逃げ恥2021新春スペシャルに心底ガッカリした

大好きだった連ドラが久々にスペシャルドラマで帰ってきたと思ったら、めっちゃ説教ドラマになっていて私は…私は…!!

最近自分のセンサーの感度が上がっているのか、スペシャルになると知った時は「おっ!」と一瞬ウキウキしたけど、連ドラも前半のモダモダが好きで最後2話くらいは私の中では蛇足だと思っている派として、内容が妊娠・出産編だと知ってそっと着席して「懐かしいなぁ」くらいの距離感で楽しみにしていた。決して期待値爆上げしてたが故のガッカリとかじゃない。もともとそんなに期待してはいなくて、でも脚本の野木さんには絶大な信頼を寄せていたのでそこそこ楽しい2時間になるんじゃないかと思っていた。それなのに…あれはいったい…何だったの…?

めっちゃつまらなかったんですけど??ムズキュンどころじゃなく、最初から最後までどこを楽しめばいいのかわからなくてびっくりしてる間に終わったんですけど!?!?これ、本当に野木さんの脚本なんです!?!?!?

いやちょっと、本当に野木さんに何があったの?何か心境の変化が?あるいは壮大な実験か何か??社会問題を結構えげつなくぶっこんでくるのは想定内なんだけど、こんなあからさまな学芸会レベルで説教ぶちかますような脚本書く人じゃないはずでは??どうしちゃったの!?!?と混乱から抜け出せない。

説教してる内容については、別に異論は一切ないんだよな。今の社会は男女不均衡だと思うし、社会が女性を抑圧しているのも確かだと思うし、私自身が不当に扱われていると感じる時は声をあげたいし実際に身近で手の届く範囲ではあげているし。選択的夫婦別姓は賛成だし、産休育休が被らないように調整しないといけない空気は理不尽だし、親になる時に男親がサポート気分なのはおかしいというのもその通りだと思うし、性別問わず育休を取れる体制を整えるのがプロジェクトリーダーだというのもごもっともだと思う。経験がないから共感はないけど、妊娠時の体と心のしんどさままならなさで不安定になるのも当然でそこには適切なケアがあって欲しいし、無痛分娩も希望者にはどんどん取り入れられていったらいいと思うし、便利用品で楽が出来るならバンバン採用して苦痛を少しでも軽減して欲しい。すべてその通りだと思う。みくりと平匡はめちゃめちゃ教科書的な理想の夫婦道をひた走っている。主張にはまったく異議はない。んだけど。だけども!!

主張に異議は無くても、こんな風に「正しい世界プレゼンテーション」されちゃうとドン引きするというのは新しい発見だった。これから自分が正しいと思うことをプレゼンする時はマジで気を付けよう。そういう意味では勉強になった。別にこんなところで勉強したくなかったけども。しかし、何よりこれを野木さんが書いたというのがめちゃめちゃ衝撃。どういう意図でこんな脚本書いたんだろう…マジで謎。

なんつーか、宗教勧誘PVを見ているような気持ち悪さがあったんだよな。これぞプロパガンダって感じ。気持ち悪いというか、座りが悪い?居心地が悪い?「ぼくのかんがえたさいきょうの~」を語られているかのような共感性羞恥かなぁ…とにかくキモい。理想とする価値観そのものは共感できるはずなのに、このPVの世界には嘘くささ、うすら寒さ、薄っぺらさを感じてしまう。そう感じさせることが目的なんだろうか。こんな理想のはずの社会を薄っぺらく感じるってことこそが問題提起になってるんだろうか。いやでも、やっぱり私はこんな教科書みたいな社会は嫌だ…

ドラマで描こうとしてる理想の価値感以外のものを巧妙に排除している(しようとしている)世界だから…かなぁ?排他的なのにそれを隠して取り繕っているように見えるからかも。多様性から出てきている発想のはずなのに、好ましい多様性だけ残してそれ以外を排除したい願望が透けて見える(と感じてしまう)あたりが、私にとっては「キモイ」ってことのような気がしてきた。

野木さんのドラマに圧倒的な信頼感があったのは、野木さんの価値観(だと私が勝手に感じているもの)に共感するというのが一番大きかったのかもしれないけど、これまでは「そうじゃない価値観の世界の中で、もがいてあがいて最終的に自分なりの正しい価値観をつかみ取る」みたいな印象が強くて、その「もがいてあがく」部分が人間ドラマの面白さだと思うし、ままならない中で自分なりの正しさを選び取るからこそ気分が高揚して楽しい、みたいな部分があったんだろう。でも今回の逃げ恥スペシャルは全然違った。みくりと平匡にとって「生きていく中で性別が変わるかもしれないから、どちらでも違和感のない名前」を選ぶのはごく当たり前の価値観らしく、二人がそう考えるに至る過程は全く語られなかった。いや、その理屈も合理性もわからないわけではないのだけども。それが正しいから当然として描かれる世界はなんかとっても薄っぺらかった。なんでこんな薄っぺらさで良いと思ったのか。これのどこが面白いと思って作ったのか。マジで知りたい。本当に不思議。どうしてこういう作品が出来たのか、誰かに解説してもらいたい。

結局のところ、Not for meだったということなんだろう。それはそれでいい。私が楽しめなかったのは私が製作者が狙った層ではなかったからで、そこに文句を言いたいとかではない。でも、あんなに信頼していた野木さんの次のドラマが怖くなってしまったのは確かだ。この路線でアンナチュラルの続編出されたら私は泣く…今回のガッカリとか比じゃなく、膝をついて泣き叫んでしまう…やめて…頼むからやめて…

麒麟がくる 第6回「三好長慶襲撃計画」

鉄砲を「美しい」と評価する光秀と、その言葉を聞いて「鉄砲を美しいと評したのは久秀と光秀だけ」と言う伊平次。なんつーか、安直に光秀をヨイショする的なセリフに聞こえなくもなく…まぁ伊平次は続けて久秀が評価しているのは造形というより造形のための職人の技術的な部分、みたいな意味合いのことを言うので、脚本的には光秀ヨイショというより、伊平次の久秀への好感を表現しているのかもしれないとも思うが。その後、さり気ない風を装って思いっきり思わせぶりに「今日という日を乗りこえられれば良いのだが」的なことを言ったのも、伊平次が久秀が易々と討たれるのを何とかしたいという気持ちの表われ…と見るべきなのかな。それにしてはタイミング的にギリギリ過ぎて切実度が感じられないわけだが。あといくら遊女屋だと警戒心が薄れるとは言っても、あんな直接的な会話を隣室に人がいる状態でしちゃうの、割と迂闊すぎて乾いた笑いが出る。その時の伊平次が妙にハードボイルドな面持ちなのも笑うしかない。コントか。

足利義輝能楽鑑賞会? 能…だと思うんだけど違うかも。伝統芸能の違いがわからない。途中で刀を落としたのは演目上の正しい仕草なのだろうと想像するものの、その意味が良くわからなかった。演目そのものに意味があるんだろうか。見る人が見ればわかるのかな。能楽というと「平清盛」で父盛が殿上人として認められた時の宴が能楽だったのが印象的で、貴族のたしなみ的なイメージが強い。義輝がこうやって能を鑑賞しているのも、この時代の将軍が貴族的な(ある意味お飾り的な)存在である印象にも繋がるのかな。でも武闘派っぽいイメージの三好長慶さんも連歌の会とかに出てるし(いかつい顔に似合わず、意外とドヤ顔で歌読んでたw)、この時代だと京都を基盤とする武家は能も歌も当たり前の教養なのか。そう言えば少し前に織田信秀が「歌も蹴鞠もさっぱりわからん」って言ってた。守護などの所謂「名家」と田舎者の国衆の格の違いってヤツか。そう考えると、頼純に毒入り茶をふるまった時に今様?を歌ったのは、これはこれで複雑な意味合いが含まれているのかもしれない。考えすぎかもしれない。

藤孝と藤英の兄弟が仲良さそうで見ていて和む。弟の藤孝が鼻息荒く細川晴元を嫌う理由が「義輝の前で鼻をかんだから」なのがめっちゃ個人的な好き嫌い案件過ぎて面白かった。この後、光秀の青臭い理想論に感激しちゃって光秀に対する信頼が爆上がりするあたりも、本当に見た目通りのアツい男なのがわかりやすすぎて微笑ましい。調べてみたら、そうか、藤孝は細川忠興の父なのか…そうか…本能寺…;;

義輝の立ち聞き。あまりに素朴に堂々と廊下に突っ立って聞いてて笑ってしまった。その周りにお供がワラワラ跪いてる光景も、藤孝と藤英が相次いで廊下の曲がり角で義輝に気付いてがばっと畏まる姿も、絵面的にかなり面白かった。理想と現実がままならない義輝の表情とか、向井理さん良い仕事するな~。不幸属性を諦めの境地で受け流している感に溢れていて、それが妙に庇護欲をかき立てるが故に藤英藤孝兄弟が誠心誠意仕えているのだろうなぁという事情が察せられる。いやぁ、本当に向井理さんこういう役が似合うね!

あと、先週の予告でこの部分の光秀の啖呵が使われていて、まさか将軍に対してこれを直訴しちゃうとかの熱血主人公エピソードだったらどうしよう(困惑)って思ってたんだけど、啖呵を切る相手は藤英で、その発露の仕方も納得のいく形だったので良かった良かった。こういう部分の積み重ねが脚本に対する信頼感になっていくんだよな。それにしてもそういう反応すら見越した上での予告だったとしたら、私は正に制作者の手のひらの上ということに…それはそれで幸せ…。うまく転がして欲しい。

今週の見所、連歌の会での三好長慶襲撃計画。映像がめっちゃアゲアゲに作られていた! 落ちる真っ赤な紅葉、からの無音演出で画面上は襲撃組が走り込む映像、からの一転して危機感を煽りまくる劇伴! コテコテだ~! だがそこがいい!! 特に中庭に散りばめられた紅葉は人工的に作り込まれた視覚情報なのである意味違和感なんだけど、これが連歌の会というのを考えると、当時もそうやって「中庭を作り込む」ことが行われていた可能性も高くて、この「あまりに人工的な美しさ」をあえて歌に詠むという当時の趣向かもしれなくて、そういうメタ的な要素にもテンションが上がった。こういうやり過ぎなトリッキーさが逆に刺さる時ってあるよな。

三好さん(となぜか呼んでしまうw)のピンチに投げられた短刀(?)、からの光秀の投げポーズ!のやり過ぎ感には思わず笑ってしまった。カッコいい!カッコいいけども!! その後の光秀と藤孝が同時に両サイドから敵を屠る演出といい、その後のめちゃめちゃわかりやすいアイコンタクトといい、ピンチのピンチに颯爽と現われる援軍(藤英)といい、時代劇のチャンバラシーンのカッコいいテンプレ全て注ぎ込みます!的な大盤振る舞い。テンション上がるけど、上がりすぎて逆に笑えてきちゃうのが惜しい。こういう突き抜けた演出、ハマればめっちゃクセになるんだけど、ハマらないと最後まで作品を鑑賞モードで見ちゃうからいまいちノレなくて悔しいんだよな。ハマれたら楽しいのに!って思っちゃう貧乏性。

後から気付く刀傷(実は結構深手)からの「京に医者の知り合いが」からの駒ちゃんとの再会という展開は、強引さをうまくエピソードに絡めていてお見事って思った。ただ、看病時のやり取りから美濃に帰る光秀に強引に同行する駒ちゃん、からの青春・恋愛小説漫画アニメゲームのテンプレ「旅先でやむなく同室に泊まることになって…?」の発動までがあまりにノンストップで突き進んでいく展開にはビビりまくってしまった。最近、こういうアグレッシブなテンプレさって、どちらかというとコメディとして描かれることが多い気がして、こんな直球で時代劇に入れてこられると、どういう感情で受け止めたら良いのか迷ってしまう…。あと、なんていうかこう、駒ちゃんの「光秀が好きという感情への前のめり感」が無邪気すぎるのがかなり怖い。これ、ちゃんと自分の気持ちとその行きつく先を認識してるのかなぁ…?してなくても怖いし、しててこの言動なのはさらに怖い。してない…よな? あと、駒ちゃんの存在が早々に光秀の(麒麟を追い求めるという目的への)呪いになるフラグに見えてきて、そういう意味でも怖い。駒ちゃん、なんかすごい理不尽な死に方したりしないよな…? めっちゃ不安。

藤孝が光秀に対していきなり前のめりに信頼と友情を示してくるのはすごく納得できる。あの三渕家(?)での光秀の理想の武士国家の在り方論みたいなの、藤孝はめっちゃ好きそうだもんな。普段自分がモヤモヤしていることを、あまりに堂々とぶち上げる光秀を見て、シンパシー感じまくって「我が魂の半身」みたいなモードに入ってそう。それにしても、藤孝が「光秀のような者があと一人でも二人でも義輝の元にいれば」みたいなこと言ってて、将軍の陣営も信頼出来る人材不足なんだな~ってしみじみしてしまった。まぁ現在の義輝の境遇を思えば当然か。

光秀が「その時は美濃をあげて藤孝殿をお支えします」って言ったの、絶対将来の本能寺後の結果を踏まえてのセリフだよなぁ~! うっ…本能寺後…(涙) 史実を知っているので、どうしても「なぜこの光秀が本能寺の変を起こすのか」という観点でいろいろ妄想しながら見てしまうのだけど、自分が悪者になって国を一致団結させるためだとしたら…って考えてしまったら、自分のただの妄想なのにツラすぎて泣けた。でもそこまで行くとセンチメンタルすぎるから多分無いな。本当にどうなるんだろう…年末がめちゃめちゃ楽しみ!

麒麟がくる 第5回「伊平次を探せ」

鉄砲の抑止力の話。この時代に「新しい兵器による抑止力」という考え方は新しかったのかもな~と一時感心させつつ、その後すぐに伊平次に「その抑止力を得るために、全ての勢力が躍起になって兵器を求めて軒並み戦力が上がる」というしょーもないオチを語らせちゃうのが面白かった。抑止力としての武器なんて(ある面では効力があるのかもしれないけど)所詮机上の空論なのかもしれんなぁ。あるいは兵器を多く手に入れたい人の詭弁か。

遊女屋の描写がめちゃめちゃ拘ってた。そしてあれがきっと「あしずもうだ!!」て興奮してしまった。先週?先々週?だかに足相撲って誰かが言ってて、なんとなく意味は分かるけどいまいちピンと来なかったのだけど、今回あの映像みて「これだっっっ!!」て思ったので多分狙って映像入れてるんだろうな。個人的に、当時の風習とか文化とか、そういうのの学習映像としての価値が非常に高そうな大河ドラマという印象ある。第二回の戦闘シーンとかも、不自然なくらい「見て覚える教育ビデオ」的な説明的映像多かったもんな~。そういう部分が面白いんだけども。もっとこだわりの映像見たい。

道山と光秀。道山は鉄砲に興味津々ではあるのだけど、光秀が戦には向かない理由を上げるとすぐに納得するあたり、根っからの戦バカではないんだろうな。むしろ戦に向かない鉄砲を作らせる将軍側の真意をすぐに訝しむあたり、百戦錬磨感がめちゃめちゃ滲み出てる。そして光秀はそういう道山の何気ない疑問に反応して、誰が何のためにやろうとしているのか?という視点を学習していっているように見えるのが面白かった。道山はかなり光秀のこういう聡明な部分を評価して伸ばそうとしているように見えるんだけど、肝心の光秀はそういう道三の思惑は全く理解せずに、むしろ「あの人は好きになれん!」と明言するくらい人望が無いの笑ってしまう。そういえば今週、再び京に出向くときに光秀が「全額負担してください」って事前に言ってて、ここにも学習効果が!って頼もしかった。事前に予算面での損得をキッチリ決めておくとか、道三の下についていなければなかなか身につかないぞ。

光秀が鉄砲の精巧な模型図を描いて構造を調べようとしている姿を見ると「尚之助…」という気持ちになる。私がハセヒロさんを認識したのは「八重の桜」だったので感慨深い。その後伝吾に鉄砲を撃つ仕草をして見せるとひっくり返って怖がるのが面白かった。第一回で光秀が盗賊の頭に鉄砲を向けられても全く動じなかったのを考えると、このわずかな時間でものすごい兵器としての情報量が入っているんだろう。人はそれでなくとも学習する生き物だし。つまり、鉄砲の抑止力を行使するには相手が鉄砲の恐ろしさを知っていなければならないわけで、そのためには鉄砲による大量殺戮が行われた実績が必要なわけで、結局抑止力のためには事前に大量の犠牲が必要ってことになり、やっぱり机上の空論だし詭弁なんだろうな。

駒ちゃん。今週になっていきなり光秀好き好きモードに入っててビビった。そんなに突然前のめりになるほどの理由ありましたっけ…?やっぱりこの前菊丸に「歩き方もいいですねぇ」って誉められたのが刺さったのか? 駒ちゃんが光秀を好きになる理由はよくわからないけど、この設定が今後の展開に繋がっていく可能性もあるので保留…。牧さんは明らかに駒ちゃんの気持ちに気づいていて、気の毒そうな表情なのが地味に胸に詰まる。牧さんは駒ちゃんに好意的だろうし、例えば光秀が駒ちゃんと結婚したいと思ったら認めそうだけど、少なくとも今の光秀が駒ちゃんに対して興味を持っていないことは丸わかりなんだろうなぁ。あとは駒ちゃんの気持ちが一過性の儚いものだと思っている…のかもしれない。何にせよ保留。帰り道の菊丸の「ええっ?近江に?それはないでしょう~」って言い方がめちゃめちゃわざとらしくて笑った。これはわざとらしいいいぶりという演技なのか、本当にただ演技がダメだったのか、ちょっと読み取れなかった。菊丸が首を寝違えているってエピソードすら裏があるのか何なのかわからなかった。菊丸の謎さはマジでわからないのでここはキャスティングが大正解な気がする。

満淵藤英&細川藤孝兄弟との邂逅。光秀と藤孝の殺陣シーンは多分演出家のコダワリの詰まった気合の入ったものだったと思うんだけど、ちょっと長かったしそのコダワリ部分がわかりにくかった気もする。藤孝が型を何度か構えなおすのとか、多分見る人が見ればこのシーンにも物語があるんだろうなぁって思いながらダレたもんな…でもまぁそういうシーンがフックになる人もいるのだろうから、それはそれでよし。そしてあっさりと足利義輝将軍に目通りしちゃう主人公補正!この時代の将軍はまだまだ雲上人ではなかったのかも。それにしても向井理さんの義輝めちゃめちゃ美しくて眼福…なんていうか、室町末期の貴族風武家のトップとして、そこはかとなく漏れ出る頼りなさがこれ以上ない配役って感じ。最高。

松永久秀との再会。ここからラストまでほんっと吉田鋼太郎さん劇場って感じで面白かった!勢いとその場のノリだけで生きているように見せかけて、その実きっちりと計算して先を見ている男なんだよなぁ。「戦は変わるぞ」ってセリフにはゾクゾクした。しかし、結果的には睨みあいじゃなくて大量に人が死ぬ方向に変わっていくんだよね…しんどい。遊女屋で一人一人に「後でな」って声かけてて律義だったw そしてあれアドリブだったらしいという記事を読んでさらに笑う。全然信用出来ないし味方だとも思えないんだけど、好感度高くてついつい話を聞いてしまう的な人物としてがっちり光秀の心に食い込んできている感をヒシヒシと感じる。

伊平次と光秀の間に「瓜泥棒で井戸から助けてもらった」エピソードがいきなり出てきて笑った。都合よすぎるけど大河ドラマとしてはあるある。尺とテンポという難題を解決するには多少の強引さは必要なのだ…(わかった風に)

麒麟がくる 第4回「尾張潜入指令」

先週は見事ひょうたん打ち抜いてたけど、今週は10回連続で的外してるらしい。光秀が「おっかしいなぁ?」みたいに首傾げてるの可愛い。伝吾が笑うのに「いーっ」て顔してるのも可愛い。ハセヒロさん可愛い。伝吾は徳重聡さんで、私の中では八重の桜のやたら声に色気のある大久保利通の印象が強い。今年は最初から最後まで光秀に付き従うんだろうか? 第一回から槍?の立ち回りカッコよかったので楽しみ。

東庵VS道三。腹の探り合い、狸と狐の化かし合い。東庵の頭ぺしっ!道三の肩ぺしっ!わっはっは~!が怖かったw 東庵が「医者は守秘義務あるから患者のこと喋らないよ」って言った時、一旦(形だけでも)道三は「そこを曲げて頼みたい」って頭下げるんだよな。こういうとこが道三が成り上がれた理由なのかなぁと思うなど。先週の頼芸に対する態度もそうだけど、頭を下げてみせること自体は全然気にしてない感じ。まぁ、頭下げるのはタダだからな…。

道三が「首を跳ねよ!」って激昂してみせるのも、東庵が渋々「引き受けましょう」と受諾するのも、形式美的というか、道三と東庵は脚本なき小芝居を即興でやってるだけって感じなのが面白かった。相手がどこまで譲歩するか、どこから本気で危ういか、探り合い&化かし合いを楽しんでやってる感がある。東庵が引き受ける条件として借金の肩代わりを要望した時、道三の口がピクピクって動くんだけど、それが怒りじゃなくて面白がってるってわかって感動してしまった。損得勘定で情報を売ろうとする東庵に対して、この時道三なりの信頼が芽生えたのかも。一話で道三が光秀に価値を見出したように、道三の人を見る目は独特のタイミングで発揮されるっぽい。ただ、せっかく芽生えた信頼を相手に上手く伝えて相互理解が出来れば、もっといい主君になるんだろうけどなぁ。

道三は光秀に交渉させる時も「従わなくば娘を殺すと言え」ってアドバイスしてて、殺せとは言ってない。もちろん実際に裏切ったら許す気はないかもしれないけど、人質は殺したら価値がなくなってしまうことはわかっているし、実際に情報だけもたらしたら東庵も駒も光秀に「好きにしていい」と言っているし、ちゃんと理にかなった扱いをしているのが見ていて気持ち良い。

鉄砲について気にしている道三。先週高政が「興味が無いから自分と光秀に任せた」と言っていたけど、道三の口調はめっちゃ期待をかけているっぽい感じ。これはもしかしなくても、道三は高政のことも内心ちゃんと認めているのでは…? 言葉が足りない、態度がわかりにくいがために親子がすれ違っているヤツでは…? そうだとしたらエグい描き方するな…とこの先に思いを馳せる。

東庵VS信秀。道三が信秀の体調を探っていることをすぐに明かして堂々と情報収集するあたりが、東庵が百戦錬磨で世慣れてると感じるところ。隠れてコソコソ秘密を探ってるんじゃなくて、堂々と情報収集に来てるんですよって建前を全面に押し出して無理矢理押し通るスタイルはおそらくこの時代最強。まぁ相手次第ではあるけど、東庵にとっては道三も信秀もその建前に乗ってくる人物だと判断したってことだろう。やり過ぎるとすぐ命の危険に直結しそうな綱渡りだけど、そこはそれ、東庵先生は生粋のギャンブラーだからね…。

信秀は傍目には元気に見えるけど、東庵の見立てでは矢の傷が元でかなり末期的な状況らしい。蹴鞠のあとにやたら汗をかいていた描写がそれだと思うのだけど、この時点で東庵の見立てが合っていると確信出来る描写はなかったように思うので、どう受け止めるべきなのか迷った。メモ書きの単語と縁側でのわずかな会話であれだけの内容を正しく読み解く光秀の才覚も表現している…のかな。

光秀、絶体絶命のピンチからの脱出。織田の者に捕らえられそうになった時に助けてくれた農民(では明らかになかった。忍びの者?)は何者なんだろう。タイミング的に菊丸の仲間としか思えなかったけど、今のところ曖昧にごまかしてたしなぁ。菊丸と再び合流して逃げる時、さり気なく菊丸のカゴを押してあげる光秀の仕草にキュンとした。そしてあれだけ全力で刃向かったら、織田家にいる東庵先生は大丈夫なんだろうか。「えぇっ!? あの薬草売り、怪しいヤツだったの!? 全然気づかなかった!」ってあのウソっぽい大げさな演技ですっとぼける東庵先生がめちゃめちゃリアルに思い浮かぶ。

チビ竹千代! か~わいい~! 「ちちうえはきらいじゃ!」とかか~わ~い~い~! 「噛まずに口に含んでいると気が紛れますよ」って言われてるのに、速攻でお口モグモグしちゃうのもかわいい。口に入ってるとセリフ言いにくいもんね。和んだ。あとハセヒロさんの光秀が薬草売りに見えなすぎて笑う。「物売りのフリをしている(でも隠せてない)演技」ってかなり難易度高そうなので、やっぱり役者さんはスゴい。

そしてまさかこんなところで光秀と家康が出会ってる設定入れてくるとは。太平の世に麒麟がくるとすれば、麒麟を連れてくるのは徳川幕府を開くこの家康なわけで、でも光秀が信長を本能寺で討った後に死ぬとしたら、当然徳川の世を見てはいないわけで、そうなると光秀は麒麟がくるのを見ることは出来なかったという結果になるわけで。そういう無常観で終わらせるのは(美しいと思う一方で)虚しくもあって、少しでもハッピーに終わらせるために光秀=天海説来る?来ちゃう!?と第一回を見た時にうっすら思ったことを思い出した。あまりにロマンチシズムの極みなのでまずないだろうと思ってたけど、これはワンチャン…いや、やっぱないだろうなぁ。でも、最後まで視聴者がその可能性を考えずにいられない展開にしてくるのかも。ラストが今から楽しみだ~。

駒ちゃんと光秀のシーン。京に帰してあげられるのが嬉しい(というより安堵した)光秀と、京に返されると感じて寂しい駒ちゃん。ここもなぁ。駒ちゃんが「わかります? そういうの」とぷりぷり怒ってたけど(可愛かった)、駒ちゃん自身が「そういうの」が何なのかをわかっているのかという疑問が。恋…というか憧れ成分が強いのかなぁと思うんだけど、駒ちゃん自身自分の気持ちにあまり自覚的でないように見えるからこのセリフの意味も曖昧だし、この恋心?がストーリーにどう作用するのかが想像つかなすぎて落ち着かない。うーん、わからん!

そして唐突に放り込まれたパワーワード「本能寺」。この時代、本能寺で鉄砲の製造が行われていたっていうのは最新の研究成果を踏まえたエピソードなんだろうか。そう言えば直虎でも井伊谷で鉄砲作るとかなんとか言ってたっけ。こうやって僧侶がわざわざ道三に情報を売りに来るのを見ていると、この時代の医者や僧侶はそういう「情報をまわす」ことが役割の一つなんだろうなぁって思う。

光秀の「鉄砲を誰が作っているのか」という疑問に対し、思うところのありそうな道三の表情。まだ理想だけが高くてどうにもやることが地に着いていない感じのする青臭い光秀が、世の中の事象について「誰のせいで」「何の思惑で」そうなっているのかを考え始めたという描写でもあり、それを興味深く見定めている道三という描写でもあるのかな。光秀の成長とも見えて、なんとも面白い~。

麒麟がくる 第3回「美濃の国」

全体的に小粒で隙間回だった印象。その中でも斎藤道三インパクトの強さは健在。しばらくは道三が物語を引っ張る感じなのかもな~。

先週ラストで「面白や~」と歌を歌いながら娘婿に毒を盛るという鬼畜外道な行為をしてのけた道三は、今週毒殺した娘婿の実家に挨拶に行って「お前が殺したんだって?」と聞かれた時明らかにすっとぼけた顔で「わたくしが?」と聞き返すという、外道としてパーフェクトな対応をしていた。この場合の「外道」はこの時代の褒め言葉だと思って使っている。外道でなければ商人から守護代まで上り詰めるなんて無理だろうし。頼芸がまた気楽に鷹の絵とか描いてるように見せかけて、その実道三に対して腹にすえかねる想いがあるということを表現する演出が素晴らしかった。尾美としのりさんの演技がすっごい絶妙なんだよな。鷹の絵の話を導入に、土岐家が守護として実権をほぼ持っていない現状を諦めて受け入れている雰囲気をやんわりと見せつつ、何気なく口にする「殺したな?」って言葉が持つ凄みとか、めちゃめちゃゾクゾクした。鷹の絵というのは多分守護という身分そのものの隠喩かな。こういう、読み取れる情報や推測出来る設定が多々ある、でもなんとなくふんわりと雰囲気だけ見ていても良いシーンというのは、本当に大河の面白さの一つだと思う。

頼芸に対して態度は一貫して家臣の立場を崩さないのに、目力と口調でゴリゴリと自分の優位性を示してくる道三がさすが。ある意味家臣としての態度そのものが煽り芸にすら見えてくるからすごい。そうでなければ成り上がることは難しいのだろうし、一方でそういう父親の態度を受け入れがたい息子の高政との対比も興味深かった。道三の態度にドン引きしている高政、ホント素直なお坊ちゃんだよな~。

高政はこれまでもわずかな描写の中で、父親に対する屈折した想いがあるという描かれ方をしてたけど、一人息子の跡継ぎなのに妾の子であるから自分を認めていないのだという思いが昔からあったんだろう。これまでは頼りない息子っぽい描かれ方だった気がするけど、今回は光秀に対して父親の守護代として至らぬ点についてかなり冷静に指摘してて、「おっ!やるやん!」と今後が楽しみになった。ただ、頼芸の「息子と思うて頼りにしている」の言葉にまんまと乗せられているあたり、基本が真面目で人が良く理想主義なんだろうなとも思ったし、深芳野と道三の息子にしては素直過ぎる育ち方をしたなぁという気も。いや、道三じゃなくて頼芸の息子なの…か? 今の時点では(頼芸の息子であると思わせる演出になってたと思うけど)どちらとも解釈できるし、多分今後の道三と高政の対立への伏線にもなってるんだろうな。それにしても道三はどう見ても母子の(父親が誰かという)会話を聞いていて、ちょっと面白がっているようにしか見えない。こういう、相手の困惑に気付いていながらそれを一人で面白がって、相互理解の努力を全くしないところが今後に響いてきそう。

帰蝶。出てくるたびに「撮り直したんだよな…」と思ってしまうのをやめたい。あと川口春奈さんすごい演技が固くて緊張してるように見えるんだけど、帰蝶の今の(話の中の)状況と上手く重なって、演技の緊張がキャラとしての張り詰めた心境に見えて、すごくいい感じに働いている気がする。直前の代役、めちゃめちゃプレッシャー大きいと思うんだけど頑張って欲しい。応援してる。

今回帰蝶が子供の頃一年ほど明智荘で過ごしたことが判明。その間に光秀は51回双六勝負して全敗したエピソード。運が悪いことの伏線? このうっすらと帰蝶が光秀を気にしているっぽい描写は何か今後に活かされるのか。帰蝶も光秀も今後の伴侶が既に判明しているので、こういう描写がなぜ挟まれるのかということを考えてしまう。ぶっちゃけ、造形がハセヒロさんてだけでぽーっとなる気持ちはわからんでもない。ただ、ここまで描かれた限りでは光秀というキャラが帰蝶にとってそこまで魅力的に映るか?と考えると、ちょっと弱いかなぁという気もする。

今回、駒ちゃんからも光秀に対して憧れ的な視線が描写されていたので、この(ほのかとはいえ)ハーレム的要素って必要だから描かれてるのか、脚本家の嗜好なのか、ちょっとまだわからないので様子見。そう言えば、菊丸が光秀の歩み去る姿を見て「歩き方もいいですねぇ」って言ってて、あまりにおおざっぱな持ち上げ方で思わず笑ってしまった。歩き方ってどんだけ雑な褒め方なんだwww 駒ちゃんを助けた「大きな手のお侍さん」は光秀の父親とかそういうフラグなのかなぁ。これもどこに収束していくのか、今後の行く末を見守りたい。

尾張の話。前回の大敗からはみんなすっかり立ち直っている様子。平手政秀が遠目に西村まさ彦さんに見えて、ここにも叔父上似の武将が!?すわ伏線回収!?!?と思ったらただの目の錯覚だった。だからぁ~前回の謎演出のせいで変な先入観持っちゃったじゃないか~。ここの織田信秀と平手政秀の会話で、織田家が守護でも守護代でもないこと、そして織田家はどちらも恐れぬ実力があることが説明されてて上手いなぁって思った。あと織田家が根っからの戦国武将で戦好きなのもわかって面白い。

最後の最後で顔見せだけだったけど、今川義元片岡愛之助。なんつーか、真田丸の印象が強すぎて大谷刑部!!と思ってしまう不具合ありつつ、今年の今川義元桶狭間で勝つかも…?と思わせるオーラがすごい。今後の出番が純粋に楽しみ。

全然どうでもいい話だけど、自分の家では4K環境で録画して見てるんだけど、紀行の入りの部分、ナレーションの音が切れてるような気がするのが気になる。BSとか総合の放送では切れていないので、4Kだけ調整が間に合ってない?設定がおかしい?みたいでちょっと気になっている…。

麒麟がくる 第2回「道三の罠」

The・道三劇場、あるいは道三無双。最初から最後まで、道三の魅力たっぷりな第二回だった。

視聴者としては、道三に本木雅弘さんが配役されている時点でキーパーソンだよなっていうのはもちろんわかるんだけど、道三がどういう人物として描かれるのかは一話の時点では良くわからない部分も多かった。定説通り「食えない蝮」っぽい片鱗は見えるんだけど、珊瑚を自分で拾って戻したりちょっとお茶目な面もあって…と判断が難しいと思っていたところに、最初から最後まで道三の見所たっぷりな第2回。序盤は道三推しで行くんだな~というのが明らかになってスッキリした。

ちょっと意外だったのは、思った以上に人望が無さそうなところ。叔父上は長いものに巻かれ強い者に従う根性で仕えてそうだし、稲葉氏とかは不満を隠そうともしてない。息子ともうまく行ってなさそうな描写も多いし、実際に対面で接すると真意がわからなくて不気味な印象が強い人なのかもしれない。視聴者としてみているとめちゃめちゃお茶目なんだけどな。でも不満のある家臣を抑えつけられるだけの力があるのも確かっぽい。織田信秀に対する戦術といい、人の心を読むのが上手そう。そして読めはするけどそれに対して適切な対応ができている訳ではない(力で押さえつけることが出来ればそれで良いと思っている)という見方も出来て、そういう道三をお茶目な面も合わせて描くというのが面白い。光秀も、おそらく道三の底知れぬ実力については薄々感じているのだろうけど、人間的な部分で「やり方が好きじゃない」って言っちゃうし、態度にも出ちゃうのが青臭くて良い。今後成長していくにつれ、この関係性がどういう風に変わるのか楽しみ。

今回面白かったのが道三が光秀に「旅費として渡した金を半分返せ」って言い出すところ。交換条件として「侍大将の首二つで帳消し」というものも提示してきて、光秀が血眼で侍大将を討ち取ろうと奮戦することになるんだけど、その描き方がコミカルでめちゃめちゃ笑える一方で、借金の形に敵の首を取ろうとすること、その相手が自分の身内に似ていて躊躇することなどを盛り込んで、この時代の人の命の(今の時代と比べての相対的な)軽さと、その軽さに対する(人間の本質的な部分での)忌避感みたいなのがない交ぜになる感じが面白かった。こういう上手く言語化出来ない無常観みたいなの、時代劇の醍醐味だと思う。

その一方で、身内(叔父上)に似た武将を討ち取るというのを、西村まさ彦さん演じる敵将でやった演出は、ちょっとわかりにくかったかなぁ。一瞬「叔父上裏切ってたの!?」って思ったし(額に傷があったから違う人だというのは後から考えたらわかるんだけど、最初見た時はちょっと混乱した)、NHKの役者探索能力を駆使したら西村まさ彦さんに雰囲気が似ている役者なんてすぐに探してこれそうなのにあえて同じ役者を使うことの意味を考えてしまって、肝心の「身内に似ている人を討つことによって、戦の不毛さを感じ、侍の本懐に疑問を持つ」という大事なところが印象に残りにくかったような。ハセヒロさんのせっかくの演技の間中、アレは似ているって演出だったのか~そうか~だったらその意味は~とか頭の片隅で考え続けてしまって、演技に集中できなかったのがちょっと残念だった。

織田信秀という人物を(信長の父親という以外)何の情報もないまま見ているんだけど、うっかり道三の罠に引っかかって総攻めを許しちゃうあたりとか、落ち延びた後の「家に帰って、寝るかぁ」の言い方とか、好感度爆上げ方向の人物に振ってきたので、今後の活躍がめちゃめちゃ楽しみ。信長とどう絡んでくるのかも期待しかない。高橋克典さんはこれは初大河と聞いてびっくり。意外と出てそうなイメージあったのに。なんか時代劇が似合うなぁと思ってたんだけど、経歴見る限りそれほど時代劇やってないのな…今後はNHKの時代劇常連になりそうな気も。それにしても弓矢が一斉に空から落ちてくるシーン、何度見ても怖いな。私がこの戦法の映像を見たのは、確か「平清盛」で源義朝と清盛の一騎打ち(なぜ一騎討ちだったのかいまだに謎)シーンだったような気がするけど、あんな風に矢がすごい勢いで降ってくるの恐怖しかない。そして信秀の弟めっちゃ転がって行ったけど戦士したんだな…立ちション中(ではないか)に矢に射られて転がり落ちて戦死…無念。

今回は織田の黄色の幟が印象的な使われ方だった。勢いのある時は画面中に黄色の旗がはためいて、敗色が濃くなった時は地面にうち捨てられ、踏みつけにされ、汚れて川に流される。川底から空を見上げる(とうち捨てられた黄色い旗が流れて死んだ武将が沈んでいく)構図が印象的だった。カメラワークが(別に独創的とかではなく、普通にある演出の一つなんだとは思うが)印象的で面白かった。

道三VS土岐頼純。土岐家が美濃の守護であり、齋藤家は守護代として成り上がったという背景が(私の中で)ここで明瞭になった。帰蝶は政略結婚で頼純に嫁いでおり、世継ぎを産んで道三の意のままになる守護を立てることが目的だったんだろうなぁ。今回思い切りよく毒殺という手段に訴えてきたのは頼純側が道三の排除を企てたからであり、道三自身は(自分の邪魔をしない限りは)積極的に守護としての土岐家を取りつぶそうとはしていないように見えた。まぁ、頼純にはそうは思えなかったんだろうけど…。席を立とうとする頼純に「頼純! …さま(めっちゃ形式的に)」って恫喝したのがハイライトだったな~。二人の力関係があのわずかなセリフで表現され尽くしてしまうというのがお見事。道三は一貫して冷静沈着で態度を変えないのがまた怖かった。

毒入り茶については、もうどう見ても毒入ってんだろっていう状況で、以外と躊躇なく頼純が飲んでるので笑ってしまった。まさかこんなわかりやすく毒殺とかしないだろうって楽観的に考えてしまったのか、道三という男をどこまでも軽んじてしまう程度のコモノだったという描写でもあるのか。いや、ちょっとは疑わない? 疑ったとしても飲まずに済ます道があったとは思えないけど、ある程度覚悟を決めて飲むのと、うっかり飲んだら毒入りだったのでは、その後の名誉とかにも影響するのでは…? あと謀反の手紙をそのまま証拠として押さえられるとか危機管理能力が低すぎるでしょ。押さえられてもしらばっくれてごまかす程度の気概を見せて欲しい。まぁそういう所が出来なかったのが頼純が毒殺された理由なんだろうけども。

帰蝶が頼純の行動を把握してたっぽいのが切ないなぁ。別に夫婦の愛情があったわけでもなさそうだけど、自分の結婚がなんの実も結ばずにこんな結果で終わるのは虚しかろう。それでなくても帰蝶は利発で聡明で、自分の使命に誇りを持っていそうだしな。あと、帰蝶は今回初めて光秀と顔合わせだったけど、なんか思わせぶりな表情なのが気になる。幼なじみで初恋設定のテンプレートなのか?

戦の様子が映像で描写されるのが興味深かった。アバンで町人が着々と戦支度する図とか、堀とか柵とかを急ごしらえで作ったのを上空からドローン撮影した図とか、面白い映像が盛りだくさんだった。弓矢で一斉射撃とか、その時板状の盾を上に構えるのとか、撤退の時の光秀たちの動きとか、投石とか火俵を梯からゴロゴロ転がすのとか、とにかくこの時代の戦を最新研究結果を踏まえて映像にするんだ感に溢れていて、なんだかほっこりする。火俵から兵士に火が燃え移ってたのは、ちょっと火のまわりが早すぎる気はしたけども! あとあんなにコントみたいに落とし穴に落ちるのか謎…面白かったけど…。

以上、道三の魅力たっぷりな第2回だった。あ~一年間めちゃめちゃ楽しみ。

麒麟がくる 第1回「光秀、西へ」

ついに始まった~~!! 今調べてみたら、初報が出たのは2018年4月…だったのかな? 正統派(というんだろうか)大河脚本家であると評判の池端俊策さんがメイン脚本をやるらしいとのと、主演がハセヒロさんという情報を見て「ガチガチにド安定な路線で来たな!?」って思ったのを覚えている。放送直前の年末に主要キャスト交代というアクシデントがあった時も、最終的には上手く仕上げてくれるだろうっていう謎の信頼があった。だから2週間遅れの開始も全然苦にならなかった。絶対面白いだろうと思っていた大河の初回が、想像通りに面白いと思えるのって、なんて幸せなことなんだろう。

大河のために…というか実際にはたまたまだけど、4K環境が整ったので、今年の大河は4Kで視聴。まさか日曜朝から大河が見られるとは…(実際には録画で見てる)。私は映像オタクではないので、正直4Kの映像の良さ(これまでとの違い)はいまいちわからなかったのだけど、印象的なのは映像の色彩が時代劇らしからぬカラフルさだったことと、山や稲穂などの緑が不自然なまでの彩度だったことかな。カラフルな着物はある程度の時代考証してる上でのチャレンジなのかなと思って好意的に見た。実際にその時代にカラフルだったかどうかはどっちでも良く、その時代にその色が出せると検証した上で、そういう華やかな原色の溢れた世界だったかもしれないと想像して創造する挑戦には敬意を表したい。清盛に出てきた真紅の禿の装束とかに夢とロマンを感じる属性なので、同じ路線のロマンを感じた。ただ、背景の稲の緑の彩度が飛んでた(ように見えた)のはちょっと気になった。4Kカメラの問題か、その後の調整の問題か、あるいは実際に見ればあの緑は心地よいのに、カメラを通すと彩度が高すぎると感じてしまうのか…。確か8Kは目で見るそのままの映像を残せるとかなんとか。機材の性能が上がれば上がるほど、これまでの映像に慣れた人間の方が、その映像を正しく受診出来る機能にまだ対応できていないのかもしれない。そのうち見慣れるのかもしれないけど、もうちょっと落ち着いた黄緑にして欲しいかも…目がチカチカする。

久々に子供時代のない、第一話から主演ハセヒロさんの大河。子役時代が無いのは真田丸以来かな? 真田丸の時も一話で「もう絶対一年間面白い!勝ったも同然!」て思ったけど、今回も同様の安心感のある第一話だった。最近すっかりおなじみのドローン撮影を駆使した、広いのどかな田園風景からの、野党との襲撃チャンバラ。印象的なのは敵の頭領の禍々しさ。どことなく鎮西八郎為朝みがあったような(頬マスクしてるだけとも言う)。あと鉄砲を構えても光秀が全く動じなかったのが「光秀が鉄砲の存在を知らなかったから」という演出に気付いた瞬間、ひっくり返って感動した。なるほど…そういう見せ方があるのか…。そして、その後すぐに自分の知らない武器があること、自分の生きている世界が狭いこと、今後どうすればいいか、まで一直線に思考が進む光秀の聡明さまで描くのが上手いよな~。その途中に「黙れ小童!」って言いそうな叔父上とのやり取りが挟まれるのが面白かった。あそこで「うが~!」って奇声あげる光秀は、ちょっとハセヒロ金田一みを感じたり。いや~、オタク心を擽る初回であることよ。

本木雅弘さんの斎藤道三(利政)。これまで道三って私の中で食えないマムシ坊主ってイメージだったのだけど、見目麗しい本木雅弘さんでどうなるかと思ったら、思った以上に食えないマムシっぽさはありつつ、見目麗しい道三だったので拍手喝采した。最初の槍を振り回すシーンで荘厳さと勇猛さ、珊瑚を大玉と小玉に分けさせる細かさ、息子の至らなさを大っぴらに叱るワンマンっぷり、褒美にと投げつけた珊瑚を自分で拾って盆に戻すセコさと同時ににじむ愛嬌、自分で「利益にならないことはしない」と宣言してはばからない自己肯定感、「だから?」の一言で表現されたお茶目さ、などなど、このわずかなシーンでこの作品の道三の魅力が詰め込まれていて、演技と演出と脚本の三位一体感に惚れ惚れする。光秀のことを「なんか長い経典らしきものを2年で覚えた」という秀才逸話で思い出し、でもその時は大して興味なさげだったのに、理屈で珊瑚の数を当てた瞬間に「ほぅ」って感じで見る目が変わるのも面白かった。ただ頭が良いというだけではたいして興味を持たず、その頭の良さが「自分の利益になりそうな人材」であるとわかった瞬間にアンテナに反応するってことだよな。このシーン、本当に濃くて面白かった。

光秀の母上はなんと石川さゆりさん! 普通に演技が上手くてびっくりした。でも良く考えたら舞台で時代劇のお芝居+歌とかのステージとかありそうだし、演歌自体がキャラと心情を作って歌うものって面もあるだろうし、誰かになりきることには慣れているのかも。光秀が旅立ち前に食事をしている側で、立ち膝なのが印象的。江戸時代の女性は正座なイメージだけど、立ち膝の方が臨戦態勢の武家っぽくてカッコいい。今作では明智家は美濃源氏土岐氏の末裔って設定らしく、そういう系図とか氏の流れとかはさっぱり守備範囲外でわからないけど、この辺もそのうち伏線として回収されるのかもしれないので楽しみにしている。

光秀のミッションその1:堺で鉄砲を入手する。堺で印象深かったのは間違いなく松永久秀吉田鋼太郎さん! 私の中では真田丸で出番短かったくせに鮮明な織田信長像が強いんだけど、今回も短い出演時間で強烈すぎる印象を残してくれたな~。武器商人の宗次郎(大塚明夫さん)がまたものすごいインパクトだった。最初宗次郎見た時、吉田鋼太郎さんかと見間違えたんだけど、業界でも似てるって評判だったと後から知って、まんまと美味しいネタだったんだな~。光秀を道三の家臣と知ってあからさまに(道三に)興味津々で近寄ってくる胡散臭さがたまらんし、疑いもせずにまんまと酔い潰されちゃう光秀の初々しさよ。翌朝枕元に鉄砲を一丁残してくれたのでめっちゃ感謝してたけど、どう見てもカモられてるから! 絶対宗次郎には原価スレスレの値段しか渡さずに、がっぽりマージン取ってるんだろうなって確信出来る久秀の食えないオヤジっぷりに目が離せない。この鉄砲大丈夫? 粗悪品とかじゃないよね…?

光秀のミッションその2:京の都で名医を確保する。直前の堺との対比でますますこの時代の京の寂れ具合が際立つ。子供が当たり前のように武器を抱えている絵に地味にショックを受ける。堺正章さんの東庵先生、演技にいちいちタメがあって歌舞伎っぽいというか「演劇」っぽい感じなんだけど、多分これはこういう演出なんだよなぁ。まだちょっと違和感が。駒ちゃんが必死な顔で「先生!本音で話して!お金欲しいんでしょ!?」って言うのが斬新すぎて笑った。そっちかwww

京での火事。火の中に飛び込んで子供を助ける光秀というモチーフは、いずれ比叡山を焼いたり本能寺に火を付けたりすることへの伏線なんだろうか。そして駒ちゃんの言葉を聞いて、光秀が「麒麟は来ない」と(逆説的に)祈るように言う姿は、第一話の構成としてあまりに美しかったなぁ。つまりこの話は光秀が麒麟を探す物語になるわけで。そして、視聴者は光秀が最後に信長を倒して火を放つことを知っているわけで。平和な世を求めて麒麟を探す男が、主君を討つまでを描くってことになるんだよなぁ。どういう経緯で光秀は信長を倒す決意をするんだろう。そこに麒麟はどう絡んでくるんだろう。最終回でまた「麒麟は来ない」って言ったらどうしよう…泣いてしまう…。

そして帰蝶。しばらくは「わざわざ撮りなおしたんだよなぁ…」と思ってしまうだろうけど許されたい。川口春奈さん、気が強そうで芯があってどこか愛らしい女性を精一杯演じている感が可愛らしかった。すごい重圧だろうけど頑張って欲しい。応援したい。既にどこかに嫁いだ身で、父親が戦をするって知って馬で一人戻ってくるってとんでもない姫だけど、この時代はそういうのもありなのか、それとも帰蝶が特別なのか。今回は顔見せ程度だったけど、かなり今後ガッツリ物語に絡むみたいなので楽しみだ~。沢尻エリカさんの帰蝶も見てみたかったけど、これはもう仕方ないからなぁ。光秀とも何か思わせぶりな縁がありそうなのもワクワクする。

・OPのキャストのフォントが過去の角川映画みがあった。具体的には市川崑石坂浩二金田一っぽさというか。
・琵琶湖を渡る船は「清盛の宗船では!?」ってテンション上がった。清盛で船作っておいてよかったねぇ…!
・何度も通行料を取る比叡山、人買い&追いはぎが堂々と日中歩いてる街道、ほんに戦国の世は恐ろしい…
・駒ちゃんを助けた「大きな手の人」はそのうち回収される伏線か。
・おそらく大金をかけたであろう鉄砲を光秀がぞんざいに扱うので、根が貧乏性な私はハラハラしてしまう。