おんな城主直虎 第47回「決戦は高天神」

ドリカム? 副題の元ネタはドリカムなの!?


信康事件から家康が、そして徳川家が再び立ち上がる回。前回、石川数正が瀬名と一緒に姿を消したということが家康含め家臣に知れ渡ったことで、この後石川数正の立場ってどうなっちゃうわけ?って心配だったんだけど、ちゃんとこうやって帳尻合わせてくれるので、自分の中での森下さんに対する信頼感が(これまでも高かったのに)さらに爆上がり。数正は前回瀬名に「信康様の無事を見届けたら某も」って言ってたし、無事どころか信康がああいう結果になったら後を追う以外ないよね…(でも史実的には…?)ってところからの忠勝のスーパーファインプレイにそう来たか!ってテンションが上がり(忠勝の嬉しそうな表情がまた愛しい)、何より忠次の「共に生き恥を晒してくれ」ってセリフに心を打たれた。瀬名に続き信康まで失ってしまった数正が、今後も徳川に仕えていこうと思うにはそれなりの説得力が必要だと思うのだけど、あの忠次の言葉と表情には心を動かされるものがあった。そして、一度は頑張ってみようと思ったものの、その傷は癒えずに後日の数正の出奔となるんだろうなぁって納得できてしまった。すごいよ~二年越しの納得スゴいよ~!


忠次の描き方がめっちゃいい。近藤殿もそうだったけど、こうやって視聴者にとって不快な結果をもたらす原因となった人物を、不快な部分を誤魔化さずに書きつつも最終的に憎めない人物に落とし込むのが本当に見事。おそらく一度心底憎らしいって思ったからこそ、その反動で感情が揺り戻してるんだろうなという理屈はわかるんだけど、実際にこうやって不自然じゃないように描くのって実はすごく難しいよなぁ。さすが森下さんとしか言いようがない。

 

分裂の危機にあった家康が岡崎の家臣の結束を高める演説。反省の言葉に対して康政が「そこまで言わなくても」って止めるのもこの人らしくてイイヨイイヨって思うし、それを止める万千代の成長の著しさにもイイネイイネって思う。万千代が康政と違う面で家康の信を得ているとわかるのが素晴らしいし、何よりも尊いと思うのは、康政も万千代のそういう(自分には無い)才覚を認めた上で内心嫉妬してるところだよな。内心嫉妬しつつも理性で抑えてる&万千代自身に対して純粋に一目置いてるのが滲み出てるところが最高。そしてそれをこれまた上手く演じてくれるんだよなぁ。

 

副題ではさも大戦だったような印象だけど、ドラマ内では戦シーンすら無かった高天神の戦い。雨の中で苦渋の表情を浮かべて開戦を命じる家康の、織田に対する立場の弱さが印象強い。ただ、織田は確かに憎らしい描かれ方をしているけど、その根底は一貫して「徳川はあまり強くなりすぎてはいけない」という理念に基づいた扱いなのが面白いなって。家康の高天神攻めでの「そのまま武田を囲ってしまえ」という方針はつまり、織田にとっては武田の力の一部が徳川に流れてしまうだけで、織田の利益にはならないってことなんだろうな。とすれば、この策を妨害するのは織田側の戦略として正しいし、家康も多分それがわかるからこそ従うしかなかったんだろう。徳川があからさまに(信康や瀬名の時のような)弱体化させられるという訳じゃないというのも、反発するには弱い題材だというのもあるかもしれない。

 

この作品の信長の言動は非情だけど、家康を憎んで嫌がらせしてるようには見えないのって地味にすごい。それは最終的に家康が望んだ駿河をきちんと仕分けしてきたことからも読み取れる。正しい働きには正しい報酬を。ムチで締め付けた後にはきちんとアメを。絶妙の加減で「それでも織田に逆らうよりは従う方がメリットが大きい」と思わせることに成功してるってことで、信長をそういう面で優れた人として描いているからこそ、こんなにも憎らしい信長を結構好意的に見てしまうのかもしれない。

 

おんな城主直虎 第46回「悪女について」

瀬名様回。瀬名様のお美しさをひたすらに堪能し、その悲しい最期を偲ぶ回。政次の回に「嫌われ政次の一生」という副題を付けて、瀬名の回に「悪女について」って副題を付けるというコダワリにただただ感服する。実際には見た者だけがこの副題の意味を理解するという仕掛けがニクい。


酒井忠次みのすけさんの演技が本当に素晴らしかった。今回の、織田を恐れてヘロヘロになりながらも、連絡調整役としての仕事をまっとうしようとしている姿は涙(笑い含む)無くしては見られなかった。気賀攻めの時の酷い仕打ちで印象最悪から始まったのにもかかわらず、その後の描写の積み重ねでこの人が愛すべきお茶目さんであることはわかりすぎる程わかってるんだよな。所々で意見が合わなかったり失敗したりもするけれど、明確に悪だったり間違っていたりすることはなくて、あくまでも人間関係の中での仕方がない摩擦だって思えるのがすごい。ドラマの登場人物を誰も彼も等しく好意的に見られるということのストレスの無さ&心地よさがハンパない。信康事件に関してはヒール一直線の信長ですら「でも信長だもんな~仕方ないよな~この後本能寺だしな~」って思っちゃうもん。


信長。相変わらずどこから声出してるのかわからない演技がジワる。信長ほどの歴史ドラマ常連になると、今回はどのパターンの信長像にするのか、そしてそれをどう演じるのか、みたいな見方になっちゃう気がするけど、直虎の信長は割と王道を行きながらも目が離せなくて不思議な感じ。相手が酒井忠次の時ならまだわかるけど、家康を這いつくばらせて瀬名の首を差し出させる不遜さ(名目的には徳川は同盟相手なのに!)で、自分は椅子に足組んで座って「好きにするが良い。わしも好きにするがのぅ」って言い放つ姿にゾクゾクした。あの「殺せ」と直接は言わないのにそうせざるを得ない空気を作る能力スゴい!!そして言われた時の絶望的な家康の目と、その後すぐに信康の自刃シーンに持っていく演出素晴らしかった…今回の演出誰だろって調べたら渡辺一貴さん…政次の最期もあなたでしたよね…あと清盛の叔父上回も…視聴者の精神の抉り方をよくご存じでいらっしゃる…。信長については、先日見たBS番組「英雄たちの選択」によると、最近では黒幕は信長説よりも徳川家の内紛説の方が有力なんだとか。その根拠として信康については信長は家康に「好きにしろ」と言ったという文書があるらしくて、それをこういう作劇にするのかぁって唸った。

 

瀬名様。もうひたすら瀬名様が美しかった。菜々緖さんの美貌が光っていた~。あごのラインまで美しい…あとまつげがめっちゃくるりんってしてた…。今回に限らず、直虎という作品においてはいかに瀬名を美しく撮影するかに力入れてる気がしたな。直虎役の柴咲コウさんの美しさは人間としての等身大の美しさだけど、菜々緖さんが演じる瀬名はとにかくどこまでもお人形のような煌びやかさが画面から溢れてた。

 

おんな城主直虎 第45回「魔王のいけにえ」

の、信康ぅ~~~~~~!!

これまでちょっとずつ描いてきた家康信康親子のお互いへの愛情を知っているからこそツラいこの展開。一方、悪役として割を食ってるのは全ての元凶にされてる信長なんだけど、このどう見てもゲームから出てきたとしか思えない現実離れっぷりに「さもありなん…この人は人外ですから…」って諦めすら抱かせて、信長自身の評判を落としていない(人外だから)というのが面白いなぁと。俗説では徳姫のチクりで信長が怒ったことになってるらしいけど、この話の中では徳姫は側室の件には納得している展開だったという解釈も好感度大。「徳姫は夫思いだのぅ」っていう信長のセリフ(どこから出してるんだこの声!?)と、銃声と鳥の羽で見せる演出素晴らしいな。鳴いてても(鳴いてたよね?)殺したよこの信長…怖っ!!

そして明らかにババを引いた酒井忠次。ただ、あの状況で岡崎独自の企みってことにせざるを得なかったのには同情を禁じ得ないけど、その脳裏に生まれたばかりの長丸(後の秀忠)の存在と岡崎(というか信康)軽視の感情が無かったわけではないんだろうな~、そうじゃなかったらもっと必死に抵抗したんだろうな~っていうのは正直ちょっと思った。だからこその家康の「まさかとは思うが」発言なんだろうし。それにしてもそういう(=いざとなったら首を差し出す)考え方や落とし前の付け方が当然になってる戦国という時代の恐ろしさよ。酒井忠次が責任感から言い出しにくい場面で「信康様を諦めるべし」って言った時に本多忠勝も反対してないしなぁ…みんなが内心ではそうするのが一番いいって思っているってこだよな、切ないなぁ。

於大の方が家康に「信康を切れ」って言ったシーン。事前に於大の方の兄が家康に切られているという説明を受けてもなお、この言葉はあまり心に響かなかったなぁ。以前に瀬名に対して思うところある姿を見てたし、瀬名に対して好意的でなかったのは史実だから仕方ないとしても、信康に対してもう少し可愛がっているシーンが入れば、もう少し説得力あったと思うんだけど。それでも、だからこそ、家康と信康のお互いへの愛情が悲しいし切ない。

岡崎に家康自ら乗り込んできて信康に幽閉と自害を言い渡すシーン。阿部サダヲの表情が生気を失って固まってるの、スゴかった。あの感情を何も映し出さない目。そして信康が家臣に言い含める姿を見ているとどんどん表情が戻ってくる演技がまたスゴかった。お家のための犠牲と一旦覚悟を決めたものの、やり取りの中で息子の跡継ぎとしての素質を目の当たりにして、決意が翻る様が手に取るようにわかった。演技ってすごい…役者ってすごい。

あと、印象的だったのは、家康が信康に沙汰を言いつけた時に、即座に瀬名が「罪ならば私が」って追いすがるところ。この時代、真実謀反を企んでいたかどうかはあまり関係なく、この場合は織田にそう言われたことでもう逃れようがないことは明白で、その場合は誰かが責任を取らなければならないというのが、共通認識として共有されているというのが痛いくらいに伝わってきてヒリヒリした。同じように信康の傅役も「自分の首で」って言ってて、こんな覚悟を当たり前のように共有し合う時代ってどういうことだよって絶望する。

岡崎城に直虎と万千代を偶然にも同席させて、そこで信康事件の一部始終を目撃させながら、二人には一切口を開かせなかったのが英断だったなぁ。不自然なほどの主人公不在感になってしまうにもかかわらず、あそこで傍観者のままでいさせたことが直虎の成長であり生き方の変化であり、万千代にとっては今後の成長の原因となるんだろうなって思わせてくれたのがありがたかった。


・初っ端で長丸の傅役について万千代が「オレのこと?」って顔芸してるのめっちゃ笑った
・一方、自意識過剰な万千代に「何言ってんだお前」って顔する康政もまた最高に笑った
・でも終わってみれば傅役の覚悟と重責について万千代に思い知らせるための呼び水だったのが本当にエグかった
・康政先輩がカッコよすぎる。まさか尾美としのりに萌える(?)日が来るとは思わなかった
・そして氏真!? ここにきて氏真!!! ついに氏真の蹴鞠が火を噴くか!?!?

おんな城主直虎 第44回「井伊谷のばら」

今回結構ベルばらをそっくりそのままオマージュしてたな~。おとわが祐椿尼に「要約:女でありながらこんな人生が送れて幸せだった」って言うところはまんまベルばらじゃん!って。これまで副題のパロってなんとなく意識してる程度だったと思うんだけど、今回結構そのまんま引用レベルでびっくりした。森下さんがそれだけ好きなエピソードってことなのかなぁ。個人的にはあまりにそのまま過ぎてもうちょっと捻ってくれよぉ~って思ってしまったけども。これがギャグパートとかだったらそのままでも全然笑えたと思うんだけど、シリアスでそのまま引っ張ってこられると「お、おぅ」って気持ちになる。もちろん、テーマそのものは心の底から納得するものだったけどさ。

「今日は田畑を焼くだけだ」って言われて拍子抜け(というか明らかにガッカリ)する万千代の表情~! 田畑を焼かれる百姓の身になって考えて見ろよぉ~~~;;;; お前ホント子供だな! おとわがダメ出ししてるのはそういうとこだぞ! 自分の野望のためだけにまわりが存在するんじゃないんだぞ!! いくら万千代の言動が可愛くて面白くても、こういうところでまだ幼くて全体を見る目がないってところを描いてくるのホント上手い。だからこそ、終盤の万千代とおとわの対決でおとわに精神的に寄り添えたんだろうな~。これだけ万千代を魅力的に描きながら、その猪突猛進ぶりを心配するおとわの気持ちに共感出来るのって本当にすごいバランス感覚だと思う。そして、

色小姓に対する揶揄シーン面白かったぁ。絶対あの時代もあーいうことあっただろうなってすごい納得してしまった。とはいえ色小姓としてのメリットを最大限活かすというのは万千代が選んだ道なわけで、だからこそギリギリ歯ぎしりしながら我慢してる姿も面白可笑しい。万千代を見ていて思うのは、苛烈で傲慢な性格なのにこんなにも万千代が可愛く思えるのは、彼が引くべきところ、黙っているべきところでじっと耐える描写があるからだよなぁと。色小姓扱いされて戦に出してもらえない時に、不満を万福にぶちまけた上で、気持ちを切り替えて不審者捜しに精を出すところとか。野望を抱きつつその時自分が出来ることに手を抜かない生真面目さを描くことで、そのアンバランスさそのものが魅力になってるんだろうな。

最後に遠山の金さんプレイで己の武勲を誇示してまわりを黙らせたエピソードは、そこだけ見ると嘲笑をはね除ける爽快なシーンだったけど、そこで爽快さだけじゃなくて裏に展開する不穏な気配までも描く演技や演出が素晴らしかったな~。万千代の己の満足のためだけの行動で、思わぬ方向(信康の家臣の謀反が表沙汰になる)に飛び火して、その自覚が全く無いという描き方がエグくて良かった。ここは今後万千代の成長の材料になるんだろうか? 先が楽しみだ~あと6回しかないとか信じたくない。

おとわVS万千代の直接対決。ここ、私の気持ちは完全におとわに同調していて、自分のことしか考えていない万千代の言い分には寄り添えないし、だからこそおとわが「やれるものならやってみるがよい」って対決姿勢を崩さないことにもスカッとするんだけど、その上で万千代の言い分も「わかる」って思えるのがすごいなって。完全に共感は出来ないけど、万千代が「諦めることを選んだ」おとわを許せない気持ちは理解できるなって。それは若かりし頃のおとわの気持ちでもあって、結局そこに行き着くには自分自身の人生でいろいろなことを体験して体得していくしか無いんだろうなぁと菩薩顔で万千代を見守る気持ちになる視聴者がここに。きっといつか二人は和解出来るだろうって思える、前向きな対立だったように思う。良かった。

祐椿尼の退場。おとわの役に立ちたくて万千代を呼び寄せた功労者(?)。おとわに「話は出来ましたか?」って心配そうに聞く姿に涙腺崩壊した。直前のおとわと万千代の決裂があった上でこの問いかけ…キツかった。ただ、これまでの祐椿尼の聡さならば、おとわの表情から交渉が決裂したことはすぐに把握しそうなのに、「役に立ててよかった」って言うのは老い表現?それとも今は対立しててもいずれはわかり合えると信じている描写?そこだけ気になったけど、その後の「ずっと案じていたいですね」で号泣した。こういうのズルいよ~;;;;;; そして、意見が対立していつつもおとわは万千代の初陣に心配ばかりしていたのも事実なわけで、おとわも万千代を「ずっと案じていたい」んだろうなぁ…そうやって受け継がれていくんだろうなぁって考えるとホント…ホント…(再び号泣)

おんな城主直虎 第43回「恩賞の彼方に」

万千代の話が面白すぎてこのまま万千代の人生を全部やって欲しい欲求がどんどん大きくなる。何故来年の大河は井伊直政じゃないんだ!? ただ、直政物語はすごく面白いんだけど、じゃあ井伊直政で一年大河やってこれだけ面白かったかというと…森下さんが書いたらやっぱり面白かったかもしれないけど…今の面白さは、これまで「井伊家」をじっくりと描いてきたからこそ感じる万千代への、まるで我が子を見守るような感情があるがゆえの面白さのような気もして、そういう意味で「おんな城主直虎」の中で井伊直政を描くという、この描き方が私は好きなんだと思う。

先週色小姓話でフラグ立ててきたので、多分これは事実は無しってオチだろうなぁと思ったけど、やっぱり(ドラマ的には)そういう結論だった。でも世の中は他人がどう見るか、己がどう言うかで判断されるものでもあり、劇中で万千代自身が「殿の寵愛を得た!」って堂々と宣言してるわけで(さり気なく万福まで巻き込んでるw)つまりはこの時代の彼らの中ではそれが周知の事実となるわけだよな。そして実際に万千代の家康への心酔度合いを見ると、いつ既成事実になってもおかしくないというこの描き方! 上手い! なんとも腐女子心がくすぐられる設定であることよ。さすが森下さん、ごちそうさんで弟とその親友に萌えてたふ久という最強腐女子を描いただけある…。

小姓のお仕事(朝の支度編)はワンシーンだけだったけど面白かったなぁ。そして先輩の冷たい待遇にめげないどころか、やりたい放題の万千代。健康オタクの家康に取り入るキッカケとして薬を使えないか?と作戦を練る。こうやって小道具を次々と繋げていく演出が相変わらず上手い~。そういえば龍潭寺は薬に強いお寺っぽい描写だけど、あれはあの時代の寺はそういうものだったのか、それとも龍潭寺独自の色なんだろうか。あえて万千代や家康が「井伊の薬」と言うからには、井伊(というか龍潭寺)の薬技術が飛び抜けて優秀なものだったのかもしれないな~。

いかにも熱血ヒーローな万千代のスペックをちゃんと実務的な能力が垣間見えるエピソードで描くの素晴らしいな。戦の報償について家康があれこれ苦労しているのを見て、どうしたらやりやすくなるかを瞬時に思いついて進言出来る万千代は間違いなく出来る子。岡崎の面々に報償で報いてやれないと嘆く家康に「まずは殿がその働きをきちんと評価していることを伝えることだ」っていう万千代の言葉は、そのまんま先週の自分が落とされた時のことじゃないか~!って思ったけど、でも確かに大事なことだよなぁ。そうやって重要なところで的確な言葉を言える、こういう聡い子のことを家康が好きにならないわけないよなぁ。あと、万千代が家康を見る目が日に日にキラキラと輝いていくのが可愛い。ほんの数週間前の回では「絶対殺~~~~~す!」って吠えてたのに…このチョロさがまた可愛い。

榊原康政の描き方や演技が実にイイ。殿の覚えめでたい万千代に対して、表だっては何も言わないものの、複雑な感情を持っていることが実によくわかる。でも万千代のそういう聡い部分を評価する冷静な部分もあるんだよね。この先多分康政と万千代(直政?)が仲良くなるエピソードとかもあると思うので、そのあたりも期待したい。徳川家臣団楽しすぎてもっと見たいよ~スピンオフ希望!熱烈希望!!

六左とおとわと南渓和尚。空気読まずに「これは虎松様の絵ですよ!」と力強く力説する六左マジ六左。その結果、南渓和尚の「松下が薬を所望している」という言葉からすぐにおとわは万千代の存在をかぎ取るわけだけど、わかりつつも知らんぷりしてあげるおとわの姿に、複雑な感情を読み取る視聴者。あまりつけあがらせたり、策におぼれたりして欲しくはないと思いつつ、万千代が全力で自分の力のみで這い上がろうとしている姿は、おとわにとっても眩しくもあるわけで。この、含むところはありつつも一応おとなしく遠くから見守っている感がたまらなくイイ。

信康と瀬名。この胃が抉られる感覚覚えがある…去年の秀次の死と一緒だ…つまり重盛ショックと同じだ…ツラい…今からツラい…;; 信康が家康のことを父親として、領主として、心底尊敬しているのがわかる。そして自分がそれを継ぐ者として未来を見据えているのもわかる。何より家康自身が信康を跡継ぎとして誇りに思ってるのがわかる。いずれあの事件へと続く二人の関係をこうやって描く脚本、鬼だ…;; 献上されたサボンをそのまま瀬名に土産に持たせる家康と、嬉しそうに受け取る瀬名がまた…;; ツラい。あと、イケメン過ぎる石川数正~! これは裏切りますわ。ここまで信康に信篤く仕えてて、あの事件に続いたらそりゃ~家康に対する不信も抱きますわ。真田信尹の調略にも乗っちゃいますわ。と昨年の大河がモリモリ私の中で補完されていく。

今回も申し訳程度の「主役」おとわ。でもいい仕事してた。甚兵衛の進言による木を伐採した山への植樹。近藤殿には「近藤の松」とか言って上手く乗せて(信長の茶碗を売るとまで謀って)普請費用を工面させた上で、実際には「甚兵衛の松」だもんな~。誰かに「殿」と呼ばれる度に「もう殿ではない」と言いながら、それでも殿と呼びたがる相手には勝手に呼ばせる。それは功名とか自負とかではなく、本当におとわにとっては呼ばれ方など「どっちでもいい」のだとわかる。そういえば今回家康もおとわを「無欲だ」と言ってたな。それはそのまま竜宮小僧として生きるというおとわの生き方そのままの肯定でもあるのかもしれない。

そして今回は最後のシーンがよかった! 少し育った松に「今はまだ近藤殿の領地だ」と報告するおとわ。そして空を見上げて「甚兵衛」と呼びかけることで、このわずかの間に甚兵衛が亡くなったことを表す演出。思えば、甚兵衛は井伊谷の民の象徴のような存在だった。ひよっこ領主だった直虎に真っ先に立ち向かい、そして真っ先に見方になってくれた人だったっけ。戦国時代に武家だけではなく、その暮らしを支える百姓がいて、彼らも彼らなりによい領主を望んでいるという、当たり前のことを実感させてくれた存在だった。その彼が、この人こそと決めた直虎という領主の元で、当たり前の百姓として領主から偲んでもらえるということが、何と優しく美しいシーンだったことか。素晴らしかったな~。

土砂崩れとか地味な話だな~って予告の時は思ってたんだけど、それが「戦のための木材の調達による森林破壊」っていうテーマで始まって、万千代が絵が上手いってところを絡めておとわと万千代に残るわだかまりを描き、そこから家康の直虎評を引き出し、さらには井伊谷の民たちの一致団結ぶりから甚兵衛のエピソードで締めくくるの見事すぎた。さすがすぎる。

おんな城主直虎 第42回「長篠に立てる柵」

今回初っ端からず~っと万千代の話がイキイキと語られて、途中でおとわのいる井伊谷に場面移ったら「あ、そういえば主人公は直虎だった」って素で思ってしまうくらい万千代の主人公度数が高すぎて楽しい。もうこのままあと半年くらい延長して井伊直政物語が見たい。万福との二人三脚出世物語が見たい。家康&家臣団とのやり取りが見たい。今回終わったらあと8回とか少なすぎるでしょ~!?!?

家康のキャラの描き方が本当に素晴らしい。今川で人質として過ごしていた少年時代(阿部サダヲの13才演技!)から、気弱なのかしたたかなのかいまいち視聴者にはっきりと見せない複雑な演技で、これぞ阿部サダヲという味わいだったんだけど、今回ついに花開いた感じだなぁ。最近、おとわと腹を割って話した時にも片鱗が見えていたけど、人を見る目が優れてるってことなんだろうなぁ。じっと息を潜めて目立たぬように力を蓄え、まわりの人物をじっと観察して、そこからいろんなことを学んできたってことだよなぁ。それは家康自身の気質もあるだろうし、環境からそうならざるを得なかったという事情もあったのかもしれない。複雑な家康というキャラを、阿部サダヲがなんともチャーミングに演じることよ!

信長と信康の義親子関係がめっちゃ不穏。前にチラッと出てきた時も思ったけど、海老蔵氏の今回の信長って超越してる感を全面に押し出してきてる感あって、心底何を考えているのかわからない。去年の吉田鋼太郎さんの信長もセリフがないのにあそこまで存在感出しててすごいって思ったけど、それでも真田丸の信長は武将って感じがした。なんていうか、人としてのカリスマが溢れてた気がする。でも今年の信長ってゲームのラスボス感をそのままリアル実在にした感じというか…あえて言うならウェスカー@バイオ的な人外感というか…不気味さが違うベクトルに振り切れてる感じ。信康に茶碗を下賜するのを断られた時のあの表情とかも、全然感情が読み取れない…。この時点で既に信康は信長の不興を買ったと見るべきなのか、この時はまだ義息として取り立ててやるつもりなのか、読めない。そこが面白い。

信康と家康の関係は良好なんだなぁ~これまでそこそこぼやかされてたけど、こうやって改めて親子がきちんと理解し合ってるのを見せられて、いよいよ悲劇の幕が開けたことを察知する視聴者。政次のあの回の次週に龍雲党のあれを持ってきた森下脚本だから、覚悟を決めて心穏やかにその日を待ちたい。うっうっ…;;

今回岡崎城で大久保が織田の作戦に噛みつくシーン。イヤミったらしく「岡崎の者が織田をつけあがらせているのでは?」的なこと言ってたし、家康家臣が岡崎と浜松で派閥が出来てしまったという説をじんわり表現してて、これだから大きくなる組織ってヤツは…感がすごかった。そしてその中でも家康と信康がちゃんと親子としてわかり合ってるのが…(>_<) この先の悲劇がわかってるだけにツラい。これまでずっと一人で碁を打ってた家康が初めて(だったと思うけど)碁盤を挟む相手が信康かぁ~~~~~~~!!(涙)

一方、留守居を任された万千代に自分がやりたくない武具の手入れを押しつける酒井小五郎(酒井忠次の嫡男?)まじ小者っぽくていい!この時代の小姓の若髪っていうの?あれ妙に可笑しみがあって可愛くて好き。それに対抗して万千代が力いっぱい武具の手入れをするのも若造っぽくていい。明らかに小手先の小細工とかするくせに、万千代の性根はまっすぐなのがいいよな~。しのの教育のたまものだし、松平源次郎という父親のおおらかさもあるんだろうなぁ。小太郎に武具の手入れの功績を取り上げられて悔しがる姿も良かった。頭に血が上って本多正信を殴ってしまい、その後素直に謝るところまでがキャラ付けとして完璧。アツくなりやすいけど、ちゃんと自分のことを客観的に見られる賢さが備わってるんだよな。

そして今回の目玉、色小姓万千代誕生の巻。榊原康政に「殿の寝所に」って言われて「え?そういうこと?」って自分の肩を抱きながら万福に表情で問いかける姿が可笑し過ぎた。その後「新しい褌を持て~!」ってところまでひたすら笑った。面白かった! でも冷静にこの場面を読み解くと、実家(この場合松平ではなく取りつぶされた井伊家)の後ろ盾がない万千代にとっては上にのし上がるために使えるものと言ったら己の才覚とその身だけというのも確かであり、それを所望された時の心許なさってどれほどだろう。そう考えると重いよなぁ。実際にはゲラゲラ笑いつつ、その裏にあるものをちゃんと描いてるってことだよな。

実際には家康の呼びつけは夜伽ではなく武具の手入れの功績の確認だったわけだけど、この家康の人を見る目の描き方絶妙だよなぁ。いつもと手入れの行き届きが違うから別の者がやったと気付いて、おそらく万千代だろうと見当を付けて実際に確認して誉めてやる、このデキる上司の見本みたいな家康像に感動した。そして家康の上司テク(?)にコロリとやられちゃう万千代がまた可愛い~~! そりゃあ、あれだけ後ろ盾のない心細さを味わった後で、誰も気付いてくれないと思っていた自分の一生懸命さを、ちゃんとわかってるよって言って貰えたら、この人のために粉骨砕身頑張ろうって思うようになるってもんよ。それまで万千代にとって家康は「井伊家再興のための権力」だったのだろうけど、これを機に「万千代自身が仕えるべき相手」になっていくのかもしれないなぁ。

それにしてもこの時の家康の表情の変化も見事だったと思う。全くそういうつもりの無かった家康が、感極まった万千代を見てふと「それもいいか」と思うまでの気持ちの変化が手に取るようにわかって、見てるこっちが恥ずかしかった! 碁盤と碁石をずずいと脇によけて迫るあの家康の仕草にキタワァ~!って思ったもんな。でもわかる~あの万千代の表情は本当に愛らしかった~。菅田将暉くんすごいよ…ごちの時からいい役者さんだなぁと思ってて、最近歌とか出してて「大丈夫?」ってちょっと思ってたけど、ここぞという役でこれだけ見事な演技を見せてくれるなら何やっても何の心配もいらないわ…いつか大河で主役張るんだろうなぁ。楽しみ。

オマケの信長の茶碗話。まさかの長篠での六左の材木調達による恩賞というウルトラCでの龍潭寺所蔵の茶碗の話に繋げてきた。再びここで六左の技術を持ってくるなんて思ってなかったからビックリした…近藤殿だけではなくて、天下の信長にまで認めて貰い、恩賞まで貰っちゃうのすごい。そしてそれを「自分は家康の部下だから」って理由で龍潭寺に寄進する近藤殿の実直さもいいなぁ。場と立場をわきまえた者って感じがして、すごく好感度が上がる。やっぱり上手いんだよなぁ。


南渓和尚が思いっきり自分が拗ねてる口調で「万千代は拗ねておるぞ」って言ってるの可愛かった。
・直虎が長篠まで読経に行く時にちゃんとついてきてくれる傑山さん萌え。
・長篠の戦場のシーン、死体らしき鎧姿の武者がそのままうち捨てられているのが壮絶だった。

おんな城主直虎 第41回「この玄関の片隅で」

万千代と万福の名前が自分の中でようやく馴染んできた。

今後の流れが万千代の立身出世物語になるとして、でも物語の主人公は一応直虎なわけで、どうやって物語を作るんだろう?って興味津々だったんだけど、今日の回を見て見事さに唸る。そうくるか…万千代の「大人から見ると若さだけで突っ走ってるひよっこ」な面を全面に押し出した上で、それを時にフォローし時に諫める役割をおとわに持ってくるのか…上手いなぁ。ここの万千代のキャラ立てがまたあざといほどに上手い。若さゆえの無鉄砲さとか小賢しさが、こんなにも愛らしい(でもクソ生意気な)ヒーロー像に落とし込めるんだなぁ。これが主人公だとウンザリしそうなほどアクが強いんだけど、主人公の義理の息子だと思うとなんとも微笑ましく見守る気持ちになるから不思議。無邪気な小賢しさをここまで可愛く演じる菅田将暉君がすごいのかもしれない。

今回本当に柴咲コウさんのおとわの動きが素晴らしかったな~。端々のゆっくりと落ちついた所作が、おとわのこれまでの経験から来る成長を感じさせてくれた。周りを見て小さなことにも心を配り、万千代の都合のいいお願いに対して「どう井伊谷として近藤殿との仲を悪くせずに目的を達成するか」と頭を使う姿が感慨深い。頭から万千代を叱るのではなく、さり気なく家康に繋ぎを付けて「甘やかさないで欲しい」ってお願いするのもいい。以前からは考えられないこのスマートさ!それもこれも、全て政次の死から井伊を諦めるところまでのどん底を経験したからこそなんだよなぁ。

あと初陣に出たい万千代の手紙に苦い顔をして、南渓和尚が「戦に行かせたくないか」と聞いてくると「武士として名をなすのに是非もなし」って答えるのがすごく良かった。そう口では言いながらも内心は戦に行かせたくないと思ってるのがありありとわかる演出も良かった。セリフで「戦はイヤだ」って安直に言わせるよりも、よっぽど戦の本質を憂いているのが伝わってきた。万千代にとっては「自分が」名をなすことが最重要であるのに対して、おとわにとっては「井伊家の人々とそれを支える民百姓が」穏やかで暮らすことが最重要なんだよな。そして素晴らしいと思うのは、おとわはその違いをきちんと認識した上で、万千代の価値観を否定しないこと。心のどこかで「そうやって生きる道もある」ってきちんと納得していること。そういう相反する人間の感情をちゃんと描いているのがいいなぁと思う。

井伊谷劇場。近藤殿が相変わらずいい味出してる。井伊家の面々に対して好印象は持っていないんだけど、信頼はしているっていうこの描写が優しいなぁ。普段かなりウザがってるくせに、家康の材木調達の指示に対して即座におとわに相談する素直さがなんとも可愛い。そして(知らないままとはいえ)自分を殺そうとしていた高瀬に対して信頼ぶっちぎりなのがまた可笑しい。六三の物語がまた良かったな~。まさか材木泥棒から始まったエピソードが「木材の切り出し技術」という形で六三に武功を立てさせるという壮大な伏線の再回収に持ってくるとは…

今週の之の字。おとわと同じく、ずいぶん貫禄のついた直之の描写に萌える~。松平に行く弟に「中野家のことは気にするな」って請け負ったり、近藤殿に六三のいいところ(民に好かれるってアンタ…w)を伝えたり。何より木材調達に張り切る六三を見守る目が頼もしすぎるんだよ~。最後はおとわと二人で鋸引いてたし、理想の主従過ぎてゴロゴロしたい。

今週の万千代万福。悪口を喚き散らす万千代を布団被せて羽交い締めにする万福再びw 万千代が万福に全幅の信頼を置いてる(ことにすら自覚がなさそうな)描写がホント可愛くて好き。万福がいなければ、万千代はあそこまで天真爛漫に育たなかった気がするよなぁ。そして万福が苦労を苦労と思ってなさそうなところも大好き。私、銀英伝のラインハルトとキルヒアイスには全然萌えなかったんだけど、万千代と万福にはごっつ萌える。なんだろうな~不思議。

万千代が自分に都合のいい時だけ「まだ十五才なのに~~~!健気な息子が頑張ってるのに~~~~!ころ~~~~~す!」って吠えるのを見て大笑いする。家康に「もう一五才なので初陣を」って言ったその口で!ほんっと小賢しい子供なんだけど、それがここまで愛らしさになるのが演技と脚本と演出の力だよなぁ。