西郷どん 第4回「新しき藩主」

演出が厨二っぽくて好き。画面の構図とかカメラアングルとかが印象的で好き。大河を「演出と演技のみに特化して見る」のを目標とするなら、結構いい作品かもしれない。まぁ、普通演出と演技【のみ】に特化して見る必要なんてないわけですけども…(遠い目)

赤山先生の切腹という処分を到底受け入れられない門弟たちが久光のところに直訴するも、当の久光は迷惑そうに「自分には何もできない」とすげなく拒否。吉之助たちにとって他に頼る相手がいなかったのだろうと推測はできるけど、正直「なぜ久光が力になってくれると思った?」と首を傾げざるをえない流れだった。斉彬派の吉之助にとって、久光はむしろ反対派閥の神輿なわけで、その相手に頼らざるを得ないという理性的な判断はしているくせにやることは無策で土下座で頼み込み…いかにも安直にシーンを作っている感というか…。あと、今回やたら気になってしまったのは、最初の土下座で助命嘆願の時点で鯉口を切った侍がいたくらいなのに、その後久光が駕籠で出て行くのに追いすがろうとする吉之助たちに対しては決して切り捨てようとせず投げ飛ばすだけで済ましてくれる都合のいい護衛の対応…感情的になって追いすがってくる相手こそ切り捨てるべきではないのか、護衛侍よ。久光が「よい」と一度発せば、その場は殺生なしというルールがあるのだろうか。謎。

由羅(小柳ルミ子)と久光が庭で三文芝居みたいなの始めるの見て笑った。久光は心から言ってるっぽいけど、由羅の態度がどうしても観客:斉興に対する小芝居にしか見えず、当の斉興はあまり芝居に興味なさげというちぐはぐ感。これ意図的な演技…だよなぁ…?でもちょっと意図が読めない。お由羅騒動とは言うけど、もともと斉彬の密告から始まった対立なんだろうし、斉興に一方的に悪役を割り振るこの手法はあまり好きじゃないかも。水戸黄門的時代劇なら絵に描いたような悪役でもいいけど、大河でそれやられるとちょっと興ざめる。でも水戸黄門大河が好きな層もいるのかもしれないし、多様性を大事にする時代だからこれはこれでアリなのかな…?そういえば、斉彬の密告もサラッと書かれたけどどういう思考でそういう行動なのかいまいちわかんない。篤姫の時もよくわからなかったけど、今回はさらにわからなかった。

赤山宅でみんなで芋を食べるシーンの存在意義は良くわからなかったね…いや、ほとんど言いがかりのような理由で切腹させられる赤山先生が門弟に対してあれだけ清々しく笑いかけるという、赤山先生の高潔さを表現し、人柄を偲ぶためのシーンだというのはわかる。その意図はわかるけど、せっかくのシーンで発する言葉が「お前たちは芋だ」って、アンタそんなあまりにも安っぽい説教…(愕然)。なぜかみんな感じ入って聞いてたけど、テレビのこっちでは「何言ってんだお前」状態だったからな…セリフがシーン負けしてた。残念。

赤山先生の切腹シーン。希望(=師匠)を失った吉之助の世界が一瞬でモノクロになって、ジワジワと血の赤が戻っていくあの演出はステキだった。厨二全開だけどむしろそこがいい。個人的に吉之助の感情表現が「叫んで感情爆発」しかないのが気になるけど、多分今の吉之助は未熟な時期という設定で、今後こんな叫んでばっかりだった吉之助が口数が少なく感情を見せない西郷隆盛(脳内イメージは吉川晃司@八重の桜)に成長していく過程を見られるんだって信じてるから。

大久保家が連座で処罰される際に、唐突にぶち込まれた相撲も見ててポカーンとさせられたんだけど、これまでにこの二人の間で相撲って何か重要なモチーフとしての説明とかあったっけ…?西郷父と大久保父が親しい友であることはかろうじて描かれてたけど、別れのシーンで「最後に相撲で勝負だ」って言われても「なぜ相撲!?」って疑問ばかり頭に浮かんで、すんなりとストーリーを受け止められなかった…旅立つ直前じゃなくて、前日に相撲勝負を済ませておくことが何故できなかったのか。そういう些細な部分が気になっちゃうのは、やっぱり私にとって面白くないからだよなぁ。

斉興が阿部正弘にめちゃくちゃフレンドリーに「官位ちょーだい」って言ってて笑った。このドラマでは阿部正弘は斉彬の味方として正義の人っぽく描かれてるけど、正直ちょっとその人物設定は安直でいただけない…7話くらいで脱落した『篤姫』での、己の野心も幕府側の思惑も滲ませて、斉彬を利用しようとする造形の方が魅力的だったと思う。だいたい、幕府と薩摩で立場が異なる二人なんだから、お互いがお互いを利用し合おうとしていると考える方が当然だと思うんだけど。藤木直人の演技が白々しく見えるから、もしかしたら今後そういう裏が見えてくるのかもしれないけどどうなんだろう?

そして今回の一番の衝撃シーン。藩主とその嫡子の間でいきなり(一方的に)開始されるロシアンルーレット…!!!私はロシアンルーレット自体は結構面白いと思った。この時代の日本にリボルバーロシアンルーレットの概念が存在しているのであれば、斉興と斉彬の間で行われていたという創作エピソードがあっても全然アリだと思う。ケンワタナベがリボルバー持ち出した時に思わず「まさかの!ロシアンルーレット!」って口にでたくらい意外だったからな。インパクトはありすぎるほどあった。それだけで制作側の勝ちかもしれん。

そして、藩主への野心に命をかける斉彬の覚悟に怖じ気づいたからこそ、斉興がしぶしぶ隠居を受け入れるという流れは結構うまいなって思った。あれだけ嫌っていた(実際に「お前が嫌いだ」って言ってたw)斉彬をしぶしぶとは言え認めるにはそれなりのインパクトあるエピソードが必要で、それをこうやって強引な絡め手でねじ伏せるというやり方、嫌いじゃない。ケンワタナベの迫真の演技力も素晴らしかった。

ただ、そのせっかくのロシアンルーレットに至る過程がさぁ…正直、斉興が斉彬をどうしてそこまで嫌うのか、そしてそこまで嫌った斉彬を跡継ぎとし続けたのは何故なのか(何故久光にさっさと家督を譲らなかったのか)について、ドラマを見てて全然これっぽっちも理由がわからなかったんだよな。番組後の紀行で二人の確執が財政方針の対立であったことが説明されてたけど、それを!本編で!やれよ!って脱力した。薩摩が斉彬の時代に急激に武力をため込めたのは、その前に斉興の時代で赤字だった藩財政を改善できたからであって、斉彬がしたことと言えば財政再建という難事業を地道に行った調所を死に追いやった上にようやく上向いた財力をバカスカ使って軍備増強したわけで、言ってみれば美味しいところだけかっ攫ったことにもなるのに、それをこうやって「新しい日本という国が見えている理想の藩主」みたいに脚色しちゃうのはちょっと…^^^^^^;;;;;;

あと、地味にゲンナリしたのが「斉彬が西郷の手紙で『立つ』ことを決めた」という部分…ヤッチマッタナー。熱さだけで突っ走る吉之助が延々と斉彬に直訴状を送り続けていたというのはまぁいい。これくらいの主人公補正はよくあるし、第2回で赤山先生が斉彬に吉之助のこと伝えてたから、斉彬が手紙を律儀に読んだとしてもまだ納得できる。ただ、その内容に「何から逃げているのか」ってあったのは正直「???」だった。斉彬って何かから逃げてるという設定だったの…?そしてその熱い想いに打たれて「薩摩の現状を知り、逃げているわけにはいかないと思い立った」というのはちょっと主人公補正を盛りすぎでは…?吉之助の手紙が届くなら、赤山先生や吉之助以外の下級武士からももっと大量に同じ内容の手紙が届いていてもいいと思うし、そういう方が多くの者から支持されてる感が出たんじゃなかろうか。たった一人の熱い信者の言葉にホイホイ乗っちゃう斉彬に見えて辛かった。

それから、斉彬が斉興と自分を同類として「小心者、卑怯者」って卑下するセリフがあったんだけど、これまでの4話ではずっとむりやり「斉彬がいかに下級武士から英雄視されているか」を見せられ続けてきたし、阿部正弘に対して密貿易のこといきなりチクったり結構思い切りのいい(でも先の見通しはあまり見えていなそうな)姿の印象が強くて、いきなり「小心者、卑怯者」と自虐されてもただのイヤミにしか聞こえなかったんだよな。この卑下の言葉は多分紀行でやってた斉興が斉彬を評したという言葉から引っ張ってきてると思うんだけど、こういう決めゼリフとして使うのであれば、もっと前に視聴者にも斉彬が「小心者、卑怯者」と思われかねない描写を入れて、斉興がそう思うのも当然という人物設定にして、その上でそれを克服してこの時「藩主斉彬」が誕生するって流れにすれば良かったのに…。考えてみたら、久光の方が「小心者、卑怯者」って言われそうなキャラ設定だし、それなのに何故かチャーミングで好感度しかないし、何かいろいろ配分を間違えているのでは…?

最後の「子は宝だ」はお約束のセリフ回収なんだけど、いくら宝だとは言えお辞儀もせずに藩主の顔を見たがる子供の描写はちょっとやり過ぎというか。薩摩っぽくないけどそれはそれでいいのか。「新しい藩主はこんな顔だ、よろしく頼む」ってアンタ…気さくな社長が平社員に声かけてるんじゃないんだから…などと様々なツッコミをしつつ、楽しく第4回を見終えたのだった。

ツッコミどころ多すぎるし、不満も多いけど、だからといって腹が立つというところまでは行かない。原作?脚本?が弱いなーとは思うけど、今のところツッコミそのものがまだ楽しめているし、何より絵作り?構図?が好きなのでしばらく見続けるつもり。いつまで保つかなぁ~?

西郷どん 第3回「子どもは国の宝」

吉之助に(具体的には言えないけれどなんか良くわからないオーラを感じて)お金を貸してくれる豪商ワロタwww別にいいんだけどもうちょっとそれらしいエピソードにしてあげればいいのに!そしてお金を借りられて気が大きくなって一俵まるまる下働き一家にあげちゃうエピソードを見て、こういうののバランスが超気になる小姑視聴者は「そんな無駄遣いを…今後の収入予定とか支出計画とかそういうのをちゃんと立ててる描写とかさぁ…」とハラハラしてしまうのであった。そういう風に見るドラマじゃないことは承知してる。

今回は調所さんと斉彬の対立エピソードが大河っぽい部分だったんだと思う。調所さんと言うと『篤姫平幹二朗さんの演技が印象的過ぎて、誰が演技しても二番煎じになっちゃうのツラいな。竜雷太さんの調所さんも、斉彬に対する愛着は持ちつつ斉興への忠誠を崩さない姿勢が見事だったけど、願わくばそこまで斉興に尽くす根底の部分の説明がもうちょっと欲しかったよね…雪のシーンはちょっと画面を作りすぎな気になったけど、雪の日に毒を飲んで自害というのが調所広郷というキャラの根幹なのだろうから仕方ないのかも。

それよりも気になったのが藤木直人の阿部某なんだけど「そなたが立つのを待っておった」って…その入れこみようは何故…?勝手に信頼できるいい人っぽくされてるんだけど、そもそも斉彬が自分の藩の密貿易を幕府に告げ口することの意義が良くわからなくて、どういう思惑で動いてるのかわからなくて混乱した。なんとなく制作者側は斉彬を正しいと見せたいんだろうなっていう意図は伝わってくるんだけど、そういう雰囲気だけじゃなくて、物語中のエピソードで納得したいんだけど、そういうのはどうやらなさそうだなって諦めるモードに入った。表面上うっすらとしか描かれないものは、多分うっすらとしか意図されてないっぽい。

副題の「子どもは国の宝」は中村半次郎エピソードをメインと捕らえるといいのだろうか。脱藩するしかないほどに困窮する下級武士という制度問題に悩む吉之助という題材は悪くなさげなのに、解決策が「赤山先生にお願いする」というのは…どうなんだろう…お前は困っている人が10人いたら10人分頼むのか…?吉之助の安直さ、愚直さを表しているというならそれでいいけど、愚直一本槍でどこまで引っ張るつもりなのだろう…心配。

西郷どん 第2回「立派なお侍」

今週から小吉は吉之助となり、鈴木亮平さんにバトンタッチ。改めてオープニングをよく見てみたら、小吉と吉之助が一緒に画面に映ってる~!メイキングっぽいこういう雰囲気のOPいいなぁ~。なんて言うか、遊び心って感じで結構好き。音楽も映像とピッタリ合っていてわくわくする。ちょっとアメリカ横断ウルトラクイズ的なノリノリさがあるなぁって思ったり。

吉之助の人となりが、人情一直線&後先考えない無鉄砲&己の信念にとことん頑なという、結構苦手なタイプで苦笑するしかない。この人物像を「誰からも愛された」を推して描くと花燃ゆ路線になりそうだけど大丈夫だろうか…?(そこはかとない不安)ただ、西郷隆盛という人物の魅力はこの「人情一直線&後先考えない無鉄砲&己の信念にとことん頑な」という部分に凝縮されている気もするから、だからこそ不器用で融通きかなくていろいろ間違って、それゆえに人に慕われて西南戦争に取り込まれていったという流れで見せるなら、それはそれで面白そうかも、と思う。

今回は農民であるふき一家との交流が中心に描かれていたけど、ふきを人買いから助けるためにその場しのぎで自分の給料を差し出すという行為がどうにも納得がいかず、モヤモヤする心を持て余す。いや、冷静に考えるとエピソード自体は、「ふきを一時助ける→根本的な解決にはならないから定免法から検見法への変更を上申→意気揚々と検見法を試すが農民の隠し田が発覚して困惑→どうにもできずに最終的にふきは売られる」という、正義感だけでは通用しない世の中をキッチリ見せているし、その中で吉之助の未熟さを肯定的に見せる見事な構成だったと思う。思うのにどうしてこんなにモヤモヤしちゃうのかなぁ…?自分の見方に偏見があるのかもしれない。もうちょっとフラットな視点で見たい。

大久保正助から糸への恋心と、糸から吉之助への恋心が早いけど、これはこれでまぁいいんだろうな、わかりやすさも含めて。ただ、個人的に正助の執着は吉之助に向いている方が面白いんじゃないかなぁと思うんだけど…でも今後変わっていくであろう関係性なので、とりあえず保留。

いろいろ保留しつつ見続ける。

西郷どん 第1回「薩摩のやっせんぼ」

大河の第1回って制作者の気合いが入りまくってるので多分かなり面白そうに見える傾向があると思うんだけど、それを差し引いて見ても映像が素晴らしく美しかったし、とりあえず物語が破綻してなかったので良かった。なんとなく毎週楽しみにするレベルまではいかない予感がするんだけど、とりあえず追いかけられるうちは追いかけたい。

一緒に勉強したい女子(糸ちゃん)が男のフリをしていたのがバレた時、小吉がヘンに先進的に女性解放論者みたいなことを言い出さず、むしろ「嘘はいかん…」って弱々しく諫めた言い方が良かった!とても良かった!願わくばあの路線で行って欲しい(けどその後女装して歩いてたのでなんかそっちじゃない的な…このあたりまだ様子見)

子役の演技が見事だった。小吉役は渡辺蒼くんという役者さんらしい。これが(メイクとかの影響もあるんだろうけど)明らかに「これは鈴木亮平になりますわ!」って雰囲気オーラがダダ漏れで、演技や見せ方上手いなぁってしみじみと唸る。小吉だけじゃなくて子供がみんな上手くて本当にびっくりする。人間て進化する生き物なんだなぁ…(主語が壮大すぎ)

ちょっとひっかかってるのは、小吉が肩に刀傷を受けたエピソード。身分が上でありながら下手に出るというなかなかあざとい技で無罪放免となり、思いっきりニヤついてたけど、今後もこの人と小競り合いしていくんだろうか?極端な悪者を出して相対的に主人公をいい人にするやり方ってどうも空きになれないので、そうならないことを祈りたい。主人公が意味不明にまわりからヨイショされる話になりませんように…!

  • ケンワタナベが馬を後ろにバックさせたの見て「すっげ!なんか馬を操ってる感じする!」って興奮した。
  • 身分がそれほど高くない子供主人公が聡明なる主君に実際に会って感動して忠誠を誓うってよく見る展開だな~って思ったけど、近いところでは八重でも見たからかも。定番ではある。

おんな城主直虎 第50回「石を継ぐ者」

アバンの後に普通にオープニングが始まって、ふと今年は映画みたいなエンドロール流れる大河じゃないんだなぁって思った。最後までキッチリ大河ドラマしてくれてるみたいで、これはこれで嬉しいかも。壮大なエンドロールも特別感あって大好きだけど。あと政次と直親が(回想)無しでクレジットされてにわかにソワソワし始める。スリーショットが久々に拝めるのか!?子役の鶴亀おとわもクレジット。そして龍雲丸の子役!何があるの~!?クレジットの役者の順番とか、ピンとか並びとか、映像のどのシーンでこの人が出てくるとか、OPを見るだけで楽しいとか、私も立派な大河オタクになったものよ…思えばこういう大河ドラマの見方を覚えたのは清盛だったなぁ。とにかく私にとっての大河目覚めは清盛であった…懐かしい。と何故か過去に思いを馳せるOPだった。

 

堺での龍雲丸との二度目の別れ。「一緒に(南蛮に)来ますかい」という頭のセリフが切ない。おとわが絶対にイエスと言わないことはわかりすぎる程にわかっている。それでもあえて口にするのは未練を断ち切るためか、それともおとわに己の決意を自覚させるという意味もあるのかな。前回よりも遥かに屈託なさそうに水筒を餞別に渡す直虎のなんと潔いこと。それでも別れ際に「先に死ぬなよ」という昔の約束を繰り返すところがニクい。その約束は覚えてたんだね!この前一緒に思い出しただけかもしれないけど!寂しさがほんの少し滲む龍雲丸の笑顔が「これぞ龍雲丸」って感じの表情でステキだった。柳楽優弥さん、ありがとうございました!あなたの龍雲丸がドストライクに好みでした!これからも時代劇での活躍を期待しています!!

 

井伊谷で問題となっているのは、明智の子供である自然。始末してしまいたい徳川(於大の方)VS絶対生かそうとする井伊(直虎)ファイッ!ここで一瞬「どうしてこんな場所までわざわざ於大の方が!?」と思ってしまったのだけど、作劇を考えたら仕方ないよなぁと納得。ここは何としても於大の方と直虎のやり取りを見せたいわけで、場面を徳川にすることが話の流れ上不可能ならば、於大の方に井伊に出張願うのは仕方ない。こういうのこそご都合主義な場面ではあると思うんだけど、それをプラスの意味で「ドラマだもんなぁ」って納得できるのはこれまでの信頼の積み重ねがあるからこそだよなぁ。つまらないドラマだったら絶対文句言ってると思うもん。この場面、自然は直虎&井伊の民にとってはこれまで救えなかった命の象徴でもあるんだろうなぁ。それを今回全力で救おうとすることで、力及ばなかった過去に対する自らの救済って意味もあるのかなぁ。

 

家を守る母の化身である於大の方と、母にはならなかった直虎という対比も面白かった。於大の方は、寿桂尼様の代理でもあるのかも。言葉の重さに寿桂尼様を思い出してしまった。直虎は(多分龍雲丸の妻にはなったけど)この時代の武家の女性としての役割は果たさなかったわけで、そんな彼女が自然とのシーンではほのかに母性を感じさせるのが面白かった。ここでもやっぱり、多様な生き方が肯定されている気もした。織田家臣に対するハッタリ劇場(六三が貰った茶碗!ここへの伏線もあったのか!)の後に「織田の遺児をどうぞよろしく」って言った於大の方の身の引き方が美しいよなぁと。この人だって、生かせるものなら生かしたいんだよね、母だもんね…見事なシーンだった。


そして直虎の不吉な咳…床に伏した直虎が「これまで見送るばかりで、この世に未練などないと思っていた。でも今は生きたい」って言ったことに感慨を覚えた。これまで与えられる状況に振り回されてばかりだった直虎の人生の中で、「徳川に天下を取らせる」というのは、直虎が初めて自分から目指した将来の展望だったかもしれない。幼いおとわの姿で「まだこれから先があるのだ」って現世に戻ろうとしたのも応援してあげたかった。でも、自分が生きて見られなくても、意思は繋がっていくっていう亀の言葉は、確かにこの作品の根幹だったよなぁ。だから、あの時点で世を去ることになっても、確かに直虎は多少残念だったかもしれないけど、後悔とかはなかっただろうって思えた。微笑みながら井戸端で事切れた姿は美しかった。昊天さんが最後まで「次郎」って呼びかけてくれるのがもう…なんか感動してしまって…!

 

そして龍雲丸(子役)~!あんた武家の子でしょう~!?子供時代はその格好じゃないよね~!?と頭でツッコみつつ、わかる…わかるよ…龍雲丸の魂はやっぱりあの格好だよね…と心で大喝采を送る。「今度は一緒に行ける」と嬉しそうに言う龍雲丸とおとわに「よかったねぇ」って思いつつ、心のどこかで鶴亀おとわの三人の中に龍雲丸入れるって結構鬼だなって思ったのも確かだったりする。いや、あれが魂の映像化だっていうのはわかってるので、もちろん鶴も亀もおとわの伴侶たる龍雲丸を受け入れてるだろうけどさ。ていうか、龍雲丸は直虎の伴侶と言うより、別の面…二人で一つ的なものなのかな。森下さんのそういうインタビューを前見た気がする。その時はあまりピンと来なかったけど、ここまで見てきてなんとなく「そうだったのかなぁ」ってすんなり思えたかもしれない。直親は丘の上の王子様で、政次はベストオブ主従で、龍雲丸は別の性としての片割れだったのかも。


井戸をぐるりと4人で覗き込む映像、良かったなぁ。そしてその後に難破した船と赤と青の水筒…うわぁぁ、なんとなくぼんやりと龍雲丸は死んだのかなぁって思ってたけど、こうやってきっちり描かれると結構ショックだな。龍雲丸は風の吹くまま気の向くまま、いつまでも爽快に生きていてくれるような気がしていた。でも創作上の人物らしく、直虎の退場と共にその役目を終えたってことなのかも。そういう意味でも、直虎と龍雲丸は一蓮托生だったんだな~。

 

直虎の葬儀。昊天さんと傑山さんの読経が声が途切れ途切れなのがとても胸を打った。小さい頃からその成長を見守ってきたおとわ(次郎)の生涯を思い起こすと、自然と声が詰まっただろうなぁ。でもそれは無念さとかではなく、きっと猛烈に寂しかっただけなんだよね。あとは「良くやったね」っていう賞賛の気持ちも大きかったのかもしれない。そして南渓和尚が…初回で既に老人にも見えた(でも今見るとやっぱり若いんだよね!面白い!)南渓和尚が、最終回で直虎を見送ってくれるのなんかジーンとする。そして南渓和尚はとことんこうやって見送る人なのだなぁと思うと、それもまた切ない感情がわき上がる。南渓和尚、すごく人間くさい和尚で良かった。設定だけなら先の先まで読む黒幕和尚とかにも出来てしまいそうなのに、あくまでも小細工程度の悪知恵を働かせる(近藤家のご本尊の盗難騒ぎw)程度の凡人で、結局荒波に右往左往させられていた姿が感慨深い。等身大の年長者って立ち位置なのがすごくしんみりして良かったと思う。

 

井伊の隠し里(全然隠れた雰囲気のない開けた見事な棚田!)での、明るくのどかな直虎の埋葬シーンも見事だったな~。直虎の人生を象徴するかのように、明るい、未来へ続くようなお葬式だった。そして多分ドローンを使っているであろう空撮が美しいのなんのって!守り人でもよく使われてるけど、ドローンによる撮影は映像表現を豊かにしたよなぁと思う。なんかカメラワークが軽やかな気がするんだよな。井伊谷美しかった!

 

直虎の死を知った後の万千代の茫然自失の姿は痛々しかった。菅田将暉さんに変わってから最初ずっと二人は反発しあっていて、ここ数回で急速にわかり合ってもう一度同じ未来を見るもの同士となったのだけど、明確な和解としては描かれず、お互いに「言わなくてもわかる」っていう確執の飲み込みだったように思う。だからこそ、万千代の中には「これからだ」という思いがあったはずで、唐突に訪れた直虎の死は大きな喪失感と多くの後悔を運んできたんじゃなかろうか。それを「意思を(石を)継ぐ」という決意で前向きに乗り越えるという、骨太のテーマが素晴らしかったよぉ~。

 

潰れた家の子だからこそ出来る交渉術。まぁちょっとうまく行きすぎ感はあったけど、ここはその試練を書くべき場面じゃないってことだろう。いわゆるこれまでの流れの答え合わせ的な、総決算的な、ユキロック+万千代万福のサービスショットだった。むしろメインはその褒美としての元服なわけで…そういえば殿自ら豆狸として海老で鯛を釣る踊りを踊っちゃう徳川やっぱり素晴らしすぎる。徳川家臣団のスピンオフを是非に!是非に!!そして酔いつぶれて万福に抱えられる万千代…聞き取れない万千代の言葉を翻訳する万福…正にサービスショット…あんたたちはなんでそうやって…可愛い…尊い…。あと今年ある意味一番美味しい役だった氏真!カッコいいよ氏真ぼったま!さすがの朗々とした歌に聴き惚れた!

 

元服の時の「直政」の名前の披露。万千代の感激以上に万福の表情が良かったよぉ~;;自分にとっての優しい叔父を信じたくて、でも完全に信じ切ることが出来ない時期もあって、それをおそらくずっと後悔してたであろう亥之助。自らを逆臣の出だと晒しながら万千代と二人三脚で進んできて、万千代の元服という晴れ舞台に、逆臣の代名詞であった政次の名を冠した「直政」の名前を目にした時の感動はいかばかりだっただろう。万千代よりも万福に「よかったねぇ」って言いたくなってしまった…。直虎の名前は南渓和尚発案の命名だったっていうのはすごくいいなぁ。二人を連理の枝と形容した南渓和尚だからこそ、こうやって目に見える形で政次の功績を残したかったんだろうね。

 

和睦の報償として賜った家臣団。最後まで「わたしは?わたしは??」って顔芸を仕込んでくる方久にめっちゃ笑った。ムロツヨシ強い。武田の赤揃えは去年の真田の鎧の使い回しかなぁ?菅田将暉さんで直政の物語が見たい。十年後くらいに森下さん脚本で戻ってこないかな~?と期待しておく。

 

ここまで政次役の高橋一生と直親役の三浦春馬が全然出てきてないことが気になってくる。え、最後に出てくるの?清盛的な?って思ってたら、まさかの!まさかの!背景的扱いの出演!!笑顔の一つも見せないのかよ!潔いな!!

 

最後はにゃーん!というにゃんけい様の泣き声で終了。大変素晴らしいラストでございました。

 

あー良かった。最終回すごく良かった。何が良かったって、直虎が…おとわが幸せそうに未来を見据えてその生を終えたのが良かった。そして、最終的に直虎が何か大きなことを成し遂げたという人物じゃないというのが、一年かけて描かれたんだなぁとしみじみと思えたというのが何よりも良かった。大きな手柄を立てたり、歴史に名を残したり、そういうことがなくても、人間は自分の手の届く範囲で懸命に生きることが出来るし、そうすることで充実した人生となるんだと言われてるような気がした。ごちそうさんでもそう思ったんだよなぁ。森下さんの人間に対する温かいまなざしを感じた。すごくじんわりと幸せになった。

 

おんな城主直虎 第49回「本能寺が変」

相変わらず面白かったけど最終回1回前らしく全てが駆け足な印象だったかなぁ。もっとじっくり見たかった内容だったかも。


最後の最後でノッブのデレを入れてくる森下脚本マジで鬼畜。これまで全く本心を見せずに瀬名と信康の命を奪い、家康暗殺疑惑まで持ち上がる展開の中でほんのわずかに挿入された「家康のために器を選んでやる姿」が効きまくってた。あの真意が不明すぎて引きつり笑いするしかなかったノッブの配膳が、本当に心からのオモテナシだったことが後からわかるこの演出の上手さよ!そして壮絶な気持ちのすれ違いがしんどい~!


でも、これって瀬名と信康の処分も忖度だったって意味じゃないよね?違うよね?ノッブは基本鬼畜思考で、瀬名と信康を差し出してまで舎弟としての誠意を見せた家康をようやく身内として信用したからデレた(でも家康は別にそこまでノッブに心酔してるわけではなく、ただ恐れてるだけ)ってことでいいんだよね?そしてその信用を光秀が利用して本能寺したって解釈はアリだよね?これで一応スジ通ってるよね?

 

光秀の謀反の事情がイマイチわからないままで残念だったけど、それはこの話の本筋じゃないから仕方ないよなぁ。数少ない光秀エピソードの中で氏真くんと歌合わせするような教養人であり、白髪の苦労人であり、おみくじで大吉出るまで振っちゃうようなお茶目な人であり、って積み上げてくるの本当に上手かった。

 

お頭の再登場~!明らかに再会を喜んでる龍雲丸に対して、おとわの無頓着さに苦笑するしかない。「会いに来てくれたのか」って言う龍雲丸に、いきなり笑顔満面で「頼みがあるのだ」とビジネスライクに悪びれないおとわの通常運転。中村屋もそりゃーずっこけますわ。あ、子供たちに「しぃ~」ってする中村屋がめっちゃ可愛かった!

 

拗ねまくって「異人と添え」という無茶振りしたのに、意外にもあっさり了承されてしまい、ヤキモキしてギリギリで吹き矢で助けたら「頭は助けてくれると思ってた」って笑顔で言われちゃう龍雲丸に(笑いながら)深く同情するしかない。自分でも薬で対策しつつ、それでも頭の助けを信じてたという直虎の無邪気さは、龍雲丸という人間の本質を的確に理解しているということの表れでもあるよなぁ~。まぁ、約束はホイホイと忘れちゃうわけですけども!(笑)この約束忘れてたエピソードは意外だったけど、改めて考えると直虎らしいなぁ~って思った。彼女が「おとわ」だったら忘れないかもしれないけど、「直虎」ならばそんなこと思い出す間もない程やること多いもんなぁ。何より今は「戦をなくす戦」の真っ最中なわけで。それにしても、龍雲丸はあの別れの際の言葉をずっと胸に秘めて9年間生きてきたわけだよな。なんというヒロイン力!

 

そして龍雲丸の「勝てねぇ~」というボヤキが何より良かった!あの「勝てねぇ~」は柳楽優弥の真骨頂だった!あの朴念仁(w)のおとわに心底惚れていて、改めて自分が惚れたのはこういう人間だったと諦めが突き抜けたようなあの「勝てねぇ~」は素晴らしかったよ~!あの言い方があったからこそ、おとわはこれでこそおとわなんだと私も心底思えたので、あのセリフは本当に良かった…!!


徳川家臣団の伊賀越え劇場、超面白かったw 学芸会みたいな「切腹するぞー(棒)」「やめてくだされー(棒)」を間近で見せられた穴雪さんの困惑を想像すると笑いしか出てこない。そしてノブの「夜盗に襲われなければいいのですが」×2!怖い!このノブめっちゃ怖い!!去年のノブが真っ白く見えるほどに今年のノブは怖いぞ~。今年のノブって何だ。そういえばtwitterとかで「今年の伊賀越えは~」というフレーズめっちゃ見たけど、「今年の伊賀越え」って言い回しも可笑しいよなぁ。こうやって去年と比べてもどっちもいいなぁって思えることが何と幸せなことか。

おんな城主直虎 第48回「信長、浜松来たいってよ」

秀逸すぎるサブタイ

 

駿河仕置き祝いの酒席で万千代の酒癖の悪さが判明。「織田の嫡男の首を差し出させろ」とか結構キワドイこと言ってて(笑いどころなんだけど)意外とヒヤヒヤするというか。織田に対しても完全に不敬だし、家康に対しても傷抉りすぎじゃね?っていう。それを「飲み過ぎじゃの」って面倒くさそうにあしらう家康は優しい上司だよな~。万千代の絡み酒が酷くなってくると、みんなが万福に「何とかしろ」って押しつけるのめっちゃ笑った。完全にお世話係w そして見事な足払いと組み伏せ。きっと同じようなことを何度も繰り返してきているんだろうな~。信長が帰った後の宴で、万千代が「これでいいのか?」って言い出した時に、忠次がいかにも面倒くさそうに「万千代に飲ませるなって言っただろ」って言うのに対して、万福が「飲ませておりません!」って言い返すのも良かった!徳川家臣団楽しいよ~このままずっと見ていたいよ~

 

信長に宴会要員として覚えられている氏真ぼったまに笑う。そして何故か直之が相撲巡業メンバーに入っててさらに笑う。でもこの場の氏真の表情の動きが見事だった。桶狭間の仇である信長と家康に対して、武田討伐に関してのお礼を言う氏真…彼なりの戦いがここにある…んだろうなぁ。今川家という大きな重圧がなくなった今だからこそできる戦い方なんだろう。

 

予告で光秀が誰かに対して「共に信長を殺しましょうぞ」って言ってるシーンあったので、相手が誰かって思ってたけど、氏真かぁ!!まさかここで以前氏真が「人にはそれぞれの戦い方がある」って言ってた伏線回収するとはなぁ。それにしても、光秀が信長を裏切る理由が全然見えないのは意図的なのかなぁ。「あの血も涙もない男が」って言ってたけど、この作品の信長って確かに何を考えているのかは全然わからなくて不気味だけど、血も涙もないと言われるとちょっと違和感ある。光秀側にも何かドラマがあったんだろうなとは思えるけど、そのドラマまで(多分尺も足りなくて)描けてない感じはするな~。