西郷どん 第39回「父、西郷隆盛」

明治編突入。突然歴史学者の磯田さんが出てきてびっくりした。磯田さん歴史考証してるからその繋がりのネタ出演(?)なんだろうけど、この作品で歴史考証で名前上がっちゃうの、歴史学者として大丈夫なのかな?っていつもちょっと心配になる。いやまぁ、よっぽど間違ってない限り解釈や創作については極力口を出さずに行く方針なんだろうなというのはわかるんだけども。

西田敏行さんが菊次郎(老年)として父である西郷隆盛を回想する、という構成がすごく大河っぽかった。というか、最初からこの構成にすれば良かったのでは?これまでのナレーションが(西郷の年代が若かったのもあるだろうけど)年長者が若者を叱咤するような雰囲気だったのに、今回からいきなり「我が父が」みたいに語られてめっちゃ違和感あった。開始時からこういう構成にするつもりだったのならもう少しやりようがなかったのか。途中から入った演出だとしたら、脚本家さん乙としか言いようがないけど、そんなことってある!?

あいかわらずの鈴木亮平さんの「見た目から完璧に入ってみせモス!」な役作りに平伏する。なんていうんだろう、リアリティ?実在感?本当にきっとこういう人いたわ、いたはずだわっていう納得感がすごい。舞台みたいな衣装のせいもあるとは思うけど、明治政府のお歴々が皆どこかコスプレっぽく見える中で、西郷隆盛一人だけ「めっちゃリアル」な存在感があって笑ってしまう。すごいな~ホント。

菊次郎が西郷家に来る回。子役の役者さんは印象的な良い目をしてて(二階堂ふみにどことなく似ててこれぞ愛加那の子供って感じでさすがの配役)印象的。隆盛と菊次郎の再会シーンとか、これまで離れていたことに対する複雑な心情が感じられてすごくいいシーンなんだけど、西郷家の中で菊次郎がどういう立ち位置なのか、どうしてこの時期に大島から呼び寄せることになったのか、それは誰の意向が強くでているのか、さっぱりわからなくて困惑。愛加那は「自分の子じゃなくて西郷吉之助の子供として育てた」って言ってたので、そういう心積もりだったのにどうして9才まで母親のところで育てることになったのか(それが当時の慣例だったならそういう背景を)説明して欲しかった。

西郷が政治の舞台からおりた理由については前回「戦でもう疲れたから」ってことで描かれたと思うんだけど、今回復帰を決めた流れがなんか妙に流されるままに見えたのが引っかかった。先週ブチ切れてた大久保が、今の西郷の生き方をどう思っているかが全く描かれなかった(ように見える)のも微妙だったかなー。来週のお楽しみなのかもしれないけど、あらかじめチラ見せされた方が視聴者は脳内で勝手に伏線と解釈するのでお互いにとってお得だと思うんだけどな。

あと糸どんが「島から来たばかりの菊次郎の側にいてやって欲しいから」って理由で東京行きを止めるという展開が、妙に現代風の「仕事より家庭を優先することが尊い」っぽい雰囲気に流されてるように見えてしまい、猛烈に違和感あった。もう少し側にって場合の「もう少し」ってどれくらいを想定してるんだろう。いずれ国政に戻ることについては了承してるって意味なんだろうか。国政に戻りたいと西郷が思っていることは理解してるってことなんだろうか。エスパーか。

西郷が現在の政府のやり方をどう思っているか、微妙にぼかされているのも物足りなかった。武士の世が終わってしまうと不満をこぼす若い薩摩武士に対して、自分はそれでもいいと思っていると言ってたけれど、むしろ斉彬が武士の世は終わるって言ってたし、西郷はむしろそれをわかった上で推進した側なんじゃないの?それを「それでもいい」と言う言い方はちょっとズルいような。

正直下級武士がどうして西郷を慕うのか良くわからないんだよな。あの感じだと倒幕を掲げてた時は表だって「武士の世を終わらせる」って言ったわけじゃないと思うし、だとしたら大なり小なり武士たちを言いくるめて(あるいは正直な目的を明かさずに)戦に駆り立てたんだろうし、そういう部分も含めて戦に疲れたのかもしれないけど、やっぱりであればそのあたりをどう考えているのか、この辺でチラッと触れてくれたら良かったのに。そのあたりも上手く書けば面白いと思うんだけど、そういうところには触れない方針なんだろうなぁ…残念。

西郷どん 第38回「傷だらけの維新」

これが西郷隆盛の物語でなく、名もなき薩摩武士の物語だったら面白かっただろうなぁ、という印象。今回のファミリーパート自体は良かった。ただ、これが西郷隆盛の物語で、扱われているのが戊辰戦争という中で、あのファミリーパートで満足できるかと問われると…思いっきり題材負けしている感はどうやっても拭えず。ホント、役者さんの演技は見応えあるんだけどなぁ~!!!

今回は、吉之助が本心では望まぬ戦を続けていく中でついには弟までも(本人の望みだったとは言え)戊辰戦争で亡くし、身も心も(いや身は無事だが)ボロボロになって維新政府から一旦身をひくという流れを説明する回だったと思う。その流れ自体はすんなりと納得できた。本当は戦いたくないが、自ら始めた戦だという責任感もあり、心を鬼にして敵をなぎ倒す覚悟をしている…のは良くわかる。そのための吉之助の苦しみも痛いくらい伝わってくる。でも、これまで見てきた視聴者としては「あんたがヒー様のこと勝手に誤解して始めた戦争だよね?」という気持ちがわき上がってくるのをおさえきれず。結果として、吉之助の苦しみに心情的に寄り添えない。

吉二郎が戦士したのは史実でもあり仕方ないのかもしれないけど、なんか全体的に「吉二郎の死」の扱いがちぐはぐだった気が。吉二郎がこれまで兄のために家を守ることだけを己に課してきた献身的な弟だというのはこれまでの話からもわかりすぎるくらいわかってるし、キャラ立ても見事だった。その弟が、実は自分も戦働きがしたいと思っていて、その希望を汲んで戦に連れて行くことにしたというのが、なんていうか(戦死させるための)安直な?設定だった気がしてしまった。あと信吾にあそこまで軽くいなされる場面、必要あった?吉二郎が戦に向いていないという設定、本当に必須だった?向いていないのにワガママで出陣して結局死ぬって、なんかこう…誰得なエピソードだったんだ…。結果的に弟を戦地に向かわせるために実家にモノを言いに来たことになってしまった姉もかわいそすぎる。

それと、吉之助の名声に釣られてやって来る有象無象の親戚筋に、西郷家の苦しい経済状況の中から「兄の名誉を慮って」無理してお金を工面してたというエピソードが(史実かもしれんが)すごく上手いと思ったんだけど、その後に「更に吉之助のためにヘソクリしてました」という話を持ってこられて、他人への施しをした上にヘソクリとか、どういう財テクだよ?と思わずツッコみたくなってしまった。話の盛りすぎ、イクナイ。

吉之助が弟の手帳を震える手でめくる場面はさすがにグッときた。あの演技すごかった。結局ダーク西郷になりきれず、あそこで男泣きに泣くのが吉之助の人たらしたるところなんだろうなぁ~って納得した。

一蔵と吉之助の決裂。…アレは決裂と言えるのだろうか。まぁここまで来ておきながら一抜けすると言い出した吉之助に対して思うところがあるのは理解出来るけど、もう戦に疲れ切ってている吉之助に対して「お前が始めたのに」って言っちゃう一蔵は、どう見ても吉之助のことをきちんと見てないとしか思えず、そういう間柄の二人を誰が見たいと思うだろう…?西郷大久保ラインというのは、唯一無二の親友で、それなのに道を違えてしまうというところにロマンを感じると思うんだけど、このドラマの中では正直こんなにお互いのことわかってないならうまく行かないのも仕方ないよな~としか思えないんだよな。やっぱり男同士の友情に萌えない脚本家(偏見)にライバル関係とか幼なじみの対立とか書かせちゃダメだって。せっかくの題材だったのにな~!

会津戦争とか箱館戦争とか一切何も触れずに戊辰戦争が終わったことについては、まぁそういうドラマだよなぁってことであまり感想は無し。まぁ会津見たけりゃ八重の桜見るし、箱館見たけりゃ新選組(特別編)見ろってことかなって。とりあえず「細かいことはおいといて、とにかく西郷は戦に傷つき、疲弊してるんだ!」と言いたいことはわかった。共感できるかはともかくとして。ついに明治編が始まるので、何とか脱落せずに見終わりたい。

西郷どん 第37回「江戸無血開城」

台風で一週お休み。

前回、ふきちゃんが「謝ればいいのに」って言ったシーンの感想で、私怨・私闘じゃないのに謝ればいいってどういうこと?みたいな感想書いたけど、なんと!今回!衝撃の!鳥羽伏見は吉之助と慶喜のただの個人的な喧嘩だったという(このドラマ内での)事実が判明して!思わずひっくり返りそうになった。うわ~これまでのはそういう方向性の作劇だったのか!まさかの武力倒幕が個人的な不信感のみで起こされた説!!びっくりした~。ある意味、今年の大河での一番のサプライズだった。そうきたか~。前回までの不可解なシーンのあれこれが頭を過ぎり、それらは制作側にとってはちゃんと一貫した(かどうかはわからないけど)意図で作られた結果だったということがわかったことが今回の一番の収穫だった。

正直、そのアイデア(鳥羽伏見は吉之助と慶喜のただの喧嘩だった説)には全然納得できないし、仮にその部分を受け入れるとしてもまだ話がオカシイ部分もたくさんあるんだけど、これだけ堂々と「これまでは二人がすれ違って喧嘩してただけだった」という予想外の設定を出されると、意外性だけで全てが「まぁ、もうそれでいいか」みたいな気になったのが不思議。もともと私がミステリ好きで「気持ち良く騙してくれればそれだけで良作」と思うタイプなので、驚かされたことで評価が甘く(?)なったのかもしれない。いやだってすれ違いからの喧嘩だよ!?天下の鳥羽伏見がだよ!?政治工作とか薩長と幕府の駆け引きとかそういう要素を一切排除して、個人対個人の単なる思い違いすれ違い故の喧嘩だったとかすごくない!?!?これまでアンチ気味だったけど、なんかもう見ているものや見たいものが全く違う人間が作ったものなんだな~と心から納得して、今後は真の意味で何も期待せずに穏やかな気持ちで見られる気がしてきた。いや~、まさかこういう方向でねじ伏せられちゃうとはな~。マイッタマイッタ。

江戸城での天璋院と吉之助の対面。天璋院からの「慶喜の首で戦を収めてくれぬか」という提案があって、私にはこれが慶喜の了解を取った上の提案に見えなかったんだけど、そんな解釈ってありなんだろうか。これで吉之助が了解してしまった場合、天璋院慶喜と示し合わせての提案ならそれで良し。でも示し合わせていなかった場合、この後慶喜に「江戸のために死んでくれ」って説得するってことだろうか。これまで、そんな大きな決断が出来るほど天璋院に力があるという描写が皆無なので、この提案がひどく危ういものに感じられてしまう。事実、後半吉之助と慶喜が和解(?)した後の天璋院の「慶喜の首を取るのではなかったのか」という言葉は、若干「慶喜の首を取って欲しかった」という願望が含まれていたようにも感じられて、この天璋院は一体何がしたいんだ?と混乱する。わかりやすい大河どころか、それぞれのシーンで誰がどう考えてそういう行動しているのかがわかりにくいので、ついついそういう部分を考えていない脚本なのでは?と思ってしまうんだよな。実際には考えていないわけではなく、私が読み取れていないだけなのかもしれんけど。

安房と吉之助の会談。勝が放った「戦で江戸の無辜の民を苦しめて作る国になんの意味があるんだ」という言葉は、遠藤憲一さんの熱演もあって非常に心を打つんだけど、正直「今この場に至るまでに西郷はその点について一度も考えたことがなかったのだろうか?」というある意味一番今さら考えてはいけない疑問がどうしても浮かんできてしまい、いまいち熱演に浸ることが出来なかった。私は、(そう決意した過程は全くわからないけど)そういう戦のマイナス面については考え抜いた上でダーク西郷になることを決意したんだと思ってたので、この場で一度勝に言われただけであっさり考え直されてしまうと、どれだけ軽い気持ちで倒幕決意したの!?という気持ちになってしまう。せっかくダーク西郷になることにしたのなら、もっとダーク西郷を掘り下げてくれたらよかったのに…。

吉之助とヒー様の会談。いつになく正装っぽい服装のヒー様が「俺の首を取りに来たんだろう」って悲愴な顔で言うのは、事前に天璋院とそういう話になってたという解釈か?と一瞬思ったけど、多分違う…気がする。なぜ多くの家臣を残して逃げたのかと問う西郷に、フランスから日本を守るためだと応えるヒー様。このやり取りで初めて西郷は慶喜が真に日本のことを考えており、売国奴ではなかったことを悟るのだった…って待て待て待て。視聴者にとっては慶喜の真意は日本を守る一心だったというのはもう前回の勝安房のやり取りで知ってるわけで、今回もう一度その話題で今度は吉之助とヒー様の和解をやるのか!なんかこう…こんなにいい場面なのに圧倒的二番煎じ感があってもったいない気が…せっかくの見せ場なのに。

そして何より、吉之助は本当に「慶喜が日本を外国に売ろうとしてる」という疑念だけであれだけ頑迷に武力倒幕を決意してたという設定に驚愕した。そんな、顔合わせて一言二言会話を交わすだけで消滅してしまう疑惑で起こった戦争…悲劇過ぎる。いや、それならそれでもいいのだけど、だったらせめてすれ違いで戦が起こってしまった理不尽さを見せるとか、勘違いだとわかった時に自分たちが引き起こしてしまった事の大きさに打ちのめされたりしたりだな…。なんで二人して「和解できて良かった良かった」みたいな雰囲気になっているんだ…。吉之助の「民のため」って言葉が虚ろに感じられるのはこういう時。

再び江戸城での吉之助と天璋院の対面。徳川が代々蓄積してきた膨大な知識に対して吉之助が歓喜するのはいいのだけど、広げた資料が少なすぎて「えっ?これだけ?」とむしろ思ってしまったので、あのシーンはむしろ書庫のような場所に案内した方が納得しやすかった。まぁ、最後に座敷でまどろむ吉之助の絵で終わりにしたいという要望があって、そこから逆引きして小道具や場所を設定したんだと思うけど、だったらせめて部屋中に積み上げた書物くらいは欲しかった。

そりそろ明治編みたいで、どんな風に話をまとめるのか、最近はそればっかりが楽しみ。初回で糸さぁが「こんなの旦那様じゃない!」って叫んでたその真意、どう描いてくるのかなぁ~。

西郷どん 第36回「慶喜の首」

うう~~~~ん…今回も微妙だった。

なんか不満点ばかり上げてるとアンチっぽくてイヤだなと自分でも思うのだけど、アンチかアンチじゃないかと問われたら確かにアンチだよなぁ。ただクサすために見ているというよりは、自分がどこに不満を見いだしているのかをちゃんと言語化しておいて、あとで読み返すと結構(エンタメとして)面白いというのが経験論としてあって、そのために見ているので別にクサすことを目的としているわけじゃない。と自分では思っている。あとやっぱり大河という贅沢な制作体制で作られたドラマは、内容に関わらず見ていて(それなりに)面白いので、枠としての視聴層は当然制作側も認識しているはずで、イヤなら見るなというのは通用しないんじゃないかと個人的には思う。

毎週毎週、主演の鈴木亮平さんを始め、役者の方々の演技は本当に素晴らしいなって思ってる。あとは…衣装とか大道具とか、やっぱり大河スタッフは優秀だし豪華だなって思う。あとは…うーん…やっぱりキャストは神。今回の藤本隆宏さんの山岡鉄舟とか最高じゃない?って思った。だからこそ願わくばもう少し西郷という人物の生き様にもう少し興味を持っている人に脚本書いてもらえたらもっと面白かったのに…とか。いかんいかん、ついついグチが入ってしまう。

やっぱりぶつ切りのシーン繋いだだけに見えるのがなぁ。信吾がケガしたのは史実(?)なのかもしれないけど、その直前に西郷の強攻策に対して異を唱えていたという事実が全く何もその後の西郷に影響していない(ように見える)のがちょっと意味不明。ただの頑迷な戦の鬼になってしまった(=人が変わってしまった、あるいは自ら無理をして人を変えている)西郷を表しているのなら、イギリス人医師を無理矢理呼んだエピソード要らなくない?あそこでケガした身内のために医師を京に入れたというエピソードによって印象づけられるのは、西郷がただ自分が戦の鬼パフォーマンスをしていることで弟に辛い仕打ちをしている罪悪感を薄めてるだけって感じなんだよな。西郷のそういう狡さを見せたいシーンならまだわかるんだけど、なんとなく演出とか見てるとそうじゃないっぽい。見方がアンチ気味なのは確かだけど、どうもこの制作陣と感性が真逆なのか、彼らがアピールしたい主張は、私には逆張りにしか見えない。しんどい。

慶喜の大阪からの夜逃げは、どの作品で見ても慶喜のカスっぷりが味わえるいいシーンだなぁ(慶喜好き)。八重の桜でも(容保に共感して)「慶喜お前…!」ってワナワナしたもんな。でも八重の小泉慶喜は本当に大好きなキャラで、慶喜自身も全然悪印象ないのが不思議。松田翔太さんの慶喜も全然イヤな感じに見えない。というか、イヤな感じに見えるほど慶喜の内面がこれまで描かれてないし…。常に西郷の邪魔をするものとして場当たり的に巨大な敵にさせられてる感あるし。

しかし船でふきちゃんに「船が沈むのは罰が当たった」とか言われてたのは普通に素で笑えた。罰っていうのは大阪に部下を残して逃げ帰ってきたことに対してだと思ったんだけど、一緒に逃げてきたヤツに言われたくないわな。そして江戸に戻ってきてからは「西郷に素直に謝ればいい」って説教してきて目が点になった。謝るもなにも、ドラマの作劇上も西郷が過剰な挑発&戦意で戦を仕掛けてきたことで始まった鳥羽伏見なのに、一体何をどう西郷に謝れば何がどう解決するという理論なのか意味不明。そもそもこの二人の私怨・私闘ってわけじゃないのに、謝ればいいってどういう理屈なんだろう。ただ、私は別にふきという人物に対して嫌悪感を抱いているわけではなく、ふきにこういうセリフを言わせることで何を表現したいのか?という作劇部分に猛烈に不信と不満を抱いている。お手軽に「慶喜が悪い」感を出したいだけなんじゃないか疑惑。だとしたら裏目ってるよ…。

勝と慶喜。今回冒頭の大阪からの逃亡で勝が慶喜を見限って、その後あれよあれよという間に慶喜の真意(?)とやらで和解してたので、これなんて茶番?って。いやー、尺の関係で仕方ないのかもしれないけど、さすがに数十分で和解されると最初の見限ったシーンの意味がなさ過ぎたような。そしてここでようやく慶喜の真意(=外国に日本を売るわけにはいかない)とやらが公に表明されてなんかめでたしめでたしモードなんだけど、何を今さらと言いたい。慶喜が徳川家第一を信念としつつも朝敵にならないために行動してたのなんて、最初から一貫してそうだったじゃん?大政奉還も全部そのための策だったじゃん?大阪から逃げ帰ってきたのも朝敵にならないためじゃん?なんでこの時になっていきなり勝が「それなら俺が何とかしてやる!」みたいな態度に変わるの?わからない…このドラマの中の人物は私の理解の範疇外で生きてる…。

ここ、正直これまで慶喜を巨大な敵っぽく(でもハリボテっぽさが見え見えだったけど)描いてきて、さすがに慶喜を悪く描いたままには出来なくて入れてきたシーンぽく見えてシラけた。そしてここで慶喜が悪ではないってことを明示すると、これまで「慶喜は敵国に日本を売る」を倒幕の理由に掲げてきた西郷はつまり勘違いで戦を始めたってことになるんだけど、それはいいのか?濡れ衣で始まった内戦とかそれでいいのか?わからない…わからないんだ…。

山岡鉄舟。私、この人のウィキペディアの記述が好きなんだよな。会談の条件として慶喜の身柄を要求する西郷に対して、同じ条件を相手に示されてあなたは条件を飲むのですか?と尋ね返して西郷の譲歩を引き出すというエピソード。それがなんともお粗末な精神論?みたくなってて悲しかった。逸話にある最初の西郷の条件提示は、西郷が山岡鉄舟を見極めるためのブラフだったんじゃ無いかと思うんだけど(そしてその方が西郷をより興味深い人物に描けると思う)このドラマでは西郷が頑なに「慶喜を殺さないと日本が危ない!」って信じてるように描かれてた。それならそれで突き進むのかと思ったら、目の前で腹切るって言われた途端「ちょっと話を聞いてみようかな」って日和ってて、お前は一体何をしたいんだ!?と悲しくなった。

江戸に入ってきて幾島と出会って江戸城に忍び込む西郷。このあたりは主人公補正での創作エピソードで全然ありだと思うし、久々の篤姫天璋院)がお美しくてテンション上がる。来週の会話が楽しみ。あと江戸城無血開城メインなら勝安房との対談もあるんだろうし、そっちも楽しみ。ストーリーはもう正直何も期待していないけど、場面場面の役者さんの演技はやっぱり眼福なので。

番宣PVみたいなやつで、鈴木亮平さんの西郷ビジュアルが本当に西郷っぽくてビビった。この人こういう、見た目から完全になりきって視聴者をねじ伏せる役者さんだよね…ホントすごい。ただ「この明治編をやるためにこれまでの一年間があった」とか言ってて、まぁリップサービスというか宣伝文句でもあるのだろうし、あまりツッコんじゃいけないのかもだけど、これまでの一年弱で西郷と大久保に何かが積み上がっているとは到底思えないのだが、明治編大丈夫か…?という違和感しかない。不安すらない。期待がない。ただ、どれだけ駆け足で明治を駆け抜けるのかはちょっと興味ある。下世話な野次馬根性が視聴意欲となりつつある。なんだかな~とは思うけど、でもやっぱり楽しみにはしているのだ!

西郷どん 第35回「戦の鬼」

龍馬暗殺。西郷と龍馬は袂を分かったまま。龍馬が自分の刀で傷の具合を確かめる場面、カッコよかった。あと「(死ぬのは)今じゃない」のセリフも良かった。小栗旬さんめっちゃハマってた。龍馬ってこんな感じの人だったんじゃないかって素直に思えたのとても大事。そこが素晴らしかったからこそちょっと微妙に感じたのが、先々週の寺田屋事件と(まぁ襲撃事件という意味ではほぼ同じだから仕方ないんだけど)画面の印象がものすごい似てたこと。同じような構図で同じように襲撃事件を撮ってるので、二番煎じ感があって迫力が薄れた感が。前回は逃げられて今回は逃げられなかった、その運命を分けた差異も良くわからなかったし(お龍がお風呂に入ってたかどうかってことか?)、二回同じような場面を作る意味って何だったんだろう。

龍馬が死んで改めて吉之助は倒幕の決意を新たにし、ダーク西郷が爆誕して江戸での幕府に対する挑発行動を指示する。この部分を切り取って画面の中だけで見てるとドラマチックないいシーンなんだけど、どうしても「なんで突然ダーク西郷になることにしたの!?」という疑問から解放されない。西郷が何に苦悩して鬼になる覚悟を決めたのか全然わからない。龍馬が(例えば今現在の大久保みたいに)同じ理想を見据える完全な同士だったのならまだわかりやすい。でも龍馬は幕府に対する対応が違うと決別した相手だったよな?その龍馬が死んだことでなぜ倒幕に邁進するんだ?穿った見方をすると、龍馬が死んで倒幕がしやすくなった(幕府寄りの有力者がいなくなった)ことでここぞとばかりに勢いづいていると解釈も出来てしまう。ただ、そうするとあの苦しみながらダークに徹している(という演技に見える)吉之助と整合性がとれないので、多分そういう裏設定じゃないんだと思う。だとしたらなぜ…?わからない…わからないからダーク西郷にいまいち浸れない…鈴木亮平さんの演技はいつもいつも素晴らしいのに…。

ホントこれ残念なんだよな。ダーク西郷は演技そのものもいいし、あえて非道を行うというのは(昨年の小野但馬みたいな使い方もできて)物語に深みを与えてくれるいい題材だと思うんだけど、どうしてそう決断したかという重要な部分が省かれているせいで全然深くなってない。反面、設定も何もないのに演技だけでこのシーンを成立させる役者陣の実力をまざまざと見せつけられている気分。こういう方法で演技力をアピールできるというのは役者にとってどうなんだろう…プラスになるのだろうか…。

岩倉具視がこれまで御所に出仕しなかったのにはちゃんと理由があった!今回まで正式には謹慎解かれてなかったんじゃん!ん?てことは孝明天皇が許してくれたっていうのは何だったの?あの時は息子だけ許したんだっけ?わからない…謎。そしてやっぱり御所でのベタな大阪弁やっぱり気になる!孝明天皇はこのコテコテの大阪弁に耐えられずに謹慎を言い渡したのではないかと疑うレベル。御所会議?でもめちゃめちゃ騒がしく慶喜排除を叫んでて、確かに御所から排除したくなる気持ちもわからんでもない…。

「短刀一本で云々~~」のシーンはちょっと私の許容範囲外だった。アレはちょっとないわ…。多分こういう巷説があるんだろうとは思うものの、あそこまで露骨で稚拙でこれ見よがしな脅しに山内容堂があっさり屈するという描き方はもうちょっとどうにかならなかったのか。容堂下げには成功しているものの、それが全く西郷上げには繋がっておらず、ただただ容堂の小者っぷりをあげつらうような描写になってしまっていた気がする。せめて薩摩に屈せざるを得ない理由を(西郷の稚拙な脅しだけではなく)もっと描いてくれたらなぁ…。これじゃ茶番ですよ、茶番。久光の描き方を見るに、ダメっぷりを描いたとしても十分に魅力あるキャラを作ることができるはずなんだけどなぁ。といつも下げ要員キャラを見ては悲しい思いに浸る。

そして次回予告に篤姫出てた!まさか…まさか次回もう江戸城無血開城だったりして。早すぎる…!!

西郷どん 第34回「将軍慶喜」

なんかいろいろと詰め込まれててダイジェスト版という感じだったけど、ダイジェスト版だと思えば(いろんなことが描写不足なのも納得しやすいので)後から思うと意外と見やすかったかも。

以前判断は保留にしたけど、やっぱり鶴瓶師匠が岩倉具視というのは無理があったのでは?と思わざるを得ない。相変わらず口調がモロ大阪弁なので、公家というよりゲスな大阪商人にしか見えず、あの口調で「マロが」って言うたびにつまらないギャグあるいは壮絶な公家言葉煽りを聞いている気になってしまう。孝明天皇が亡くなった時、自宅でビービー泣きわめいて出刃包丁で殉死しようとした場面は、止めてもらえるのをわかった上でやっているパフォーマンスに見えてしまい、それが岩倉というキャラを表している演出なのか、鶴瓶師匠の演技がアレすぎてそうなってしまっただけなのかわからなくて混乱した。私の理解力がないだけかもしれないけど、わかりやすい大河を目指してるならギャグはちゃんとギャグってわかるように演出して欲しい。あとこの時代の公家の日常とか全くわからないんだけど、謹慎解かれた後もあばら屋で小汚い格好で生活しているのは一般的なのか。そもそも帝の側に出仕しなくてもいいのだろうか。謎。

勝が岩倉と旧知で仲がいいというのは史実なのかな?徳川絶対倒すマンの印象が強い岩倉具視と、言動は無頼派とはいえ最後まで徳川存続に力を尽くす勝安房が意気投合してるのが不思議な感じ。まぁ仲が良くても道を違えるのは良くあることだし、勝も別に忠義で徳川に尽くしてる訳じゃないかもだし、勝と岩倉が実際に仲良かったらそれはそれで面白いなって思うけど、このドラマの中では勝と岩倉の目指す方向の違いとかそういう背景が全く描かれていない上、今後も描かれないままな予感がビンビンにするのが残念かな。せっかくのそういう個性的な脇役がただの西郷アゲ要員にしか見えないのが切ない。

家茂が亡くなった際、まわりがみんな「慶喜公はこれまであれだけ渋っていたんだから将軍にはならないだろう」って言ってたところで、吉之助だけ一人だけわかった顔で「それはどうかな」とか言っちゃう場面がこっぱずかしくて見てられない。こういう場面を作るなら最低限「慶喜の真意と、それを西郷だけが理解した根拠」が視聴者に理解されて初めて共感されると思うんだけど、このドラマだと「西郷どんはスゴいので周りが見抜けなかった慶喜の真意を見極めていたのです!ただし慶喜の真意そのものについては触れぬ!」と言われている気になり、乾いた笑いしか出てこない。

将軍就任直後から、精力的に政治的工作に励む慶喜の描写は良かった。前回パークスさんが「誰と外交したらいいのかわからない!」って呆れてたけど、今回の慶喜の対応を見る限り慶喜でいいような気がする。雄藩の動向を察知して土佐藩にあらかじめ接触しておく描写とかもベタだけどわかりやすくて面白かった。

あとこのドラマ見てると孝明天皇がめちゃくちゃ慶喜贔屓に見えるんだけど、それだけ贔屓にしてるなら攘夷とかゴネずに幕府の提案をちゃんと受け入れてやればいいのにと思ってしまった。いつも疑問に思うんだけど、時々出てくる孝明天皇描写って何なんだろう?異国嫌いで攘夷攘夷言ってるはずなのに、出てくるシーンはいつも慶喜に頼ってばっかりなんだよなぁ。その二面性で「幕府を手玉に取る」という個性を描いているつもりなのかもしれないけど、そうだとしてもそれがシナリオ展開に全く反映されないのが意味不明。

幕府がフランスに薩摩を割譲する計画があるって言われてたけど、それホント!?そういう説は初めて聞いたのでびっくりした。日本国内を混乱させようとするイギリスのハッタリというのはあり得ると思うけど、だとしたらそれを易々と信じて武力倒幕を決意してしまう政治センスゼロの吉之助像はどうなんだろう…。史実なら仕方ないけど創作エピソードだとしたら慶喜に失礼極まりないし、吉之助にとってもただの道化扱いなのでちょっと創作の意図がわからなすぎる。

龍馬と吉之助の対談。大政奉還を龍馬の策だと見破ってる描写はいつもの「わかってる西郷」なのでスルー。理由は良くわからないまま突然慶喜絶対殺すマンになった吉之助の豹変ぶりが結構面白かった。第28回でそれまで仲良しだった慶喜と吉之助が決定的に決裂したシーンはドラマチックに描かれたけど、正直見ている側としてはそれまで慶喜を買っていた理由も突然慶喜を見限った理由もよくわからないままで、史実がそうだからそういうシーンを作ったんだろうなぁとしか思えなかった。今回も吉之助が武力倒幕にこだわる理由がこの時点で何一つ納得のいく説明がされていなかった(ただひたすらに慶喜は日本をダメにするという吉之助の思い込みがあるだけのように感じられた)ので、史実で結果的に武力倒幕は為されるわけだから、この時点から西郷はそう決意しているはずという逆引きでエピソード作ってるんだろうなという感じ。そのエピソードの作り方自体は別に間違ってないと思うけど、そのエピソードに全く何一つ心情的な裏付けとなるドラマがないので、安っぽい作劇に感じられちゃうんだと思う。

そこまでの微妙さはいつもの「西郷どん」なんだけど、今回面白かったのは龍馬の策が「戦をせずに新しい日本を作る」という、誰がどう見ても武力一辺倒の吉之助のより優れた策に思えたこと。正直あの場面の鈴木良平さんの演技は「自分の中ではもう武力倒幕するって決めちゃったので今さら話し合いとか持ち出されると面倒だから黙っててくんないかなー」的なヤクザ者として最高だったし、その路線で行く吉之助を見たい気持ちは確かにある。あの最後のシーンはこれまでの空虚な吉之助ヨイショじゃなく、明らかに「間違って見える吉之助」を制作側が見せて来ていると感じたので、それを今後どうやって着地させようとしているのかという点は楽しみにしてる。予告を見る限り「龍馬暗殺の黒幕は薩摩説」と見せかける気満々に見えたので、多分真相は違うんだろうなとは思うけど、だったらどういう落としどころを考えているのか純粋に興味深い。頼むから「理想のために心を鬼にして戦に邁進するけど、その胸のうちの優しさに触れてみんなますます西郷どんを慕う」とかの薄っぺらい展開にだけはしないで欲しい。ホント頼む!

全然余分な話だけど、久光や慶喜を(主人公と比べると)圧倒的に短い尺であれだけ魅力的にキャラ立てしているので、脚本の中園さんの能力が低いとは全然思ってない。ただ久光や慶喜に比べたときの吉之助の描写の甘さを見る限り「この脚本家は西郷隆盛という人物に(久光や慶喜ほどは)興味がないんだろうな」とは思ってしまう。同じようにいわゆるBL要素にも全然興味なさそう。大久保とのコンビとか月照さんとのやり取りとかいくらでも仄めかせる題材がこれだけありながら、これまで一貫して通り一遍のテンプレートだけで済ましているので、おそらくプロデューサーとかに言われて最低限義務感で入れたのではないかとゲスパー。興味無いのは仕方ないけど、そういう姿勢で書いたものってやっぱり視聴者に伝わるので、興味のない大河脚本の仕事は受けないでもらいたかったなぁとは思ったりもする。勝手な言い分だとわかってるけども!

西郷どん 第33回「糸の誓い」

自分でもびっくりするくらい制作側の「お約束感」が見ててしんどくて、つくづくこの大河ドラマは自分に合わないんだなぁと思った。

お龍が寺田屋事件の際に西郷指名で薩摩藩邸に助けを請うてきたり、龍馬が吉之助と縁側で話してる中で「おぬしの案だろう」と指摘したり、パークスさんの接待(のマズさ?)を一人だけわかったような顔で傍観してたり、ご機嫌斜めだったパークスさんが吉之助の言葉でコロッと「ようやく話が出来る相手に会えた」とか言っちゃったり、なんかもう「わかった!わかったから!西郷さんがスゴい人で誰もが愛さずにいられない(という設定な)のは良くわかってるから!そんな畳みかけるように次から次へと『ぼくのかんがえたさいきょうの愛され西郷』みたいなエピソード入れてこなくていいよ!居たたまれない!!」という気持ちでいっぱいだった。画面を正面から見ていられなかった。しんどすぎた。あまりにも同じ回にアゲ展開盛りすぎじゃない…?なにごとにも限度ってものがあるじゃない…?

龍馬夫婦の霧島温泉旅行とかハークスの薩摩会談とか、一応歴史上の史実を取り入れつつ、今回のメインは糸どんとの子作りなのはまぁそういう(家族内のエピソードを大事にする)大河ドラマがあってもいいと思う。ただ、お龍さんのキャラはちょっと…みんなの前で前妻や前々妻についてあっけらかんと聞くのとか、糸どんに対して子作りに励むようアドバイスするとか、なんていうかこう「先進的な女性像」を間違えてる感が強すぎて見ていてツラかった…。この時代にはまだほとんどいなかった自立心と自我を持っていた女性を表現するにしては、あまりに稚拙過ぎる表現だった気が。デリカシーのない空気読めない女性を描きたかったのなら間違いじゃなかった気がするけど、そうすると今度はお龍さんをそういう女性として表現する意味がわからないし。

あと、お龍さんが龍馬を追いかける展開なんだけど、龍馬が今回の旅は危ないからという理由でお龍を残していく判断をするのはいいとして、なんでその残していく場所が西郷家なんだろうという当たり前すぎる疑問が。それだけ糸どんを信頼したというエピソードだとしても、あれだけ貧しい西郷家に赤の他人の自分の嫁だけ残していくとか不自然過ぎるし、いつまでとか期限がないのも怖すぎる。その上龍馬にそこまで頼まれたのに「一緒にいると決めている」というお龍の言葉だけで上衣一枚羽織らせて追いかけさせる行為が無責任に過ぎる気がしてしまってモヤモヤした。龍馬の信頼は一体どうなるんだ。あと行き違いになったらどうするつもりなんだ。いや、歌舞伎の見せ場的なテンプレ場面演出だというのはわかってるけど。

愛加那と糸どんをどうやって両立するのか問題は、多分今回の描写が一応のアンサーなんだろうなぁ。意地悪い見方をすると、ありがちでなぁなぁな落としどころを設定したという印象。ただ、一度死んだ吉之助を生かしてくれた愛加那ごと、糸どんは愛する覚悟をしたという場面であることはヒシヒシと伝わってきたし、そこだけ切り取ってみれば、役者の演技は素晴らしいし、情熱的な色恋とは違う大人の親愛としての夫婦愛エピソードとして秀逸だったと思う。多分脚本家はこういう描写が得意で、こういう展開をずっとやっていたいんだろうな~ってしみじみ思わされた。別にこういうシーンを延々とやる大河ドラマがダメなわけではなく、こういうシーンばっかりでもいいんじゃないかとは思っている。ただ、家族愛とか人間愛をメインテーマとするのであれば、もっとキッチリと家族や仲間とのあれこれを描いてくれてもいいと思う…西郷さんがみんなから愛されている描写だけが延々と続く(しかも一つ一つのエピソードに説得力がない)というのは、家族愛や人間愛じゃないと思うんだよな~。

来週は慶喜の将軍就任!松田翔太さん烏帽子姿似合う~!楽しみ!