いだてん 第14回「新世界」

OP見ててスヤさんの名前が「春野スヤ」に戻ってて「!?!?」てなる。え、旦那さん亡くなったの!?もう!?展開早くない!?!?

今回からの新キャラ、二階堂トクヨさん。初っ端からインパクト強すぎて笑うしかない。「精一杯やって勝てなかった理由を聞いている」「たまたま男に生まれただけのボンクラという意味だ」言ってることは心から同意できる内容なんだけど、言い方~、その言い方~~て思ってしまうから、こういうのって難しいよな。それをうまく笑いに昇華させてるのが小憎らしいほどに上手いし、でもだからこそどこか少しズルい気もする。

ていうかこの女傑が永井先生の弟子というのが意外だった。永井先生って女性の社会進出とかにあまり良い印象持たなそうなイメージなのに、意外と先進的な感覚を持ってたんだな。その割に頭難いし融通きかないけど…むしろトクヨさんに押されて無理やり認めさせられたクチか? 持ち前の思い込みでぐいぐい来るトクヨさんに煽てられてその気になって、いつの間にかトクヨさんの論調に取り込まれたとか、そういう流れが容易に想像できる…。このわずかの登場シーンでそこまでキャラ立てるトクヨさん素晴らしいな。脚本もすごいし、寺島しのぶさんがはまり過ぎてるよな~。

日本の体育が50年遅れているっていう現状分析は同じだし、そのためにこの敗北から学ばなければならないっていうのは共通認識なのに、その向かう道が全然交わらない永井先生と嘉納先生面白いな~。ここまで見てる側からだと圧倒的に嘉納先生の肩を持ってしまうのだけど、永井先生が間違ってるわけでもないんだろうなって思えるこの構成のバランス感覚、相変わらずすごいよな。

永井先生が四三に説教する部分。四三の敗北がそのまま嘉納先生の方法論の失敗という結論になってしまうのがしんどいなぁ。この場合、実際にどうだったかどうかよりも、望む結論のために起こった出来事を無意識に利用してしまうという、人間の習性みたいなのを見せつけられてるようで座りが悪い。でもさぁ~それって人間として逃れられない部分なんだよなぁ~。だからこそ四三にのしかかるプレッシャーはますます増していくわけで。自分の夢が自分だけの夢にならないのは、こういう面もあるんだろうなぁ。

全体的に永井先生に対して(笑い話的に脚色しているけど)明確に批判的な論調なの面白いな。でも批判的な嘉納先生や可児さんが正しいのかって言うとそういう描き方でもなく、永井風に対する対抗馬として嘉納先生が弱すぎた…というかやらかし過ぎて政治的基盤を軽視しちゃったから仕方ない的な描き方なのが面白かった。つまり永井風が広まってしまったことの原因は不甲斐ない嘉納側にあったとも言える…のかな。それにしても、肋木。あれ本当にどの小学校の体育館にもあったけど、こういう経緯で導入されたのか…小学校6年間で一度も使った覚えのない器具…アレがこんな時代からあったとか…びっくり。クドカンさんも調べてびっくりしてエピソード作ったのかなぁとか考えると楽しい。

今週の朝太。先週の初高座の失敗もやらかしてたけど、それ以外にも普通にいろいろやらかしてて笑う。「フラがある」という言葉の「フラ」はここでは明かされなかった。でもいい言葉なんだろうな。今後明かされるのかわからないけど、やっぱり円喬師匠は朝太に何かを見出してたんだな~。そして駅に見送りに向かうシーン。これまでも人情家だと薄々わかってはいたけど、いまいち何考えてるのかわからなかった円喬師匠の「いつも美濃部君に送ってもらってきたんだ」ってセリフに胸を射抜かれた。うっわ、これズルいわ~。こうやって、本人じゃなく第三者への言葉でデレが明確になる展開、めちゃくちゃツボなんだよ~。何だよこんなとこで師弟萌えぶち込んでくるの反則だろ~。好き。

駅に向かう途中にいきなり入った松尾スズキさんの「わかってるよバカヤロウ(ビートたけしのモノマネ)」にどえらいびっくりした。すごいメタ要素ぶっこんで来たな!?こういう「わかる奴だけわかればいい by花巻さん@あまちゃん」的なネタ、面白いし自分は好きだけど、好みが別れそうな部分ではあるよな~と思ったり。こういう要素って大河と相性悪そうなイメージあって、そこをあえて入れてくるか~という思いはあれど、これを封じるなら脚本がクドカンさんである必要性もないわけで、難しいところだなぁとも思う。

私はこの作品がとても好きなので、「大河としては視聴率が悪い」とかいうクソどうでもいい指標でのヤジで作り手側のモチベーションを下げて欲しくないからこそ思ってしまうのだけど、この作風なら大河じゃなくても良かったのでは?という気持ちもないわけではなく(その方が余計なヤジが出にくいからで、大河らしくないからとかではない)、でも作り手側はあえて大河でこれをやることに意義を見出しているかもしれなくて、なんかもうその辺を考え出すと「いーっ」てなる。私などが心配せずとも、作り手はプロなのでちゃんと自分たちでモチベーションを管理できるはずなので、あまり小難しいことは考えずに面白いなって思いながら見ればいいんだよな、多分。そう思い切れるようにしたい。

閑話休題。別れ際の駅でのやりとりがまた泣けた~。お互いに対してはどこまでも素直になれないのに、目の前で小円朝師匠に「頼むよ!大事な弟子貸すんだから」って必死で頼む姿にもやられたし、それを目にした朝太の…というか森山未來さんの演技が素晴らしくって。あの瞬間、朝太は自分が本当に円喬師匠に見込まれていたんだと信じられたんだろうな~。なんかこれフラグかな。フラグっぽいな。フラグだったら悲しいな~。あと最後の「フラフラ」はネタとして思いっきり滑ってたけど、これそう言う演出…だよな? あるいはクドカンさんの照れか。

今週の弥彦。天狗倶楽部の脱ぎ納め。こうやって時代の空気が変わっていくのだなぁというのがヒシヒシと感じられた。あと本庄さんは相変わらず天狗倶楽部推しなんだな~。ということは先週四三に対して意地が悪いような描写に見えたのは彼女がシニカルなキャラってだけなのかな。極端な弥彦推しだから、弥彦より注目されてた四三に対して悪印象があるとかそういう裏がある可能性も…ないか。

四三と弥彦が仲がいいのが良いなぁ。生まれも育ちも生きる世界も違う二人が、オリンピック出場という非日常によってなにものにもかえがたい強い絆で繋がってるの、それだけで普通にエモい。生田斗真さんの弥彦、本当に素晴らしいんだよな~。顔の表情がいちいち大げさにクシャって歪むのが何とも芝居がかっていて、貴族という存在の不確かさをむしろリアルに感じられた気がする。

四三の熊本帰省。お兄ちゃんがほんとブレることなくお兄ちゃんで気持ちいい。「何も言うな、俺に任せろ」の時はロクな結果にならないという教訓笑う。そして突然のスヤさんとのお見合い&幾江さんの「説明してる時間はなか。続きは来週」のセリフw 突き抜けすぎwww 続きが気になる~!こんなとこで一週間待たされたらじりじりしただろうな~。私は明日すぐ見る!

いだてん 第13回「復活」

この連休で必ずリアルタイム放送に追いつくぞ!という固い決意。今回入れて後4話!…結構多いな!?

前の回で「すみません…」と力なく繰り返すだけのどん底の四三のシーンで終わっていたからこそ、今回のサブタイが「復活」なのとてもありがたかった。つらい部分をそんなに長引かせて見ていたくないので、ちゃんと復活してくれるんだと思って精神的ハードルが下がるので。こういうのとても大事。

本庄さん、金栗敗退を伝える時ほんのりうっすら嬉しそうに見えなくもないんだよな~。今後も彼女はこの路線なのか。なにか理由があるのか。彼女の物語が語られる日は来るのか。

四三が試合の翌日にコースをもう一度歩くのを志ん生師匠が「現場検証」って言ってて笑う。酷い。この前日の記憶を辿るパート部分、映像の感じがツインピークス(古い)みたいな印象だったな~。ミステリ風というかサスペンス風というか、先の見えない不安を煽る感じが「The演出の妙」って感じだった。子金栗くんが日の丸からパッと顔を出してOPに突入するとことか、思いっきりサスペンスの手法っぽさあって面白かった。

大使と通訳さんに見つけてもらって、電車で帰る途中に恥ずかしそうに日の丸を隠す姿がさぁ…敗北を「恥ずかしい」と感じるほどの重圧を与えることの罪深さとかさぁ…でも「恥を感じる必要なんてない」と安直に言ってはいけない感じがさぁ…なんかもう壮絶。そしてそれを見事なまでに表現する勘九郎さんの泣きの演技にただただ感服。四三の悔しさを「恥ずかしいと感じる姿」で見せる脚本・演出もすごい。圧倒された。

そして翌日には一応平静を取り戻して早速課題分析始めるんだから、やっぱり四三は強いんだよな。負けを負けとして即座に認められる素直さ故の強さだろうなぁ。こういうところからも四三が感情じゃなくて理性の人で、でもすごく感性豊かでもあると感じられるのがすごい。押し花とか、エピソードの取捨選択が神がかってるのかな。クドカンさんマジパネェ。

嘉納先生と大森監督の会話。気弱な後悔ばかり口にする兵蔵に対して「いい加減にしたまえ!体が悪いんだから心くらいしゃんとしたまえ!残りの人生ずっとウジウジして過ごすのか?側にいるもののことを考えろ!」って言えちゃうのが嘉納治五郎という男。これ、全くの正論なんだけど、嘉納先生以外だったらここまで素直に心に響かないと思う…むしろ正論ばっか言いやがってって思われてもおかしくない。これを素直に受け止めさせるのが嘉納先生の教育者としての資質なんだろうなぁ。本心からそう思ってるって思えるもんな。兵蔵にしか出来なかったことを一つ一つ掲げて認めることで兵蔵の心を救ったのは間違いなく嘉納先生だし、同時に安仁子の心も救ってるんだよな~。教育者の鏡。

スヤさんが旦那さんに四三の手紙を読み聞かせているシーン、良かったな~。相変わらず元気良いスヤさんの笑顔に癒される。天然とも見えるし、あえて負けを意識しないように空元気で笑ってるようにも見える綾瀬はるかさんの演技がとても見事。ここ、スヤさんが四三の結果を知るシーンを入れてないのがありがたいよな。制作側が悲壮感出したければ、前回あれだけ煽った「周囲の期待」に対して、それぞれがガッカリするシーンを入れれば一発なのに、そういうシーンはほぼ無いのがこのドラマへの絶対的信頼感。あと、金栗家に鯛持って応援に行った日より明らかに旦那さん体調悪そうだけど大丈夫なんだろうか。心配。

そして今回の一番の見せ場は孝蔵改め朝太の初舞台だった。清さんの友情にジーンとさせた直後に質屋の暖簾が出てきて笑う。あまりにも早いオチ。そして久々の美川君の相変わらずの胡散臭さにほっこりする。そのままの君でいて欲しい。

ここの森山未來さんの演技凄かったな~。頭が真っ白になって、師匠の「足で覚えるんだ」って言葉に導かれて、その後から何かにとりつかれたように車を引きながら聞いた円喬師匠の噺がスラスラと出てくるまでのあの表情の変化、とにかく凄くて圧倒された。そして朝太を舞台に上げるのを最後まで迷ってるように見えた円喬師匠が、車引きの本能でしゃべってる孝蔵の姿に何かを見出したみたいなのもゾクゾクした~。ちょとと嬉しそうだったよな、師匠。

朝太の落語が上手いわけじゃないのも面白いなって思った。いやもちろん才能は有るんだろうけど、朝太の落語って名人芸とかそういう方向じゃなく、何かこれまでと違う新しい落語っぽい何かが生まれそう、みたいな先の見えない博打っぽさを感じる。松尾スズキさんの演技がものすごく抑えられてるので、円喬師匠って何考えてるのか本当にわからないんだけど、孝蔵の「何か」が出てくるのをずっと待ってるように見えるのが不思議。才能を信じているというより、うっかり変わったものが出てきたらラッキー的な、ダメでもともと的な冷徹さというか。でも円喬師匠に人情がないわけではなく、むしろとても愛情深さも感じる。見れば見るほど松尾スズキさんの円喬と森山未來さんの朝太に引き込まれていく。すごい。

ラザロの死を胸に刻んで四三は前を向く。死は易く、生は難く。あの時電車の中で感じた恥ずかしさを、こうやってすぐに次へのバネに変えられるんだなぁ。多分この言葉って『盲目旅行』に本当に書いてある言葉なんじゃないかと思ってるのだけど(違うのかな)そう考えるとすさまじい精神力だよな…。

閉会式を待たずに帰国を決意したのは、予算の都合か、はたまた負けたからか。両方かもしれない。嘉納先生は理想論を裏表なく無邪気に心から語るくせに、こういうところで現実感覚のある決断をするのが面白い。4年後のオリンピックに「帰ってくる」という嘉納先生。でも私はベルリンオリンピックがどうなったか知っているわけで…ここでも先を知っているからこその余韻がある。上手い。

ストックホルム編素晴らしかった。映像も演技も演出も全てがキレッキレだった。制作陣の圧倒的なパワーを感じた。本当に面白いし本当に素晴らしいのでこれからも同じ熱意で作られた作品を見続けたい。そして早く追いつきたい。あと3話!

いだてん 第12回「太陽がいっぱい」

スヤさんが相変わらず我が道を行く性格のままなの、本当に素敵…それを優しそうに見守る旦那さんも本当に本当に素敵…これはこれで幸せな夫婦なんだろうなぁ。こんなに幸せそうなのに旦那さん体弱いんだよなぁ。視聴者としての私はスヤさんがこの後四三の妻になることを知っている。ゆえにこのあとの悲劇が容易に想像できてしまう。その悲劇を内包して、だからこそこの瞬間が美しいと感じさせる演出、大森夫妻のシーンにも通じるし、何ならこの大河の全てのシーンに通じてるような気がする。見ている私は、このレースで四三がどうなるか結論を知っている。それゆえにそこに至るまでのあらゆるシーンに切なさと美しさを感じるんだろうな。

兵蔵に対しての安仁子さんの「行かないで」って言葉と、その直後に四三にカメラを向けるやつれた笑顔がさぁ…涙無くしては見られない。そして兵蔵に父の面影を見て背負う姿がさぁ…もう最初から号泣。ストックホルム編、泣かせに来る圧力がハンパない。

この大河ドラマが始まってからずっと、金栗四三ストックホルムオリンピックでの結果がどうだったかというのはわかっていた訳で、要はこれまでの物語はこの結果をどう感じるかの仕込みという面もあったわけで、ここで「勝たせてあげたかった」とギリギリ思わせない作りだったのが本当に(私にとって)誠実なドラマ作りだなぁと思った。だからこそこのドラマが好きなんだろうなぁ。もちろん勝たせてあげたかったと思わないわけではないけど、じゃあ監督を背負うあの展開がなかったらとか、白夜で眠れないという環境ハンデがなかったらとか、そういうマイナス要素を嘆いてしまうのはあまりに四三(の人生)に失礼な気がして、ただあるがままを受け入れざるを得ないような、受け入れたいような気持ちに自然となってしまう。つらい結果をつらいまま受け止めればいいと思えたので、結果の割につらくなかった。ちょっと自分でも何言ってるかわからない。

みんなが四三を必死に探す姿が泣けた。四三がレースを安易に棄権して行方をくらますわけが無いと信じているからこそ、帰ってこないという状況にみんな最悪の事態を考えちゃったんだろうな~。なんだかんだ言って日の丸が上がらないことにヤキモキしてたのに、そのうち順位やタイムよりも完走が大事だって思いなおして、やがてレースなんかよりも生きていてくれって「最悪の事態」がどんどん悪い方向に転げ落ちていくのが現実味あったなぁ。そう言えば四三が見つかったのは翌日だったって何かで見た気がするんだけど、みんな夜通し探したんだろうか。白夜だから暗くならなかったとかそういうこと?白夜って、起こる理屈は理解できるんだけど、やっぱり夜が明るいというのは全然実感がわかないなぁ。

途中途中で入る実家の様子はコミカルに描かれつつも結構胃がキリキリするシーンの連続だった。スヤさんや家族の期待が大きければ大きいほどその後の落胆が手に取るように想像できてしまって。でもきっと力強く温かく帰国した四三を迎えてくれるんだろうなと確信出来たりもして、しんどすぎないのがありがたい。基本的に登場人物たちの精神が健全に強い人ばかりなので、安心して見ていられるのが良いところだと思う。

今読み返してみて、私はこのドラマの初回から本当にこのシーンを見るのが怖かったんだなって改めて感じて面白かった。私は多分「勝たねばならない」と思っている選手が試合で負ける姿を見るのが本当に苦手なんだろうな。だから「ゴールすらできない」というこのレースの結末が本当に重くて重くて、どう見せてくるのか戦々恐々としていたのだけど、結果的に見て良かったと思えたのが嬉しい。こういう風に見せてくれるからこそ、これからも全て委ねて見ていけるという信頼感がさらに高まった。

あと、ストックホルム編に入ってから、とにかくロケのパワーを叩きつけられている気がする。やっぱりロケはいいよなぁ~!あの解放感!地平の広がり!街並みの存在感!相当お金かけたんだろうなぁ…(下世話)清盛の舟もすごかったし、真田丸は実物作ったらしいし、大河に時折ある贅沢すぎるくらいお金かけてるってわかるシーンは見てて爽快だな~。使う時はぱぁ~っと使うその姿勢、自分には出来ない思い切りなので見ていてとても清々しい。

いだてん 第11話「100年の孤独」

ここでこのサブタイトル、ゾクゾクする~! たった一人で陸上短距離という圧倒的不利な種目で競った弥彦の孤独。でもこの言葉は本当に孤独なわけじゃなく、その後に続いたたくさんの(残念ながら結果は残せなかった)選手たちがいたことを間違いなく感じさせる言葉でもあって、孤独でありながら真の孤独ではない、ほんのりと希望を感じる言葉なのがとても秀逸だなぁと思った。

アバンから圧巻だった。嘉納先生の無邪気な「自分がいない間に何があったんだ?」から「遅れてきてよかった!」までの圧倒的ペテン師感ハンパ無いな!?真田昌幸がいる~!!って思ったもんな。草刈正雄でないことが不思議なくらいの圧倒的昌幸感がすごい。でもさすがの役所広司。パチモン昌幸とならずに、昌幸よりもなお無邪気で、だからこそ質の悪そうな(褒めてる)嘉納先生像は役所広司さんだからこそだよな~。周りの人間として笑うしかない雰囲気が本当に脱力だったし、弥彦や四三のポカーンとした顔も含めて全てがホント素晴らしかった。

「JAPAN」ではなく「日本」のプラカードでなければ出ないとごねる四三。これまでの飄々とした彼らしくない強く激昂した口調を意外に思うと同時に、四三ならこれくらい頑なに我を通そうとするだろうなぁと妙に納得してしまう自分もいる。意地になってる部分もあるだろうけど、四三にとっては譲れない矜持だったりもするのかもしれない。普段あまり大きく感情を曝け出さない四三だからこそ、この時緊張の極地となっていることがわかるし、その中で「日本のスポーツの第一歩となる」という嘉納先生の言葉をどれだけ心の支えにしてきたんだろうっていうその素直さが際立つ場面でもあった。こうやって「自分はこの部分に拘っているので譲れない」って強く主張できるのって大事なことだよなぁ。

四三の強い要望で、プラカードの表記は「NIPPON」に決定。嘉納先生のこういう時の判断力、本当に信頼できる。多分嘉納先生にとってはJAPANでもNIPPONでもどっちでも良くて、周りの人たちはJAPANの方が相応しいと思っていて、でも四三のコダワリは彼にとって絶対に譲れない部分であるということを(多分本能で)察知して、何とか丸く収めるこの手腕こそ正しく偉大な指導者の証だよなぁ。だからどんなにペテン師臭くても誰もが心酔してついていくんだろう。

押し花をして気持ちを落ち着かせようとしてる四三に「そんなに責任を背負い込むな」と言う場面も良かったな~。嘉納先生は心底スポーツ馬鹿でオリンピックのために無茶をし過ぎる部分とか本当に厄介な人だと思うし、スポーツ振興とオリンピックを重要視しすぎているとも思うんだけど、目の前に苦悩する選手がいたら何をおいてもその選手を優先して考えることが出来る人なんだよな。自分の理想や夢のために他人を犠牲には絶対にしない人だと思える信頼感。逆に言えば、そこまで大した苦悩ではない場合は選手は否応なく巻き込まれて迷惑をかけられるわけだけど、最終的に巻き込まれた人間は嘉納先生に心酔していくんだろう。いやぁ、本当に魅力的な人だ。

今回もメインは弥彦。レース直前の極限の緊張状態で、大森監督の「敵はタイムだ。他国の選手は敵ではなく、同じタイムという敵に挑む同士だ」という言葉で平静を取り戻す場面。感動的なシーンなのに弥彦に「もっと早く、出来れば三週間早く聞きたかった」と言わせちゃうのがこの脚本なんだよなぁ~。でもここでこれを言うからこそ、兵蔵が病で監督らしいことがほとんど出来なかったことを、弥彦は根に持っていないということもわかる。口に出してイヤミが言える程度にはモヤモヤをきちんと消化しているんだって感じられて、見ていてホッとできるんだろうな。こういう部分が脚本への信頼に繋がってるんだと思う。

100メートル予選。半ば結果がわかっている弥彦本人に比べて、応援する側はどうしても「勝たせてやりたい」という気持ちが強く出るという対比が身につまされた。四三の「神よ、わが友に勝利を」のセリフ、本当にいろいろ詰まっていて痺れた。弥彦を「わが友」と呼ぶこと。こういう時にやはり人間は神に祈ってしまうのだなぁというあきらめのようなもの。そして「勝利」を願ってしまう欲深さ。この時の「勝利」が何なのかは四三自身にも多分わかっていなくて、レースの結果的には惨敗で、四三もなんとももどかしい表情をしているんだけど、弥彦に兵蔵が走り寄って記録を見せた時の笑顔を見て初めて、弥彦が「記録に勝った」ことを悟って心から喜ぶ姿に、なんか本当に感激してしまって。何を勝ちとするか、何が負けとなるか、それは本人が自分の中で決めることで、その勝ち負けに自分が心から納得したら、外野の評価というのはあまり気にする必要もないものなんだよな~と(当たり前のことを)再確認しただけで妙に感動したりしてしまった。

400メートル予選はたった二人の走りで、上位2名が予選通過だから順位は関係なくて、それでもやっぱり弥彦は2位で、「予選通過だ!」の言葉をあそこまで空しく響かせるの、作り手の本気をぶつけられてる感じした。そして「察してください」という弥彦の言葉がまた重い。勝ち負けは自分の中で決めればいいという当たり前の真理が、世間では通用しないのもまた生きている限りは真実で。でも他人と生きる限りはそれを何とか折り合いをつけて生きていかなければならないわけで。何ともままならない人の世であることよ…。みたいなことをぐるぐると考えてしまう回だった。

大森監督がさぁ、要所要所で体調悪そうな演技挟んでくるのがもう痛々しいのなんのって。それでも表情は明るくて、それがまた自分の運命を悟っているかのようで、まるでそれが本望だと思っているかのようで、悲しい。

さり気なく孝蔵の話も毎回ちょっとずつ進んでいて気になる。初高座の嬉しさと怖さ、飲まずにいられない孝蔵の弱さとそれを当たり前に受け入れてくれる清さんの存在の心強さ。いやぁ、このあたりの落語家の想いはこの前まで見てた「昭和元禄落語心中」を思い出すな。また見たくなってきた。

時々出てくる昭和パートが今のところ完全なコメディ枠なのだけど、これも今後大森夫妻のように効いてくるフックなんだろうか。とにかく楽しみ。早く視聴を追いつかねば…(さらに周回遅れを重ねつつ)

いだてん 第10話「真夏の世の夢」

この時期のストックホルムが夏だったこと&白夜をイメージしての「真夏の夜の夢」かな。ストックホルム大会そのものが日本人にとって「真夏の夜の夢」ってことなのかも。

オリンピックという言葉をほとんどの人が知らないような状態で、日本の「スポーツ」の礎とならんとオリンピックへの出場を決意するというのはどれほどの重圧があるんだろう。究極的には本人にしかわからないその感覚を、説得力のあるドラマは「こんな気持ちなのかもしれない」ってリアルに感じさせてくれる力があると思う。四三が実際にどう思ったかはわからないけれど「こう思ったかもしれない」と想像出来ることが嬉しく楽しいし、良く出来たドラマはそう思わせる力があるんだよなぁとしみじみと思う。

弥彦の物語。知名度でも経験でも圧倒的に自分の方が優れているという前提で乗り込んだオリンピック会場で、自分よりもパッとしない田舎者(とまでは思っていなかったかもしれないけど、明らかに自分の方が上だと無意識に思ってはいたはず)の四三ばかりが持て囃されるのはやっぱり屈辱だっただろうな。家族にあんな風に感動的に送り出された後で、成績が残せなかったらという焦りもあっただろうし、でも世界レコードを考えたら自分の実力では勝てないことはほぼ確実で。

「負けを知りたい」と豪語してた弥彦が練習の間でどんどん自信を喪失していくのが痛々しいんだけど、弥彦に劣等感を抱かせる要素が便器の高さであることとか、窓から発作的に飛び降りようとする時ふんどし姿であることとか、絶望が常にどこか滑稽に描かれるので、見てるこっちは過剰に弥彦とシンクロせずに済んでダメージを軽減できていた気がする。でもこの演出をやり過ぎると絶望自体を笑い飛ばしてしまう結果になるかもしれず、ずいぶん綱渡りなのかもしれない。あるいは実際にそう感じてこういう演出が嫌いな人もいるのかもしれない。何でもそうだけど、表現て絶対的な正解があるわけじゃないので難しいよな~。私はクドカン作品が楽しめる感性で良かった。

そんな状況でよりにもよって四三に「勝てないとわかってるならむしろ気が楽」と慰められるって本当に惨めだっただろうなぁ。四三が本当に全く何にも悪気がなくて本心から同情してるように見えるのがまた救いがない。それでも同じ選手として気持ちをぶつけられる相手は四三しかいない。逃げ場がない。でも弥彦が人格的に素晴らしかったなぁと思うのは、その絶望と逃げ場のなさにきちんと向き合うことを覚悟して、かつ四三の良さをそのまま受け入れたところ。こういうしなやかな強さ、素直さが本当に全身から感じられてとても素敵だった。生田斗真さんが今後弥彦にしか見えない呪いがかかったかも。

四三は主人公なのにいまいちその心情が明確には描かれず、でもところどころから滲み出る底の見えなさがあって、なんとなくドキドキしながら見守っている。今回弥彦に「勝てなくてもいいじゃないか」って多分本心から言ったその口で、遅れて到着した加納に「表彰台で歌う君が代の練習をしていた」と臆面もなく言い放つ姿とか、ゾクゾクしたもんな。まぁ別に「勝てなくてもいい」と気持ちを落ち着かせることと「勝ちたい」と思うことは矛盾しないから人間としてはごく普通の姿なんだろうけど、ドラマでこうやって描かれるとちょっと新鮮味あるなぁって思ったり。

最後のところで四三が「ニッポンじゃなきゃ出ない」って普段からは想像もつかない強い口調で主張する姿にハッとさせられた。飄々として何事にも動じない強さがあるような気がしていた四三もやっぱり極限状態で、余裕がないのかもと思わせる切羽詰まった感が滲み出てた。タフで繊細な四三というキャラからますます目が離せなくなってきたな~と期待が高まる。

大森夫妻はコメディとシリアスの間をさ迷う難しい役どころだなぁ。監督として同行しているはずなのに、体調不良でグラウンドに顔も出せない状況は最初はスラップスティック調に描かれ、見てる方が「さすがにこれじゃあなぁ、不満も出るよな」と思った直後に悲壮な安仁子夫人の表情で何も言えなくさせるという展開、タイミングが絶妙すぎて唸った。そしてその後にちゃんと選手のトレーニング方法が理論的で科学的であること、体調が持ち直して(もしくは無理を押して)練習に同行している姿が弱々しくも楽しそうであることなどで、一気に兵蔵の好感度がぶち上る。上手い。上手すぎる。手のひらの上でクルクル踊らされている感あるけど、むしろずっと踊っていたい。

ストックホルムロケは去年の夏だったんだっけ?ものすごい気合いを入れたロケだったであろうことは、この回の出来からも容易に想像出来る。とにかく画面からの制作者の圧がハンパない。スタッフの熱のこもったドラマを楽しく見られることの幸せを噛みしめる。

いだてん 第9話「さらばシベリア鉄道」

3/13、0時まわってすぐツイッターピエール瀧さん逮捕の速報を見かける。瞬間「まだ容疑だし」と考え、「でも麻薬関係はかなり確実じゃないと逮捕までしないよな」って思いなおしたりして混乱した。そして「いだてんどうなっちゃうんだ~!ただでさえ視聴率で不穏な空気なのに、こんな話題で追い打ちかけるのやめてくれよ~!」って頭を抱えてしまった。これからどうなるんだろ…これまでも結構出番あったけど代役で撮りなおすのかなぁ…とか思いながら見た第9話。ちなみに、この回は播磨屋さんの出番なしだった。

これまでただの朴訥な田舎青年としか言いようのない描写だった四三だけど、実に味わい深い複雑な面を持っていることを見せつけてくれた話だった印象。まずはシベリア鉄道の旅の日記の題名がすごい。『盲目旅行』。なかなか記念すべき旅の日記にこういう題名付けなくない?なんていうか、そこはかとない闇を感じるというか…。何もわかっていなかった自分(あるいは日本人?)というのを客観視して付けてるのかなぁ。もちろん後から付けたんだろうとは思うけど、この時の自分がどういう状態だったか思い返して分析してこの題名を付けたのだとしたら、それはそれでむしろ怖いくらいの冷静さを感じるんだが…。「あの」四三が「この」日記を書いたというのが何とも意味深というかなんというか。

日記の内容(日本人は日本人として頑張るしかないとか)もめちゃくちゃ理論の人って感じで、やっぱり四三ってかなり頭のいい人として描かれてるんだなと思った。水抜き油抜き走法の時も実際に自分でやって自分で効果がないと判断出来ていたし、何かに躓いた時に躓いたことをすんなり受け入れた上でその失敗からプラスの思考を導き出せるって純粋に頭が良くないと出来ないよな~。でも言動があの朴訥な感じのままなのですごくアンバランスで、それがまたよくわからない魅力になってると思う。この回を見た後でネットの記事で演出の大根仁さんのインタビュー見たけど、ブラック四三って言ってて、すごいわかる!って嬉しかった。やっぱりそこを意識して作ったんだなぁ。

弥彦に対しては生まれも育ちも違いすぎて遠い存在だったのが、二週間以上一緒の部屋で眠る汽車旅のせいでずいぶん遠慮のない関係になってたの良かったなぁ。女性を追いかけてばかりだとか文句を日記に書いてるあたりで二人の距離が縮まっているのがわかるし(住む世界が違うとか思ってる頃より断然人間として対等な感じする)、最後の方は文句を口に出せるまでになっていて微笑ましかった。それを受け止める度量のある弥彦も良かったな~。やっぱり育ちの良さは人間としての余裕に繋がるんだろうな。あとテング応援歌(金栗バージョン)を目の前で見て、目をキラキラさせて「キャー!」って喜んでる四三がめっちゃ可愛かったw 何か劇的な事件があって分かり合えるようになるのではなくて、なんとなくダラダラと寝食を共にしながら遠慮のない関係になっていった感がとても良かった。

スヤさん。旦那さん胸の病なのか!そして大竹しのぶさんのお姑さんとのやり取りが素晴らしかった。「たらいを持ってるの」「お母さんが?」「あんたがよ!」の間が最高。大竹しのぶさんのセリフ、ちょっと間違うとイヤな姑になりそうなのに、これまでのわずかな登場シーンの積み重ねのおかげで厳格ではあるけど根本的にスヤさんを認めてて味方になってくれる人だという信頼があるので、こういうシーンがむしろ微笑ましく見えるんだよな~。実次兄上が大声で絵ハガキ持ち込んだ時のうっとおしそうな顔とかも、それでも絶対いい人だって信じられる人物造形なの素敵。そういえば、今回スヤさんのシーンへの切り替わりが大森兵蔵の咳から旦那の咳への繋がりになっていて、短い演出の中に情報を詰め込みつつスヤさんの登場を不自然なく説明する理由付けにもなるという、ものすごい技を目にした気分。上手いなぁ…。

大森夫妻のいちゃつきコメディ。相変わらず二人のやり取りはお笑い担当なんだけど、今回は兵蔵氏の病気が明らかになったので笑いの中にも重苦しさがあって、車中の旅の狭苦しい雰囲気を倍増させてた。兵蔵氏のエピソードは多分史実なんだろうけど、この肺病は注意していればうつらないタイプなんだろうか。選手と一緒に(病気を隠して)同行するのは感染のリスク的に大丈夫なんだろうか。とかいろいろ気になってしまった。

ようやくビートたけしさんの志ん生師匠に慣れてきて、この人が四三の物語を語っているという構成をすんなり頭の中で整理できるようになってきた。孝蔵が円喬師匠に名前もらって嬉しさ大爆発のシーン、スローモーションで孝蔵が下町を走り抜ける演出がすごくキラキラしてて美しくて印象的だったなぁ~!森山未來さんの孝蔵、最初は本当に刹那的で享楽的だったのが、円喬師匠との雷に打たれたような出会い以降、ただの車引きとしての描写だけで充実している感じが伝わってくるのが本当に上手い。演技と演出と脚本が本当に噛み合ってて素晴らしいな~。

いよいよオリンピックストックホルム大会。視聴ペース上げてリアルタイムに追いつきたい!

いだてん 第8回「敵は幾万」

号泣回。何回泣いただろう、3回は確実に泣いた。

実次兄上が相変わらずウザくて暑苦しくて愛おしい~。十里走った先に何が見えるのかわからない、何も見えないかもしれない、でも見る資格を与えてやりたいって親心が本当に頼もしい。結果のためじゃなく、可能性のためにお金を作ってやりたいって心意気に泣く。池部家のお姑さんは「あなたを信じたんじゃない」って言ってたし、実際スヤさんがいなければ貸してもらえなかったんだろうけど、兄上の親心がきちんと伝わったからこそ気持ち良く貸してもらえたという面もあるんだろうな。東京から帰るとき、「勝とうと思うな!」って叫ぶのも良かったなぁ~。本当にただただ力いっぱい頑張って欲しいだけなんだよな。でも一方で勇ましい(内容がほぼ捏造な)新聞記事を読んで嬉しくなっちゃったりもする、その小市民なところもすごく胸に刺さる。ただただ力を尽くせばいい気持ちと、良い成績が残ったらいいなという気持ちは普通に両立するし、どっちかが悪いというものでも無いんだよなぁ。

四三のために後援会から1500円分もの寄付が集まったの、時代もあるだろうけど四三の人柄もあるんだろうな~。あと美川君が「鬼のような兄」について話したのも同情票を集めたかも。まさか美川君、そこまで見越してあの話を…?ってカケラも思わない小市民な美川君が好き。

スヤさんのお嫁入り。美しいスヤさんの花嫁道中の映像に、四三の調子外れな自転車節が被る。映像としてはそれだけなのに、どうしてこんなに泣けるのか。スヤさんの四三への気持ちははっきり「恋」と言いきれるものではなかったように感じたし、朴訥な四三の好ましさと東京という未知の世界への憧れがない交ぜになった感情という面が大きかったんじゃないかと思う。許嫁は穏やかでいい人そうだし、お姑さんも既に信頼を寄せてくれていて、結婚生活はそんなに悪いものでもなさそうに見える。でも、それでもその淡い憧れはそのまま時を重ねれば四三への恋になった可能性もあったし、何よりまだまだ結婚なんて考えたくなかったスヤさんが、未来への憧れをひっそりと胸にしまって嫁がざるを得ないという時代そのもののやるせなさが胸を打つ…のかなぁ。

花嫁道中の映像がライティング含めて神がかって美しかった。周りが笑顔いっぱいでこの上なく喜んでいるのに対して、花嫁は俯きがちでどことなく寂しそうな表情なのも対比的で美しい。そして全てを見通すかのようなお姑さんの表情…!大竹しのぶさんの言葉にしないけどわかっている感がすごい。地主の家に嫁として嫁いでくるとはどういうことか、彼女自身も味わってきた想いがそこにはあるんだろう、ってすんなり思えるこの納得感。結婚式側にはセリフもなく映像だけで、それでもこれだけ胸に迫ってくるドラマが展開するのがすごい。演出ってすごいなぁ。

そして満を持しての三島家劇場。あの最後の和歌子様が抱えられるようにして汽車に走り寄る来るシーン。もう見ながら大号泣。これまでの和歌子様や弥太郎兄のツンシーンの回想がまた小憎らしい程にハマってて。それもこれも全てあのシーンのための積み上げだったんだよなぁって思うと、まんまと踊らされてる感しかない。先週の弥彦が現像した和歌子様がこの上なく優しそうな笑顔だったのも、このシーンへのフックだったのね。和歌子様や弥太郎兄が完全に「たかがかけっこ」を認めた訳ではないのだろうけど、それでも我が子の活躍は何よりも嬉しく誇らしいわけで、それをお互いに認めるきっかけが無いまま来てしまったこの親子にとって、海外遠征くらいの切羽詰まった別れが素直になるためには必要だったのだろうなぁ。そして多分、そのために多大に影響力を発揮したのが
シマちゃんだったのだろうなぁと思わせる積み上げが本当に素晴らしい。シマちゃんが絶対せっついてくれたんだよ。「奥様!お見送りしなくていいんですか!?してあげてください!!」って。想像だけで泣ける。

あと地味に弥太郎兄が一緒に追いかけてきてくれたのも良かった~!その時の言葉が「母上に挨拶しないか!」なのも良かった。母上が弥彦を気にかけていることをわかっていて、だからこそ弥彦から話すまでじっと待ってたんだろうなぁ。こういう表だっては見えない愛情があったからこそ、弥彦はあんなにぼんぼんとして素直に育ったのだろうし、三島家を誇りに思う若者に育ったんだよなぁ~ってしみじみ思う。

母上が渡してくれたのが日の丸の刺繍されたユニフォームっていうのがまた良い。弥彦に見向きもせず(と思わせながら)縫っていたんだなぁって思うと泣くしかない。上手い。小憎らしい程に上手い。ユニフォームと言えば四三のユニフォームは播磨屋さんが持たせてくれてたけど、あそこも良いシーンだった。特に播磨屋の坊主が可愛すぎてひっくり返った。可愛い!

散々三島家劇場で号泣したあとで、実はその隣で嘉納先生の列車乗り遅れ事件が起こっていたという構図には笑うしかなかった。崩れ落ちて電車を見送る和歌子様のすぐ横で羽交い締めにされる嘉納治五郎の図。これぞ宮藤官九郎…感動シーンをそれだけで終わらせない男…!