おんな城主直虎 第33回「嫌われ政次の一生」

ひっさびさに、見終わってため息しか出ない壮絶なドラマを見た。なんかとんでもないものを見た。見終わっても全然自分の中で咀嚼できない、ものすごいものに押しつぶされたような感覚。圧倒された。打ちのめされた。

領主を追われてからの直虎が尼僧姿に戻っていたのはこのためもあったんだな。尼姿の直虎が槍で政次を突き刺すという構図の、あの絶望的な残酷さ、そしてそれなのに漂うあの壮絶な美しさ。殺生からもっとも遠いところにいるべき僧侶が、自ら家臣に対して呪詛を吐き、命を奪うということの罪深さ。あの「地獄へ落ちろ、小野但馬」という言葉の裏の、自らも共に地獄に落ちる覚悟が切なくも甘い。そう、甘いんだよ。あんなに苦しく切なく救いの無い場面だったのに、画面から放たれる強烈な甘美さ。放映された後ラブシーンだって言われてたらしいけど、やっぱりそうだよな。みんなそう感じるよな。女主人公が、自らの片翼である存在に対して呪詛を吐き突き刺して殺す迫真のシーンに、その裏の強い信頼と絆と愛情を感じずにはいられないんだよな。すごいよな。ドラマってこういうものを言うんだよな。やっぱり大河って面白いな。ってただただひれ伏すしかない。

隠し里での政次となつさんとのひとときがねぇ…政次の本当の素顔を垣間見てしまったような、なんともむず痒くも愛おしいシーンだった。こうやって見てるとよくわかった。おとわの前では、鶴は常に自らを律して張り詰めていなければならなかったんだな~。それは直虎を前にした政次になっても同じことで、もちろん政次が自ら望んでそうなっていたのだろうけど、それでもやっぱり常に張り詰めてるってツラいよな~。政次の運命の相手は間違いなく直虎しかいないのだけど、本当に素の、ただの一人の男としての政次は、きっとなつさんとのこういう小さな日常が似合う、ささやかで慎ましい男だったんだな~っていうのがしみじみとわかってしまってツラかった。「今だけは」って言うなつさんに「はい」って言った時の高橋一生さんの声色な!あの演技な!それまでと異質の、切り取られたような、二度とは訪れない幸せ空間。この壮絶な回にこのささやかな幸せをぶっ込んでくる脚本の鬼畜さな~ホントによくやるよな~大好きだ!

今回、作中で南渓和尚が直虎と政次を評して「お互いの片翼」って言ったのがね、すごい効いてた。何度も言うけど比翼の鳥、連理の枝である相手を「呪詛を吐いて刺し殺す」という行為の破壊力ハンパねぇ。これねー、二人の間にあるのが男女の愛じゃないからこそ自分はここまで感情を揺さぶられたんだと思うんだよな。根底に男女の愛がある「かもしれない」けど、絶対にそこには到達しないと無意識のうちにお互い決めている(でも確認はし合わない)二人が、最後まで憎しみあっているという演技をしながら、その観衆の面前で地獄での邂逅を約束してるシーンなんだよね。すごくないかこれ?こういうのにラブシーンて言葉をあまり使いたくないんだけど、それでもやっぱりラブシーンとしか言いようのない己の語彙の無さ、感性の鈍さが歯がゆい。でもこのシーンの衝撃を絶対私は忘れないと思う。本当にすごかった。

柴咲コウさんと高橋一生さんの演技、本当に素晴らしかったよ~。迫真にせまる直虎の「小野を憎んでいる演技」は、政次がほんの微かに唇を揺らすだけできちんと伝わったとわかるんだよな。その後の政次の恨み節で答え合わせできるんだけど、あの表情の演技だけでも完結するのが本当に素晴らしかった。直虎が槍で刺した後の政次の表情がね~。政次にとっては、直虎は何よりも守りたい「井伊そのもの」であって、清らかに気高くあって欲しい信仰の対象のようなものだったはずで、汚れを全部引き受けて自分だけ地獄に行こうとしてたのに、その直虎が「政次を殺すこと」で業を背負って共に地獄へ行くって宣言したってことなわけで。そんなことは望んでいなかったはずなのに、予想のはるか斜め上を行く直虎に「さすが俺のおとわ」って思ったんだろうな~って感じる表情だった。何はともあれ、政次は誰よりも幸せ者、果報者だったと思うわ。自分の死が愛するものの礎となると確信して死ねるんだもんなぁ。ここまで物語を牽引してきた政次(高橋一生さん)の花道に相応しい、芸術的な最期だった。はぁ~ありがとうございました。なんか良くわからんけど、全てに感謝するしかない。

その他。家康について。なんとなく三人衆のうさんくささを感じつつも、己の力不足もあって直虎に肩入れする余裕もなく、「井伊家復興」の約束を果たすことも出来ずに土下座したままジリジリ下がっていく家康の姿だけが癒しだった。近藤殿の描き方も良かったな~。直虎たちにとっては憎むべき敵なんだけど、これまで直虎がしてきたことが積もり積もって今回のことが起こってしまったのがよくわかる。近藤殿は憎しみだけで行動してるんじゃないんだよね。憎しみが根底にあったけど、今回のような好都合な機会が巡ってこなければ、きっと近藤殿は小競り合いだけする国衆相手で済んだだろう。でも、こういう時代にぶつかってしまった。そして、こういう時代にぶつかってしまったとしても、過去の(材木盗賊の件とかもろもろの)件がなければ、他の三人衆のように共に徳川にくだるだけで済んだだろう。両方の悪い目が揃ったからこそのこの悲劇だけど、一つは直虎の自業自得って言うのがね~。容赦のない描き方。しんどい。

見終わって、この疲労感なんだっけ、久しぶりだなって思ったんだけど、わかった。清盛見た後の疲労感だ。すっごいパワーでぐいぐいせまってきて、目をそらすことを許さないあの感じ。全てを言語化できない、言葉に詰まるあの感じ。しんどいしんどい言うしかないあの感じ。今回の演出の人が清盛の「叔父を斬る」の回の演出の人だったと聞いて、「…あ~…あ~どうりで…」って思ったんだよな。また清盛見たくなった。