西郷どん 第4回「新しき藩主」

演出が厨二っぽくて好き。画面の構図とかカメラアングルとかが印象的で好き。大河を「演出と演技のみに特化して見る」のを目標とするなら、結構いい作品かもしれない。まぁ、普通演出と演技【のみ】に特化して見る必要なんてないわけですけども…(遠い目)

 

赤山先生の切腹という処分を到底受け入れられない門弟たちが久光のところに直訴するも、当の久光は迷惑そうに「自分には何もできない」とすげなく拒否。吉之助たちにとって他に頼る相手がいなかったのだろうと推測はできるけど、正直「なぜ久光が力になってくれると思った?」と首を傾げざるをえない流れだった。斉彬派の吉之助にとって、久光はむしろ反対派閥の神輿なわけで、その相手に頼らざるを得ないという理性的な判断はしているくせにやることは無策で土下座で頼み込み…いかにも安直にシーンを作っている感というか…。あと、今回やたら気になってしまったのは、最初の土下座で助命嘆願の時点で鯉口を切った侍がいたくらいなのに、その後久光が駕籠で出て行くのに追いすがろうとする吉之助たちに対しては決して切り捨てようとせず投げ飛ばすだけで済ましてくれる都合のいい護衛の対応…感情的になって追いすがってくる相手こそ切り捨てるべきではないのか、護衛侍よ。久光が「よい」と一度発せば、その場は殺生なしというルールがあるのだろうか。謎。

 

由羅(小柳ルミ子)と久光が庭で三文芝居みたいなの始めるの見て笑った。久光は心から言ってるっぽいけど、由羅の態度がどうしても観客:斉興に対する小芝居にしか見えず、当の斉興はあまり芝居に興味なさげというちぐはぐ感。これ意図的な演技…だよなぁ…?でもちょっと意図が読めない。お由羅騒動とは言うけど、もともと斉彬の密告から始まった対立なんだろうし、斉興に一方的に悪役を割り振るこの手法はあまり好きじゃないかも。水戸黄門的時代劇なら絵に描いたような悪役でもいいけど、大河でそれやられるとちょっと興ざめる。でも水戸黄門大河が好きな層もいるのかもしれないし、多様性を大事にする時代だからこれはこれでアリなのかな…?そういえば、斉彬の密告もサラッと書かれたけどどういう思考でそういう行動なのかいまいちわかんない。篤姫の時もよくわからなかったけど、今回はさらにわからなかった。


赤山宅でみんなで芋を食べるシーンの存在意義は良くわからなかったね…いや、ほとんど言いがかりのような理由で切腹させられる赤山先生が門弟に対してあれだけ清々しく笑いかけるという、赤山先生の高潔さを表現し、人柄を偲ぶためのシーンだというのはわかる。その意図はわかるけど、せっかくのシーンで発する言葉が「お前たちは芋だ」って、アンタそんなあまりにも安っぽい説教…(愕然)。なぜかみんな感じ入って聞いてたけど、テレビのこっちでは「何言ってんだお前」状態だったからな…セリフがシーン負けしてた。残念。

 

赤山先生の切腹シーン。希望(=師匠)を失った吉之助の世界が一瞬でモノクロになって、ジワジワと血の赤が戻っていくあの演出はステキだった。厨二全開だけどむしろそこがいい。個人的に吉之助の感情表現が「叫んで感情爆発」しかないのが気になるけど、多分今の吉之助は未熟な時期という設定で、今後こんな叫んでばっかりだった吉之助が口数が少なく感情を見せない西郷隆盛(脳内イメージは吉川晃司@八重の桜)に成長していく過程を見られるんだって信じてるから。

 

大久保家が連座で処罰される際に、唐突にぶち込まれた相撲も見ててポカーンとさせられたんだけど、これまでにこの二人の間で相撲って何か重要なモチーフとしての説明とかあったっけ…?西郷父と大久保父が親しい友であることはかろうじて描かれてたけど、別れのシーンで「最後に相撲で勝負だ」って言われても「なぜ相撲!?」って疑問ばかり頭に浮かんで、すんなりとストーリーを受け止められなかった…旅立つ直前じゃなくて、前日に相撲勝負を済ませておくことが何故できなかったのか。そういう些細な部分が気になっちゃうのは、やっぱり私にとって面白くないからだよなぁ。

 

斉興が阿部正弘にめちゃくちゃフレンドリーに「官位ちょーだい」って言ってて笑った。このドラマでは阿部正弘は斉彬の見方として正義の人っぽく描かれてるけど、正直ちょっとその人物設定は安直でいただけない…7話くらいで脱落した『篤姫』での、己の野心も幕府側の思惑も滲ませて、斉彬を利用しようとする造形の方が魅力的だったと思う。だいたい、幕府と薩摩で立場が異なる二人なんだから、お互いがお互いを利用し合おうとしていると考える方が当然だと思うんだけど。藤木直人の演技が白々しく見えるから、もしかしたら今後そういう裏が見えてくるのかもしれないけどどうなんだろう?


そして今回の一番の衝撃シーン。藩主とその嫡子の間でいきなり(一方的に)開始されるロシアンルーレット…!!!私はロシアンルーレット自体は結構面白いと思った。この時代の日本にリボルバーロシアンルーレットの概念が存在しているのであれば、斉興と斉彬の間で行われていたという創作エピソードがあっても全然アリだと思う。ケンワタナベがリボルバー持ち出した時に思わず「まさかの!ロシアンルーレット!」って口にでたくらい意外だったからな。インパクトはありすぎるほどあった。それだけで制作側の勝ちかもしれん。


そして、藩主への野心に命をかける斉彬の覚悟に怖じ気づいたからこそ、斉興がしぶしぶ隠居を受け入れるという流れは結構うまいなって思った。あれだけ嫌っていた(実際に「お前が嫌いだ」って言ってたw)斉彬をしぶしぶとは言え認めるにはそれなりのインパクトあるエピソードが必要で、それをこうやって強引な絡め手でねじ伏せるというやり方、嫌いじゃない。ケンワタナベの迫真の演技力も素晴らしかった。

 

ただ、そのせっかくのロシアンルーレットに至る過程がさぁ…正直、斉興が斉彬をどうしてそこまで嫌うのか、そしてそこまで嫌った斉彬を跡継ぎとし続けたのは何故なのか(何故久光にさっさと家督を譲らなかったのか)について、ドラマを見てて全然これっぽっちも理由がわからなかったんだよな。番組後の紀行で二人の確執が財政方針の対立であったことが説明されてたけど、それを!本編で!やれよ!って脱力した。薩摩が斉彬の時代に急激に武力をため込めたのは、その前に斉興の時代で赤字だった藩財政を改善できたからであって、斉彬がしたことと言えば財政再建という難事業を地道に行った調所を死に追いやった上にようやく上向いた財力をバカスカ使って軍備増強したわけで、言ってみれば美味しいところだけかっ攫ったことにもなるのに、それをこうやって「新しい日本という国が見えている理想の藩主」みたいに脚色しちゃうのはちょっと…^^^^^^;;;;;;

 

あと、地味にゲンナリしたのが「斉彬が西郷の手紙で『立つ』ことを決めた」という部分…ヤッチマッタナー。熱さだけで突っ走る吉之助が延々と斉彬に直訴状を送り続けていたというのはまぁいい。これくらいの主人公補正はよくあるし、第2回で赤山先生が斉彬に吉之助のこと伝えてたから、斉彬が手紙を律儀に読んだとしてもまだ納得できる。ただ、その内容に「何から逃げているのか」ってあったのは正直「???」だった。斉彬って何かから逃げてるという設定だったの…?そしてその熱い想いに打たれて「薩摩の現状を知り、逃げているわけにはいかないと思い立った」というのはちょっと主人公補正を盛りすぎでは…?吉之助の手紙が届くなら、赤山先生や吉之助以外の下級武士からももっと大量に同じ内容の手紙が届いていてもいいと思うし、そういう方が多くの者から支持されてる感が出たんじゃなかろうか。たった一人の熱い信者の言葉にホイホイ乗っちゃう斉彬に見えて辛かった。

 

それから、斉彬が斉興と自分を同類として「小心者、卑怯者」って卑下するセリフがあったんだけど、これまでの4話ではずっとむりやり「斉彬がいかに下級武士から英雄視されているか」を見せられ続けてきたし、阿部正弘に対して密貿易のこといきなりチクったり結構思い切りのいい(でも先の見通しはあまり見えていなそうな)姿の印象が強くて、いきなり「小心者、卑怯者」と自虐されてもただのイヤミにしか聞こえなかったんだよな。この卑下の言葉は多分紀行でやってた斉興が斉彬を評したという言葉から引っ張ってきてると思うんだけど、こういう決めゼリフとして使うのであれば、もっと前に視聴者にも斉彬が「小心者、卑怯者」と思われかねない描写を入れて、斉興がそう思うのも当然という人物設定にして、その上でそれを克服してこの時「藩主斉彬」が誕生するって流れにすれば良かったのに…。考えてみたら、久光の方が「小心者、卑怯者」って言われそうなキャラ設定だし、それなのに何故かチャーミングで好感度しかないし、何かいろいろ配分を間違えているのでは…?


最後の「子は宝だ」はお約束のセリフ回収なんだけど、いくら宝だとは言えお辞儀もせずに藩主の顔を見たがる子供の描写はちょっとやり過ぎというか。薩摩っぽくないけどそれはそれでいいのか。「新しい藩主はこんな顔だ、よろしく頼む」ってアンタ…気さくな社長が平社員に声かけてるんじゃないんだから…などと様々なツッコミをしつつ、楽しく第4回を見終えたのだった。

 

ツッコミどころ多すぎるし、不満も多いけど、だからといって腹が立つというところまでは行かない。原作?脚本?が弱いなーとは思うけど、今のところツッコミそのものがまだ楽しめているし、何より絵作り?構図?が好きなのでしばらく見続けるつもり。いつまで保つかなぁ~?