西郷どん 第31回「龍馬との約束」

久光が!人間的に!成長してる!!(感動!)

一蔵が吉之助の野望(=幕府を見限って長州と手を結ぶ)のために内々に久光の意識改革をしていたというエピソードは良かった。願わくば、以前吉之助の誘いを断った一蔵が倒幕を決意するまでの心の動きを見たかったけど、まぁそういうドラマじゃないんだろうな。回想の中で「斉彬を越える」とおだてられてその気になったという演出をしておいて、その後で「自分は自分だ」とちゃんとコンプレックスを克服した描写が成されていたのも良かった。願わくばそうやって気持ちが変わる心の動きを…(以下略)以前からずっと久光の描写は抜群の安定感なので久光だけが心の支え。

こちらも相変わらず貧乏まっただ中の西郷家、熊吉たちが「なぜこの家は借金が減らないのか」とか笑い話っぽく流してたけど、本当になぜ常に貧乏なのか見ている方にとっても謎なので説明が欲しい。藩からの給金が少なすぎるためなのか、ある程度貰えているけれども(他人に施してしまうなどで)家族が使う分が残っていないという事情なのか。それ一つでも吉之助の人となりを説明する要素になると思うんだけど、そういう部分は曖昧なままで、清貧を良しとするという美談でふんわりまとめられてしまうのがなんとなくモヤモヤする。

龍馬が吉之助と友好を深める回。雨漏りを一緒に直すエピソードでむりやり親睦が深まった理由を説明したつもりなのかもしれないけど、逆に熊吉や吉二郎はなぜ雨漏りを直さないのか、西郷家では当主しか雨漏りを直してはいけないなどのしきたりがあるのかなど、むしろ他の点が気になってしまった。急に雨漏りし始めたならわかるけど、確か前回糸どんが家で雨漏りに困ってる描写あった気がするし。糸どんのは今回の一緒に直すエピソードの伏線だったのだろうか。むしろ謎が増す結果になっている気もする。

吉之助と糸どんは描写としては清い感じのままいくんだろうか。いずれ子供も出来ると思うんだけどそれはどういう描写にするんだろう。愛加那と「真実の愛」とかやってた気がするので、どういうつじつま合わせてくるのかはちょっと(下世話な方向性で)楽しみ。幼なじみとしての信頼感とかそういう感じにするんだろうか。個人的には「こっちも真実の愛」とかやって、二人への愛の板挟みで苦悩する吉之助とか見てみたい気もする。ただ西郷隆盛でやる必要のない物語ではある…でもこれまでの話もそうじゃない?だったら昼ドラ西郷吉之助も良くない…?(悶々)

龍馬がセッティングしてくれた桂との会談と、一蔵からの長州征伐阻止への京への呼び出し。運悪くふたつがバッティングし、吉之助は京行きを決める…というのは史実らしいのだけど、事実を持て余してる感のあるストーリーだったという印象。ドラマの中での「どうしても長州と手を結びたい」というこれまでの吉之助の熱意が強すぎたせいで、いざとなったら手紙で済まそうとする吉之助の対応がめっちゃ違和感あるというか。結局託した相手が裏切るという最悪なエピソードで人を見る目までなかったという残念な結論に…いや、これももしかして史実なのか?そうなのか?

一蔵の京からのヘルプの方も、そのすぐ後に慶喜のセリフだけで「帝は長州征伐をよく議論しろと言っている」と説明されたのみなので、西郷来る必要あったか!?と思ってしまった。こんなことなら、例え盛りすぎだとしても吉之助や一蔵が京でいろいろ動いたおかげで長州征伐は免れたと見える演出にしてあったらもう少し納得できたように思う。

結果的に約束をブッチしたことになる吉之助に対し、龍馬が「見損なった」と言うシーン。物語の流れの中では、吉之助が長州を選んだのはまず「今の幕府はもうダメだから、倒すためには一緒に戦う同士が必要で、状況を考えると長州しかない」というある意味消去法にしか見えなくて、なおかつ今は長州は朝敵扱いされているので上から目線で「組んであげる」と思ってるっぽい雰囲気もあって、そのあたりを相手に察知されたら見損なわれるのは当然だし、自業自得という感想しかない。

そして吉之助を「そういう策略が出来る人物」として描いているなら上記の失敗も一つの試練として面白いかもしれないけど、鈴木亮平さんの演技では吉之助は心底申し訳なさそうに「謝りたか」とか言っていて、あまりに朴訥すぎでは?状況判断能力なさ過ぎでは!?と呆れるばかり。もしかしてこの吉之助の「いい人のフリ」も計算の上で、実は黒西郷爆誕だったら面白いんだけど、これまでの話を見てるとそういう構成は期待できない気もする。なんかこう、こういう痒いところに手が届かないドラマだなぁとしみじみと思う。

来週とうとう薩長同盟らしいので、この状況をどう打開するのかあまり期待せずに見たい。