラソン選手になるとかそういう流れだろうか。五りんの父親が箱根駅伝走ったって言ってたけど、そっちに繋がったりするのかな。楽しみ~

小梅と清さん。清さんがいい男なのは確かにその通りなのだが、あの小梅が清さんとくっつくまでの展開がむしろ興味深いのでそこをもっと見せて欲しかった。でも多分こうやって隙間ありまくりの妄想ふくらましまくりの方が楽しいのかもしれない。若い頃の小梅は絶対清さんと一緒になるとか考えもしなかったと思うので、ここは二人が積み重ねてきた年月が感じられて良かったなぁ。そして美川君を追い返すシーンは、口でキツイことを言いながらも小声で気づかう小梅に、「やっぱり美川君のダメっぷりは情が移るよねぇ」って苦笑いした。