おんな城主直虎 第50回「石を継ぐ者」

アバンの後に普通にオープニングが始まって、ふと今年は映画みたいなエンドロール流れる大河じゃないんだなぁって思った。最後までキッチリ大河ドラマしてくれてるみたいで、これはこれで嬉しいかも。壮大なエンドロールも特別感あって大好きだけど。あと政次と直親が(回想)無しでクレジットされてにわかにソワソワし始める。スリーショットが久々に拝めるのか!?子役の鶴亀おとわもクレジット。そして龍雲丸の子役!何があるの~!?クレジットの役者の順番とか、ピンとか並びとか、映像のどのシーンでこの人が出てくるとか、OPを見るだけで楽しいとか、私も立派な大河オタクになったものよ…思えばこういう大河ドラマの見方を覚えたのは清盛だったなぁ。とにかく私にとっての大河目覚めは清盛であった…懐かしい。と何故か過去に思いを馳せるOPだった。

 

堺での龍雲丸との二度目の別れ。「一緒に(南蛮に)来ますかい」という頭のセリフが切ない。おとわが絶対にイエスと言わないことはわかりすぎる程にわかっている。それでもあえて口にするのは未練を断ち切るためか、それともおとわに己の決意を自覚させるという意味もあるのかな。前回よりも遥かに屈託なさそうに水筒を餞別に渡す直虎のなんと潔いこと。それでも別れ際に「先に死ぬなよ」という昔の約束を繰り返すところがニクい。その約束は覚えてたんだね!この前一緒に思い出しただけかもしれないけど!寂しさがほんの少し滲む龍雲丸の笑顔が「これぞ龍雲丸」って感じの表情でステキだった。柳楽優弥さん、ありがとうございました!あなたの龍雲丸がドストライクに好みでした!これからも時代劇での活躍を期待しています!!

 

井伊谷で問題となっているのは、明智の子供である自然。始末してしまいたい徳川(於大の方)VS絶対生かそうとする井伊(直虎)ファイッ!ここで一瞬「どうしてこんな場所までわざわざ於大の方が!?」と思ってしまったのだけど、作劇を考えたら仕方ないよなぁと納得。ここは何としても於大の方と直虎のやり取りを見せたいわけで、場面を徳川にすることが話の流れ上不可能ならば、於大の方に井伊に出張願うのは仕方ない。こういうのこそご都合主義な場面ではあると思うんだけど、それをプラスの意味で「ドラマだもんなぁ」って納得できるのはこれまでの信頼の積み重ねがあるからこそだよなぁ。つまらないドラマだったら絶対文句言ってると思うもん。この場面、自然は直虎&井伊の民にとってはこれまで救えなかった命の象徴でもあるんだろうなぁ。それを今回全力で救おうとすることで、力及ばなかった過去に対する自らの救済って意味もあるのかなぁ。

 

家を守る母の化身である於大の方と、母にはならなかった直虎という対比も面白かった。於大の方は、寿桂尼様の代理でもあるのかも。言葉の重さに寿桂尼様を思い出してしまった。直虎は(多分龍雲丸の妻にはなったけど)この時代の武家の女性としての役割は果たさなかったわけで、そんな彼女が自然とのシーンではほのかに母性を感じさせるのが面白かった。ここでもやっぱり、多様な生き方が肯定されている気もした。織田家臣に対するハッタリ劇場(六三が貰った茶碗!ここへの伏線もあったのか!)の後に「織田の遺児をどうぞよろしく」って言った於大の方の身の引き方が美しいよなぁと。この人だって、生かせるものなら生かしたいんだよね、母だもんね…見事なシーンだった。


そして直虎の不吉な咳…床に伏した直虎が「これまで見送るばかりで、この世に未練などないと思っていた。でも今は生きたい」って言ったことに感慨を覚えた。これまで与えられる状況に振り回されてばかりだった直虎の人生の中で、「徳川に天下を取らせる」というのは、直虎が初めて自分から目指した将来の展望だったかもしれない。幼いおとわの姿で「まだこれから先があるのだ」って現世に戻ろうとしたのも応援してあげたかった。でも、自分が生きて見られなくても、意思は繋がっていくっていう亀の言葉は、確かにこの作品の根幹だったよなぁ。だから、あの時点で世を去ることになっても、確かに直虎は多少残念だったかもしれないけど、後悔とかはなかっただろうって思えた。微笑みながら井戸端で事切れた姿は美しかった。昊天さんが最後まで「次郎」って呼びかけてくれるのがもう…なんか感動してしまって…!

 

そして龍雲丸(子役)~!あんた武家の子でしょう~!?子供時代はその格好じゃないよね~!?と頭でツッコみつつ、わかる…わかるよ…龍雲丸の魂はやっぱりあの格好だよね…と心で大喝采を送る。「今度は一緒に行ける」と嬉しそうに言う龍雲丸とおとわに「よかったねぇ」って思いつつ、心のどこかで鶴亀おとわの三人の中に龍雲丸入れるって結構鬼だなって思ったのも確かだったりする。いや、あれが魂の映像化だっていうのはわかってるので、もちろん鶴も亀もおとわの伴侶たる龍雲丸を受け入れてるだろうけどさ。ていうか、龍雲丸は直虎の伴侶と言うより、別の面…二人で一つ的なものなのかな。森下さんのそういうインタビューを前見た気がする。その時はあまりピンと来なかったけど、ここまで見てきてなんとなく「そうだったのかなぁ」ってすんなり思えたかもしれない。直親は丘の上の王子様で、政次はベストオブ主従で、龍雲丸は別の性としての片割れだったのかも。


井戸をぐるりと4人で覗き込む映像、良かったなぁ。そしてその後に難破した船と赤と青の水筒…うわぁぁ、なんとなくぼんやりと龍雲丸は死んだのかなぁって思ってたけど、こうやってきっちり描かれると結構ショックだな。龍雲丸は風の吹くまま気の向くまま、いつまでも爽快に生きていてくれるような気がしていた。でも創作上の人物らしく、直虎の退場と共にその役目を終えたってことなのかも。そういう意味でも、直虎と龍雲丸は一蓮托生だったんだな~。

 

直虎の葬儀。昊天さんと傑山さんの読経が声が途切れ途切れなのがとても胸を打った。小さい頃からその成長を見守ってきたおとわ(次郎)の生涯を思い起こすと、自然と声が詰まっただろうなぁ。でもそれは無念さとかではなく、きっと猛烈に寂しかっただけなんだよね。あとは「良くやったね」っていう賞賛の気持ちも大きかったのかもしれない。そして南渓和尚が…初回で既に老人にも見えた(でも今見るとやっぱり若いんだよね!面白い!)南渓和尚が、最終回で直虎を見送ってくれるのなんかジーンとする。そして南渓和尚はとことんこうやって見送る人なのだなぁと思うと、それもまた切ない感情がわき上がる。南渓和尚、すごく人間くさい和尚で良かった。設定だけなら先の先まで読む黒幕和尚とかにも出来てしまいそうなのに、あくまでも小細工程度の悪知恵を働かせる(近藤家のご本尊の盗難騒ぎw)程度の凡人で、結局荒波に右往左往させられていた姿が感慨深い。等身大の年長者って立ち位置なのがすごくしんみりして良かったと思う。

 

井伊の隠し里(全然隠れた雰囲気のない開けた見事な棚田!)での、明るくのどかな直虎の埋葬シーンも見事だったな~。直虎の人生を象徴するかのように、明るい、未来へ続くようなお葬式だった。そして多分ドローンを使っているであろう空撮が美しいのなんのって!守り人でもよく使われてるけど、ドローンによる撮影は映像表現を豊かにしたよなぁと思う。なんかカメラワークが軽やかな気がするんだよな。井伊谷美しかった!

 

直虎の死を知った後の万千代の茫然自失の姿は痛々しかった。菅田将暉さんに変わってから最初ずっと二人は反発しあっていて、ここ数回で急速にわかり合ってもう一度同じ未来を見るもの同士となったのだけど、明確な和解としては描かれず、お互いに「言わなくてもわかる」っていう確執の飲み込みだったように思う。だからこそ、万千代の中には「これからだ」という思いがあったはずで、唐突に訪れた直虎の死は大きな喪失感と多くの後悔を運んできたんじゃなかろうか。それを「意思を(石を)継ぐ」という決意で前向きに乗り越えるという、骨太のテーマが素晴らしかったよぉ~。

 

潰れた家の子だからこそ出来る交渉術。まぁちょっとうまく行きすぎ感はあったけど、ここはその試練を書くべき場面じゃないってことだろう。いわゆるこれまでの流れの答え合わせ的な、総決算的な、ユキロック+万千代万福のサービスショットだった。むしろメインはその褒美としての元服なわけで…そういえば殿自ら豆狸として海老で鯛を釣る踊りを踊っちゃう徳川やっぱり素晴らしすぎる。徳川家臣団のスピンオフを是非に!是非に!!そして酔いつぶれて万福に抱えられる万千代…聞き取れない万千代の言葉を翻訳する万福…正にサービスショット…あんたたちはなんでそうやって…可愛い…尊い…。あと今年ある意味一番美味しい役だった氏真!カッコいいよ氏真ぼったま!さすがの朗々とした歌に聴き惚れた!

 

元服の時の「直政」の名前の披露。万千代の感激以上に万福の表情が良かったよぉ~;;自分にとっての優しい叔父を信じたくて、でも完全に信じ切ることが出来ない時期もあって、それをおそらくずっと後悔してたであろう亥之助。自らを逆臣の出だと晒しながら万千代と二人三脚で進んできて、万千代の元服という晴れ舞台に、逆臣の代名詞であった政次の名を冠した「直政」の名前を目にした時の感動はいかばかりだっただろう。万千代よりも万福に「よかったねぇ」って言いたくなってしまった…。直虎の名前は南渓和尚発案の命名だったっていうのはすごくいいなぁ。二人を連理の枝と形容した南渓和尚だからこそ、こうやって目に見える形で政次の功績を残したかったんだろうね。

 

和睦の報償として賜った家臣団。最後まで「わたしは?わたしは??」って顔芸を仕込んでくる方久にめっちゃ笑った。ムロツヨシ強い。武田の赤揃えは去年の真田の鎧の使い回しかなぁ?菅田将暉さんで直政の物語が見たい。十年後くらいに森下さん脚本で戻ってこないかな~?と期待しておく。

 

ここまで政次役の高橋一生と直親役の三浦春馬が全然出てきてないことが気になってくる。え、最後に出てくるの?清盛的な?って思ってたら、まさかの!まさかの!背景的扱いの出演!!笑顔の一つも見せないのかよ!潔いな!!

 

最後はにゃーん!というにゃんけい様の泣き声で終了。大変素晴らしいラストでございました。

 

あー良かった。最終回すごく良かった。何が良かったって、直虎が…おとわが幸せそうに未来を見据えてその生を終えたのが良かった。そして、最終的に直虎が何か大きなことを成し遂げたという人物じゃないというのが、一年かけて描かれたんだなぁとしみじみと思えたというのが何よりも良かった。大きな手柄を立てたり、歴史に名を残したり、そういうことがなくても、人間は自分の手の届く範囲で懸命に生きることが出来るし、そうすることで充実した人生となるんだと言われてるような気がした。ごちそうさんでもそう思ったんだよなぁ。森下さんの人間に対する温かいまなざしを感じた。すごくじんわりと幸せになった。