おんな城主直虎 第34回「隠し港の龍雲丸」

前回の政次の最期はツラい面もあったけど、どちらかというとドラマとしての見せ方に半ば興奮気味に「すごいものを見た」と思ってたものだけど、今回は完全に痛めつけられた上での絶望しての「すごいものを見ちまった…」だった。ある意味、あの衝撃の33話をそっくりそのまま伏線にしたような今回の34話だったような…。脚本に「あんな甘っちょろい物語で悲劇を語るな。真の地獄を見せてやる」と言われた気分…(血反吐を吐きながら)

何がツラいって、龍雲党に代表される「気賀の民」の死の無慈悲な無意味さ。いや、意味はあるのか。今川(というか大沢)に対する見せしめという、徳川側にとっての意味は、まぁ確かにある。でもそれは死んでいく民にとっては何の救いでもないわけで…誰に、なぜ、何のために殺されるのか、きっと誰もわからないままだったに違いない。ただただ「そういう時代だから」と散っていく、散らされていく命に言葉も出ない。先週の政次の死は、これと対比させるための、あの過度に装飾された死だったのかもしれない…あの舞台演出のような不自然な死に様には「フィクションはこうやって見せ場を作れるけど、戦というのは本来人の命が軽々と無意味に失われていくものですよね」って現実を突きつける意味があったかのような。先週のドラマに無邪気に感動した己の甘さを痛感する…どうしてこんな脚本書けるんだろう…脱帽。

ただ死んで行く民ってだけでもSAN値をゴリゴリ削られるのに、あそこが堀川城でそこに龍雲丸がいるという容赦のなさよ。龍雲丸には城に対する不信とトラウマがあったわけじゃないですか。それを直虎が(今となってはちょっと甘っちょろい感じで)「それなら理想の城を作ればいいではないか!」とか無責任に言って、あの堀川城が出来たわけじゃないですか。通常のドラマだったら、龍雲丸がトラウマを克服すべく作ったこの城によって、民を守り逃がすことができた、みたいな痛快な展開が待っているはずじゃないですか。ドラマってそういうものじゃないですか。それが、逃げるための隠し港で、逆に乗り込んできた援軍(?)に皆殺しにされるこの展開どうよ…自分の作った城で仲間が死んでいくのを目の当たりにする龍雲丸…鬼か…森下脚本鬼過ぎないか…(何度目だこのセリフ)

今回の最大のヒール役、酒井忠次。演技があまりに悪役すぎて混乱したけど、歴史上では最後まで徳川忠臣だし、井伊直政とも関係性悪くなさそうだし、何故こんなに悪意向きだしの演技なんだろう?ってちょっと気になった。意味のない憎まれ役を作るとは思えないので、森下さん的に何か意味があるんだろうとは思うんだけど。家康のことを軽んじてるようにも見えたけど、そのあたりもなんか伏線になってるのかなぁ。

三人衆鈴木殿と南渓和尚のやり取り。ここもちょっと「ん?」て思ったとこだったな~。鈴木殿自身が「近藤殿を諫めることが出来なかった」と反省するのはまぁ「いい人なんだな」って思うんだけど、そこまで責任感じることかなぁって。記憶が混濁してる直虎を見て恐縮もしてたけど、鈴木殿にとって井伊ってそこまで配慮する相手なんだろうか?視聴者は政次の真の姿や直虎との絆を知っているからこそのショックだけど、鈴木殿にとっては政次は井伊家を狙う奸臣のはずで、直虎の気の病みようにそこまで同情するもんだろうかってちょっと疑問に思った。疑問というより、なんていうか取って付けた感?

あと、南渓和尚。政次の辞世の句をわざわざ届けてくれた相手に「但馬を生き返らせる術を」とか言っちゃうのは八つ当たりが過ぎるような?これが直虎の言葉ならまだわかるんだけど(直虎は感情的にそういうことを言いそうなキャラだし)、これまで昼行灯決め込んでた南渓和尚がいきなり怒りをあらわに言うのが超違和感あったんだよな。私がこれまでずっと南渓和尚のキャラを読み間違っていただけなのか。後藤隊長もキレる時はキレるって話なのか。感情が制御できないくらい、絶望が深いという表現なのかもしれないけど、こっちも取って付けた感がなきにしもあらず。

これ、鈴木殿がこんなに恐縮しきってすまなそうにしてる&南渓和尚が怒りを隠しきれずに鈴木殿に八つ当たりするのどっちか一つだったら、上手く消化できた気がする。違和感が二つぶつかって、見ていてなんとなく白々しいというか、描写がくどいというか、言い訳めいてるというか。

あ~~~龍雲党が(頭以外…だよね?)みんな死ぬなんて聞いてないよ~~~~!ショック大きすぎるよ~~~~!早く来週の展開を見たい。

・「殿の手にかかったなら」って静かに政次の死を受け入れるなつさんから漂う未亡人感…!
昊天さん祭り!そして傑山さんの相変わらずの二の腕!!