麒麟がくる 第6回「三好長慶襲撃計画」

鉄砲を「美しい」と評価する光秀と、その言葉を聞いて「鉄砲を美しいと評したのは久秀と光秀だけ」と言う伊平次。なんつーか、安直に光秀をヨイショする的なセリフに聞こえなくもなく…まぁ伊平次は続けて久秀が評価しているのは造形というより造形のための職人の技術的な部分、みたいな意味合いのことを言うので、脚本的には光秀ヨイショというより、伊平次の久秀への好感を表現しているのかもしれないとも思うが。その後、さり気ない風を装って思いっきり思わせぶりに「今日という日を乗りこえられれば良いのだが」的なことを言ったのも、伊平次が久秀が易々と討たれるのを何とかしたいという気持ちの表われ…と見るべきなのかな。それにしてはタイミング的にギリギリ過ぎて切実度が感じられないわけだが。あといくら遊女屋だと警戒心が薄れるとは言っても、あんな直接的な会話を隣室に人がいる状態でしちゃうの、割と迂闊すぎて乾いた笑いが出る。その時の伊平次が妙にハードボイルドな面持ちなのも笑うしかない。コントか。

足利義輝能楽鑑賞会? 能…だと思うんだけど違うかも。伝統芸能の違いがわからない。途中で刀を落としたのは演目上の正しい仕草なのだろうと想像するものの、その意味が良くわからなかった。演目そのものに意味があるんだろうか。見る人が見ればわかるのかな。能楽というと「平清盛」で父盛が殿上人として認められた時の宴が能楽だったのが印象的で、貴族のたしなみ的なイメージが強い。義輝がこうやって能を鑑賞しているのも、この時代の将軍が貴族的な(ある意味お飾り的な)存在である印象にも繋がるのかな。でも武闘派っぽいイメージの三好長慶さんも連歌の会とかに出てるし(いかつい顔に似合わず、意外とドヤ顔で歌読んでたw)、この時代だと京都を基盤とする武家は能も歌も当たり前の教養なのか。そう言えば少し前に織田信秀が「歌も蹴鞠もさっぱりわからん」って言ってた。守護などの所謂「名家」と田舎者の国衆の格の違いってヤツか。そう考えると、頼純に毒入り茶をふるまった時に今様?を歌ったのは、これはこれで複雑な意味合いが含まれているのかもしれない。考えすぎかもしれない。

藤孝と藤英の兄弟が仲良さそうで見ていて和む。弟の藤孝が鼻息荒く細川晴元を嫌う理由が「義輝の前で鼻をかんだから」なのがめっちゃ個人的な好き嫌い案件過ぎて面白かった。この後、光秀の青臭い理想論に感激しちゃって光秀に対する信頼が爆上がりするあたりも、本当に見た目通りのアツい男なのがわかりやすすぎて微笑ましい。調べてみたら、そうか、藤孝は細川忠興の父なのか…そうか…本能寺…;;

義輝の立ち聞き。あまりに素朴に堂々と廊下に突っ立って聞いてて笑ってしまった。その周りにお供がワラワラ跪いてる光景も、藤孝と藤英が相次いで廊下の曲がり角で義輝に気付いてがばっと畏まる姿も、絵面的にかなり面白かった。理想と現実がままならない義輝の表情とか、向井理さん良い仕事するな~。不幸属性を諦めの境地で受け流している感に溢れていて、それが妙に庇護欲をかき立てるが故に藤英藤孝兄弟が誠心誠意仕えているのだろうなぁという事情が察せられる。いやぁ、本当に向井理さんこういう役が似合うね!

あと、先週の予告でこの部分の光秀の啖呵が使われていて、まさか将軍に対してこれを直訴しちゃうとかの熱血主人公エピソードだったらどうしよう(困惑)って思ってたんだけど、啖呵を切る相手は藤英で、その発露の仕方も納得のいく形だったので良かった良かった。こういう部分の積み重ねが脚本に対する信頼感になっていくんだよな。それにしてもそういう反応すら見越した上での予告だったとしたら、私は正に制作者の手のひらの上ということに…それはそれで幸せ…。うまく転がして欲しい。

今週の見所、連歌の会での三好長慶襲撃計画。映像がめっちゃアゲアゲに作られていた! 落ちる真っ赤な紅葉、からの無音演出で画面上は襲撃組が走り込む映像、からの一転して危機感を煽りまくる劇伴! コテコテだ~! だがそこがいい!! 特に中庭に散りばめられた紅葉は人工的に作り込まれた視覚情報なのである意味違和感なんだけど、これが連歌の会というのを考えると、当時もそうやって「中庭を作り込む」ことが行われていた可能性も高くて、この「あまりに人工的な美しさ」をあえて歌に詠むという当時の趣向かもしれなくて、そういうメタ的な要素にもテンションが上がった。こういうやり過ぎなトリッキーさが逆に刺さる時ってあるよな。

三好さん(となぜか呼んでしまうw)のピンチに投げられた短刀(?)、からの光秀の投げポーズ!のやり過ぎ感には思わず笑ってしまった。カッコいい!カッコいいけども!! その後の光秀と藤孝が同時に両サイドから敵を屠る演出といい、その後のめちゃめちゃわかりやすいアイコンタクトといい、ピンチのピンチに颯爽と現われる援軍(藤英)といい、時代劇のチャンバラシーンのカッコいいテンプレ全て注ぎ込みます!的な大盤振る舞い。テンション上がるけど、上がりすぎて逆に笑えてきちゃうのが惜しい。こういう突き抜けた演出、ハマればめっちゃクセになるんだけど、ハマらないと最後まで作品を鑑賞モードで見ちゃうからいまいちノレなくて悔しいんだよな。ハマれたら楽しいのに!って思っちゃう貧乏性。

後から気付く刀傷(実は結構深手)からの「京に医者の知り合いが」からの駒ちゃんとの再会という展開は、強引さをうまくエピソードに絡めていてお見事って思った。ただ、看病時のやり取りから美濃に帰る光秀に強引に同行する駒ちゃん、からの青春・恋愛小説漫画アニメゲームのテンプレ「旅先でやむなく同室に泊まることになって…?」の発動までがあまりにノンストップで突き進んでいく展開にはビビりまくってしまった。最近、こういうアグレッシブなテンプレさって、どちらかというとコメディとして描かれることが多い気がして、こんな直球で時代劇に入れてこられると、どういう感情で受け止めたら良いのか迷ってしまう…。あと、なんていうかこう、駒ちゃんの「光秀が好きという感情への前のめり感」が無邪気すぎるのがかなり怖い。これ、ちゃんと自分の気持ちとその行きつく先を認識してるのかなぁ…?してなくても怖いし、しててこの言動なのはさらに怖い。してない…よな? あと、駒ちゃんの存在が早々に光秀の(麒麟を追い求めるという目的への)呪いになるフラグに見えてきて、そういう意味でも怖い。駒ちゃん、なんかすごい理不尽な死に方したりしないよな…? めっちゃ不安。

藤孝が光秀に対していきなり前のめりに信頼と友情を示してくるのはすごく納得できる。あの三渕家(?)での光秀の理想の武士国家の在り方論みたいなの、藤孝はめっちゃ好きそうだもんな。普段自分がモヤモヤしていることを、あまりに堂々とぶち上げる光秀を見て、シンパシー感じまくって「我が魂の半身」みたいなモードに入ってそう。それにしても、藤孝が「光秀のような者があと一人でも二人でも義輝の元にいれば」みたいなこと言ってて、将軍の陣営も信頼出来る人材不足なんだな~ってしみじみしてしまった。まぁ現在の義輝の境遇を思えば当然か。

光秀が「その時は美濃をあげて藤孝殿をお支えします」って言ったの、絶対将来の本能寺後の結果を踏まえてのセリフだよなぁ~! うっ…本能寺後…(涙) 史実を知っているので、どうしても「なぜこの光秀が本能寺の変を起こすのか」という観点でいろいろ妄想しながら見てしまうのだけど、自分が悪者になって国を一致団結させるためだとしたら…って考えてしまったら、自分のただの妄想なのにツラすぎて泣けた。でもそこまで行くとセンチメンタルすぎるから多分無いな。本当にどうなるんだろう…年末がめちゃめちゃ楽しみ!