西郷どん 第33回「糸の誓い」

自分でもびっくりするくらい制作側の「お約束感」が見ててしんどくて、つくづくこの大河ドラマは自分に合わないんだなぁと思った。

お龍が寺田屋事件の際に西郷指名で薩摩藩邸に助けを請うてきたり、龍馬が吉之助と縁側で話してる中で「おぬしの案だろう」と指摘したり、パークスさんの接待(のマズさ?)を一人だけわかったような顔で傍観してたり、ご機嫌斜めだったパークスさんが吉之助の言葉でコロッと「ようやく話が出来る相手に会えた」とか言っちゃったり、なんかもう「わかった!わかったから!西郷さんがスゴい人で誰もが愛さずにいられない(という設定な)のは良くわかってるから!そんな畳みかけるように次から次へと『ぼくのかんがえたさいきょうの愛され西郷』みたいなエピソード入れてこなくていいよ!居たたまれない!!」という気持ちでいっぱいだった。画面を正面から見ていられなかった。しんどすぎた。あまりにも同じ回にアゲ展開盛りすぎじゃない…?なにごとにも限度ってものがあるじゃない…?

龍馬夫婦の霧島温泉旅行とかハークスの薩摩会談とか、一応歴史上の史実を取り入れつつ、今回のメインは糸どんとの子作りなのはまぁそういう(家族内のエピソードを大事にする)大河ドラマがあってもいいと思う。ただ、お龍さんのキャラはちょっと…みんなの前で前妻や前々妻についてあっけらかんと聞くのとか、糸どんに対して子作りに励むようアドバイスするとか、なんていうかこう「先進的な女性像」を間違えてる感が強すぎて見ていてツラかった…。この時代にはまだほとんどいなかった自立心と自我を持っていた女性を表現するにしては、あまりに稚拙過ぎる表現だった気が。デリカシーのない空気読めない女性を描きたかったのなら間違いじゃなかった気がするけど、そうすると今度はお龍さんをそういう女性として表現する意味がわからないし。

あと、お龍さんが龍馬を追いかける展開なんだけど、龍馬が今回の旅は危ないからという理由でお龍を残していく判断をするのはいいとして、なんでその残していく場所が西郷家なんだろうという当たり前すぎる疑問が。それだけ糸どんを信頼したというエピソードだとしても、あれだけ貧しい西郷家に赤の他人の自分の嫁だけ残していくとか不自然過ぎるし、いつまでとか期限がないのも怖すぎる。その上龍馬にそこまで頼まれたのに「一緒にいると決めている」というお龍の言葉だけで上衣一枚羽織らせて追いかけさせる行為が無責任に過ぎる気がしてしまってモヤモヤした。龍馬の信頼は一体どうなるんだ。あと行き違いになったらどうするつもりなんだ。いや、歌舞伎の見せ場的なテンプレ場面演出だというのはわかってるけど。

愛加那と糸どんをどうやって両立するのか問題は、多分今回の描写が一応のアンサーなんだろうなぁ。意地悪い見方をすると、ありがちでなぁなぁな落としどころを設定したという印象。ただ、一度死んだ吉之助を生かしてくれた愛加那ごと、糸どんは愛する覚悟をしたという場面であることはヒシヒシと伝わってきたし、そこだけ切り取ってみれば、役者の演技は素晴らしいし、情熱的な色恋とは違う大人の親愛としての夫婦愛エピソードとして秀逸だったと思う。多分脚本家はこういう描写が得意で、こういう展開をずっとやっていたいんだろうな~ってしみじみ思わされた。別にこういうシーンを延々とやる大河ドラマがダメなわけではなく、こういうシーンばっかりでもいいんじゃないかとは思っている。ただ、家族愛とか人間愛をメインテーマとするのであれば、もっとキッチリと家族や仲間とのあれこれを描いてくれてもいいと思う…西郷さんがみんなから愛されている描写だけが延々と続く(しかも一つ一つのエピソードに説得力がない)というのは、家族愛や人間愛じゃないと思うんだよな~。

来週は慶喜の将軍就任!松田翔太さん烏帽子姿似合う~!楽しみ!