いだてん 第19回「箱根駅伝」

上手く感想がまとめられなくて2回見たんだけど、1度目と2度目では見た後の印象がかなり違っていた…そしてますます感想が書きにくくなった…

1回目に見た時から、わかりやすい感動演出がちょっと揶揄的に見えるなって思ってたんだけど、2回目は(最初にそういう印象を持ったからだと思うけど)もう最初から底意地の悪い演出家が「ぼくのかんがえた最強のスポーツものの感動話」を作ったみたいな演出っぽく見えてしまって、全体的に「どういう顔をしたらいいのかわからない…」と混乱する話になってしまった。特に最後の岸さん。あそこ、最初に見た時は「ちょっと感動演出を盛り気味ではあるけど、岸さんがデレたのほっこりするなぁ」って思ってたのだけど、2回目は完全に感動煽り芸にしか見えなくなってしまって、初回の感動はどこへ…みたいな。いや、岸さん自体は相変わらず可愛かったけども。

「初めて見たから」って感動して「何としてもオリンピックにマラソンを」って言う岸さん。「日本人が勝てるとかそういう話じゃない。こんなに感動するスポーツならばやるべきだ」という言葉は一見理性的に見えるけど、これ以上ないほど感情論なわけで。四三の立場から見ると力強い味方が出来たってことになるんだけど、現在のアントワープでマラソン競技を行う妥当性という意味では何一つ問題が解決していないし、それでいいのかよ…と自分の中の永井先生はいまだに仏頂面でテーブルに座り続けている。けれど、そういう感情的で無茶で後先考えない人間の思い付きが、これまでも人間の可能性を広げてきたとも言えちゃうわけで…う~ん…。

高校野球を夏にやる是非とか、箱根駅伝で燃え尽きるランナー問題とか、理性と感情のどちらを優先するのかというのは本当に正解のない問だと思う。スポーツの感動を商業的に搾取しようとする動きに反発するのはもちろんだけど、それは同時にスポーツで感動したいと思っている人間が多いことの証でもあって、それは見ている側だけでなく実際に競技者自身も感動したいと思っているわけで、競技者からその感動を奪うことが出来るのか、みたいなところに踏み込んでしまうとね…。これは実際に競技者に近い人ほど言えないよなぁというのもなんとなくわかる…。ムズカシイ。

ドラマとしては、そういう矛盾とか問題とかを全部ひっくるめて「オリンピックとは、人間とは、そういうものだよね」ってことだと思うんだけど、そこから何を導き出すかは見ている私自身の問題なのだろうけど、わかってるけど…なんかこう、突き放されてる感あるよなぁ。クドカンさんの脚本、本当に面白くて好きなのだけど、あまり自分から進んで見ないのはこのあたりの冷たさ(と私が感じる部分)をどう受け止めていいか迷ってしまうからかもしれない。

とかいろいろ考えちゃってまとまらない。もっと気楽に楽しみたい。後はメモの羅列。

四三の言動(選手に伴走車から撃飛ばしたり)とかは、最初見た時はお笑い要素として見ていたのだけど、2回目は狂気にしか見えなかったよなぁ。四三が善良な人間であることは全く疑ってないけど、善良だからといって無害とは限らないわけで、ランナーが「自分は金栗さんにはなれない」って言ってたのも結局はそういうことかもしれない。

四三が幾江さんを「いい人なんだけど」って苦手意識全開でスヤさんに愚痴るとこ。自分が幾江さん推しなのであそこを「スヤさんのオマケとして付いてきた義理の息子がなんか言ってるわい」と思いながら見てたけど、見方として合ってる…よな? スヤさんも夜泣きする子を「お母さんと二人で朝まで」って言ってたもんな。四三の「お国のために粉骨砕身」の言葉がどこか空虚に響くのは、地に足を付けて生きているスヤさんと幾江さんがいて、その上でかろうじて四三のマラソン生活は成り立っているから。まぁ四三はそれを痛感しているからこそ、肩身が狭くて余計に幾江さんが苦手になっていくんだろうけども。ほんの一握りの人間にしか許されない夢を追いかけるには、その裏でしっかりと現実を生きて支える人が大勢いてこそなんだなぁって思わせてくれるから、私はこのドラマを安心して見ていられるんだと思う。もちろん、夢を追いかけてくれる四三のような存在も絶対に必要だということも理解してるつもりではある。

テーブルに一人残る永井先生。「君は正論しか言わないな」と心底面白くなさそうに言う嘉納先生に対して「自分の役割はこれだ」というセリフにちょっとうるっとしてしまった。ムライ中将…。私はこういう、自分の役割を自覚してる人に弱いんだよ…(肋木はどうかと思うけども)

箱根駅伝をどうやって一話分のドラマにするのかと思ったら、昭和パートの五りんの創作落語として劇中で語らせるという、相変わらずトリッキーでオタク心を擽りまくる凝った構造で「すげぇなぁ」ってため息出た。ただ落語で話すだけでも飽きるから、駅伝と同じ話者のリレー方式にして、語り手の違いによる飽き対策をして、その上でまさかの!まさかの!!森山未來さんの二役!! 志ん生の長男次男が双子かって程に似てるの笑う。ていうかもしかして双子なの? それにしても語り口とか動きが違って「人が違う」ってわかるの凄い…なんなんだ森山未來…(あまりに打ちのめされて思わず呼び捨て)清盛見てた時に「松山ケンイチすごくね?」って思ったのと同じ感動を味わっている…「森山未來すごくね!?!?」