いだてん 第10話「真夏の世の夢」

この時期のストックホルムが夏だったこと&白夜をイメージしての「真夏の夜の夢」かな。ストックホルム大会そのものが日本人にとって「真夏の夜の夢」ってことなのかも。

オリンピックという言葉をほとんどの人が知らないような状態で、日本の「スポーツ」の礎とならんとオリンピックへの出場を決意するというのはどれほどの重圧があるんだろう。究極的には本人にしかわからないその感覚を、説得力のあるドラマは「こんな気持ちなのかもしれない」ってリアルに感じさせてくれる力があると思う。四三が実際にどう思ったかはわからないけれど「こう思ったかもしれない」と想像出来ることが嬉しく楽しいし、良く出来たドラマはそう思わせる力があるんだよなぁとしみじみと思う。

弥彦の物語。知名度でも経験でも圧倒的に自分の方が優れているという前提で乗り込んだオリンピック会場で、自分よりもパッとしない田舎者(とまでは思っていなかったかもしれないけど、明らかに自分の方が上だと無意識に思ってはいたはず)の四三ばかりが持て囃されるのはやっぱり屈辱だっただろうな。家族にあんな風に感動的に送り出された後で、成績が残せなかったらという焦りもあっただろうし、でも世界レコードを考えたら自分の実力では勝てないことはほぼ確実で。

「負けを知りたい」と豪語してた弥彦が練習の間でどんどん自信を喪失していくのが痛々しいんだけど、弥彦に劣等感を抱かせる要素が便器の高さであることとか、窓から発作的に飛び降りようとする時ふんどし姿であることとか、絶望が常にどこか滑稽に描かれるので、見てるこっちは過剰に弥彦とシンクロせずに済んでダメージを軽減できていた気がする。でもこの演出をやり過ぎると絶望自体を笑い飛ばしてしまう結果になるかもしれず、ずいぶん綱渡りなのかもしれない。あるいは実際にそう感じてこういう演出が嫌いな人もいるのかもしれない。何でもそうだけど、表現て絶対的な正解があるわけじゃないので難しいよな~。私はクドカン作品が楽しめる感性で良かった。

そんな状況でよりにもよって四三に「勝てないとわかってるならむしろ気が楽」と慰められるって本当に惨めだっただろうなぁ。四三が本当に全く何にも悪気がなくて本心から同情してるように見えるのがまた救いがない。それでも同じ選手として気持ちをぶつけられる相手は四三しかいない。逃げ場がない。でも弥彦が人格的に素晴らしかったなぁと思うのは、その絶望と逃げ場のなさにきちんと向き合うことを覚悟して、かつ四三の良さをそのまま受け入れたところ。こういうしなやかな強さ、素直さが本当に全身から感じられてとても素敵だった。生田斗真さんが今後弥彦にしか見えない呪いがかかったかも。

四三は主人公なのにいまいちその心情が明確には描かれず、でもところどころから滲み出る底の見えなさがあって、なんとなくドキドキしながら見守っている。今回弥彦に「勝てなくてもいいじゃないか」って多分本心から言ったその口で、遅れて到着した加納に「表彰台で歌う君が代の練習をしていた」と臆面もなく言い放つ姿とか、ゾクゾクしたもんな。まぁ別に「勝てなくてもいい」と気持ちを落ち着かせることと「勝ちたい」と思うことは矛盾しないから人間としてはごく普通の姿なんだろうけど、ドラマでこうやって描かれるとちょっと新鮮味あるなぁって思ったり。

最後のところで四三が「ニッポンじゃなきゃ出ない」って普段からは想像もつかない強い口調で主張する姿にハッとさせられた。飄々として何事にも動じない強さがあるような気がしていた四三もやっぱり極限状態で、余裕がないのかもと思わせる切羽詰まった感が滲み出てた。タフで繊細な四三というキャラからますます目が離せなくなってきたな~と期待が高まる。

大森夫妻はコメディとシリアスの間をさ迷う難しい役どころだなぁ。監督として同行しているはずなのに、体調不良でグラウンドに顔も出せない状況は最初はスラップスティック調に描かれ、見てる方が「さすがにこれじゃあなぁ、不満も出るよな」と思った直後に悲壮な安仁子夫人の表情で何も言えなくさせるという展開、タイミングが絶妙すぎて唸った。そしてその後にちゃんと選手のトレーニング方法が理論的で科学的であること、体調が持ち直して(もしくは無理を押して)練習に同行している姿が弱々しくも楽しそうであることなどで、一気に兵蔵の好感度がぶち上る。上手い。上手すぎる。手のひらの上でクルクル踊らされている感あるけど、むしろずっと踊っていたい。

ストックホルムロケは去年の夏だったんだっけ?ものすごい気合いを入れたロケだったであろうことは、この回の出来からも容易に想像出来る。とにかく画面からの制作者の圧がハンパない。スタッフの熱のこもったドラマを楽しく見られることの幸せを噛みしめる。