おんな城主直虎 第43回「恩賞の彼方に」

万千代の話が面白すぎてこのまま万千代の人生を全部やって欲しい欲求がどんどん大きくなる。何故来年の大河は井伊直政じゃないんだ!? ただ、直政物語はすごく面白いんだけど、じゃあ井伊直政で一年大河やってこれだけ面白かったかというと…森下さんが書いたらやっぱり面白かったかもしれないけど…今の面白さは、これまで「井伊家」をじっくりと描いてきたからこそ感じる万千代への、まるで我が子を見守るような感情があるがゆえの面白さのような気もして、そういう意味で「おんな城主直虎」の中で井伊直政を描くという、この描き方が私は好きなんだと思う。

先週色小姓話でフラグ立ててきたので、多分これは事実は無しってオチだろうなぁと思ったけど、やっぱり(ドラマ的には)そういう結論だった。でも世の中は他人がどう見るか、己がどう言うかで判断されるものでもあり、劇中で万千代自身が「殿の寵愛を得た!」って堂々と宣言してるわけで(さり気なく万福まで巻き込んでるw)つまりはこの時代の彼らの中ではそれが周知の事実となるわけだよな。そして実際に万千代の家康への心酔度合いを見ると、いつ既成事実になってもおかしくないというこの描き方! 上手い! なんとも腐女子心がくすぐられる設定であることよ。さすが森下さん、ごちそうさんで弟とその親友に萌えてたふ久という最強腐女子を描いただけある…。

小姓のお仕事(朝の支度編)はワンシーンだけだったけど面白かったなぁ。そして先輩の冷たい待遇にめげないどころか、やりたい放題の万千代。健康オタクの家康に取り入るキッカケとして薬を使えないか?と作戦を練る。こうやって小道具を次々と繋げていく演出が相変わらず上手い~。そういえば龍潭寺は薬に強いお寺っぽい描写だけど、あれはあの時代の寺はそういうものだったのか、それとも龍潭寺独自の色なんだろうか。あえて万千代や家康が「井伊の薬」と言うからには、井伊(というか龍潭寺)の薬技術が飛び抜けて優秀なものだったのかもしれないな~。

いかにも熱血ヒーローな万千代のスペックをちゃんと実務的な能力が垣間見えるエピソードで描くの素晴らしいな。戦の報償について家康があれこれ苦労しているのを見て、どうしたらやりやすくなるかを瞬時に思いついて進言出来る万千代は間違いなく出来る子。岡崎の面々に報償で報いてやれないと嘆く家康に「まずは殿がその働きをきちんと評価していることを伝えることだ」っていう万千代の言葉は、そのまんま先週の自分が落とされた時のことじゃないか~!って思ったけど、でも確かに大事なことだよなぁ。そうやって重要なところで的確な言葉を言える、こういう聡い子のことを家康が好きにならないわけないよなぁ。あと、万千代が家康を見る目が日に日にキラキラと輝いていくのが可愛い。ほんの数週間前の回では「絶対殺~~~~~す!」って吠えてたのに…このチョロさがまた可愛い。

榊原康政の描き方や演技が実にイイ。殿の覚えめでたい万千代に対して、表だっては何も言わないものの、複雑な感情を持っていることが実によくわかる。でも万千代のそういう聡い部分を評価する冷静な部分もあるんだよね。この先多分康政と万千代(直政?)が仲良くなるエピソードとかもあると思うので、そのあたりも期待したい。徳川家臣団楽しすぎてもっと見たいよ~スピンオフ希望!熱烈希望!!

六左とおとわと南渓和尚。空気読まずに「これは虎松様の絵ですよ!」と力強く力説する六左マジ六左。その結果、南渓和尚の「松下が薬を所望している」という言葉からすぐにおとわは万千代の存在をかぎ取るわけだけど、わかりつつも知らんぷりしてあげるおとわの姿に、複雑な感情を読み取る視聴者。あまりつけあがらせたり、策におぼれたりして欲しくはないと思いつつ、万千代が全力で自分の力のみで這い上がろうとしている姿は、おとわにとっても眩しくもあるわけで。この、含むところはありつつも一応おとなしく遠くから見守っている感がたまらなくイイ。

信康と瀬名。この胃が抉られる感覚覚えがある…去年の秀次の死と一緒だ…つまり重盛ショックと同じだ…ツラい…今からツラい…;; 信康が家康のことを父親として、領主として、心底尊敬しているのがわかる。そして自分がそれを継ぐ者として未来を見据えているのもわかる。何より家康自身が信康を跡継ぎとして誇りに思ってるのがわかる。いずれあの事件へと続く二人の関係をこうやって描く脚本、鬼だ…;; 献上されたサボンをそのまま瀬名に土産に持たせる家康と、嬉しそうに受け取る瀬名がまた…;; ツラい。あと、イケメン過ぎる石川数正~! これは裏切りますわ。ここまで信康に信篤く仕えてて、あの事件に続いたらそりゃ~家康に対する不信も抱きますわ。真田信尹の調略にも乗っちゃいますわ。と昨年の大河がモリモリ私の中で補完されていく。

今回も申し訳程度の「主役」おとわ。でもいい仕事してた。甚兵衛の進言による木を伐採した山への植樹。近藤殿には「近藤の松」とか言って上手く乗せて(信長の茶碗を売るとまで謀って)普請費用を工面させた上で、実際には「甚兵衛の松」だもんな~。誰かに「殿」と呼ばれる度に「もう殿ではない」と言いながら、それでも殿と呼びたがる相手には勝手に呼ばせる。それは功名とか自負とかではなく、本当におとわにとっては呼ばれ方など「どっちでもいい」のだとわかる。そういえば今回家康もおとわを「無欲だ」と言ってたな。それはそのまま竜宮小僧として生きるというおとわの生き方そのままの肯定でもあるのかもしれない。

そして今回は最後のシーンがよかった! 少し育った松に「今はまだ近藤殿の領地だ」と報告するおとわ。そして空を見上げて「甚兵衛」と呼びかけることで、このわずかの間に甚兵衛が亡くなったことを表す演出。思えば、甚兵衛は井伊谷の民の象徴のような存在だった。ひよっこ領主だった直虎に真っ先に立ち向かい、そして真っ先に見方になってくれた人だったっけ。戦国時代に武家だけではなく、その暮らしを支える百姓がいて、彼らも彼らなりによい領主を望んでいるという、当たり前のことを実感させてくれた存在だった。その彼が、この人こそと決めた直虎という領主の元で、当たり前の百姓として領主から偲んでもらえるということが、何と優しく美しいシーンだったことか。素晴らしかったな~。

土砂崩れとか地味な話だな~って予告の時は思ってたんだけど、それが「戦のための木材の調達による森林破壊」っていうテーマで始まって、万千代が絵が上手いってところを絡めておとわと万千代に残るわだかまりを描き、そこから家康の直虎評を引き出し、さらには井伊谷の民たちの一致団結ぶりから甚兵衛のエピソードで締めくくるの見事すぎた。さすがすぎる。