おんな城主直虎 第38回「井伊を共に去りぬ」

風と共に去りぬ」ってことは龍雲丸は去り、おとわは残るってことだよなぁ。
 
氏真の笙の音が寿桂尼様を呼び寄せたのか…そうか…信玄の死因は寿桂尼様の呪いだったんだな…納得。これ、氏真が必死で召喚したんじゃなくて、本人は徳川陣営でのほほんと「おばば様がなんとかしてくれるかもしれぬのぅ」とかお花畑風に言ってたのが笑える。それにしても氏真は前にも瀕死の寿桂尼様を呼び戻してるし、天然のネクロマンサーなんじゃなかろうか。もうすっかり癒し要員として定着した感のある氏真さん、今後の活躍も期待しております。
 
マツケンの信玄公、とにかくビジュアルが一発芸っぽくて見るたびにコメディかって感じだったんだけど、それでもやっぱり出てくると画面が引き締まるんだよなぁ。あのビジュアルなのに南渓和尚と甲斐の国について語ってるシーンとかめっちゃカリスマ感じるもんなぁ。時代劇役者の面目躍如って感じだ。物語内では武田は災厄の同義語みたいな使われ方してるんだけど、実際に演技見るとすごくチャーミングなのもギャップが面白かった。寿桂尼様にとことん苦しめられてるあたりも愛嬌あった。でも厄災だけど。
 
龍雲丸とおとわの別れ。おとわは多少井伊に心残りはあれど龍雲丸と生きていく覚悟を決めていて、村のみんなもおとわを特に引き留めようとしてなくて、龍雲丸だけが「領主としてのおとわの生き方」を諦めきれないっていう描き方がめっちゃ少女漫画だなぁ~。個人的には龍雲丸の「残れ」って言葉にこれ幸いと一度で素直に従うんじゃなくて、「頭と一緒に生きていきたい」っていう女としての願望を泣きじゃくって訴えたのが良かったなぁと。そういう平凡な願望も持っているおとわが、他でもないその龍雲丸に「残れ」って言われて覚悟を決める展開がキュンとするよなぁって。辛い決断を後押しする時に「俺のためにそう生きて欲しい」って言うのが多分私の萌えツボなんだけど、これはあれだ。尚之助が八重に東京で会って「前を向いて進め」って言うのと同じだ。ブレてないな。そしておとわが結局一緒に行くのを断念したのは、もちろん井伊が気がかりだったというのはあるんだろうけど、龍雲丸の望む生き方をしたいっていうのもあるんじゃないかなぁと思った。
 
ただ、正直この展開なら龍雲丸がおとわの側に残ればいいんじゃないの?って思ってしまう部分もあったんだよなぁ。多分龍雲丸にとっては井伊に留まることは苦痛なんだろうってことはわかるけど、おとわと別々に生きることもやむなしと思った根拠みたいなのが弱かったように思う。そのあたりをもう少しでも掘り下げてくれたら更に良かったのに。おとわが井伊に残ることについてはすごく納得いったんだけど、龍雲丸の心情がいまいちピンとこなくて、そこだけは消化不良。おとわと離れることが龍雲丸にとっても大事なことなんだってわかる描写があれば、もう少し納得いったと思うんだけどなぁ~。そこはちょっと残念。
 
虎松~!菅田将暉さんのリアクションが、寺田心くんの虎松が成長してる姿っていうのに本当にしっくり馴染んでて、そこに三浦春馬さんの直親遺伝子が受け継がれてる感もありありとしてて、もちろんメイクとか演出とかの効果もあるんだろうけど、すっげ~~~!って笑っちゃうくらいにハマってた。「松下虎松」って名乗った時におとわが一瞬戸惑うのとか、わかってて煽ってる感がすごい。あんな一瞬のシーンなのに、一筋縄ではいかない子に成長してしまった感が溢れ出てるのマジすごい。そして龍雲丸OUT、直政INの切り替え感に苦笑せざるを得ない。何もこんなわかりやすく入れ替えしなくても…^^;;;;;

おんな城主直虎 第37回「武田が来たりて火を放つ」

柴咲コウさん美しい~~~~!これまでで一番直虎が美しかった回は直之のフリして今川屋敷に乗り込んだ男装回(第15回)だと思ってたんだけど、今回はそれに負けないくらい美しかった~!農民としてのほつれた髪とか粗末な衣装とか、何よりも鎧姿とか、とにかく柴咲コウさんの美しさをこれでもかって引き立てる絵ばかりで眼福だった~。これまで散々「その髪型はどうよ?」っていう禿ヘア(っていうの?)だった不満(てほどでもないけど)が一気に晴れた!
 
あやめの嫁ぎ先。あれから何年経ってるのか知らんが(おとわの馴染み具合を見れば、1年くらいは優に過ぎてると思われる)まだ嫁ぎ先を面倒見てあげてないの、さすがにどうなの?って思ったけど、まぁこういう結論にするためだったと言われれば納得せざるを得ない。刺繍の腕を見て「金になる!」って思ったからこその求婚ってことでいいんだと思うけど、気になったのは何故ひとっ飛びで結婚という結論に到達したのかなんだよなぁ。誰かの妻になったら簡単に刺繍を依頼することができなくなるから先に確保ってこと…じゃないよなぁ?金になる技術を持った女性を自らの妻としたいという方久なりの愛の形と見るべきなのか。文脈的には愛の形…なんだろうなぁと思うんだけど、ちょっとわかりにくいような気も。
 
直虎…じゃなくておとわと龍雲丸は完全に夫婦みたいに暮らしてるけど、おとわは龍雲丸のことをいまだに「頭」って呼んでるんだよなぁ。これ結構ショックだったかも。普通に肉体関係もありそうなのに、どうして名前を呼ばないんだろう?龍雲丸は「とわ」って呼んでるのにね。二人の距離感を出しておくための演出なのかなぁ。元龍雲党の女の子との邂逅を浮気と勘違いしてヤキモチ焼いて長芋を振り回すおとわはめっちゃ可愛いし恋女房って感じなのに、どこか龍雲丸が気を使っているところ、おとわもどこか空疎に見えるところ、小さい小さい違和感を積み重ねて「この時間はつかの間の休息である」って感じさせるための手法の一つなのかもしれない。でもそれにしてもおとわの髪を梳く龍雲丸の構図、めっちゃ色っぽくてめっちゃときめいた!また柳楽優弥さんの龍雲丸の年齢の重ね方がめちゃめちゃ好みなんだよなぁ。昔に比べて落ち着きを感じさせつつ、「但馬様は生き返らない」とか憎まれ口を欠かさないあたりとか、真っ当に屈折したまま成長した感じがたまらん。
 
堺に行くという龍雲丸について行くかどうか。おとわの「井伊を出て一人幸せになるなんて許されない」って言い方がおとわらしい。龍雲丸と新しい土地に行くことを「幸せ」だと感じつつ、飛びつくことの出来ない律儀さ。でも律儀さにかこつけて、本心では井伊への未練もあるんだろうなぁ。そういう(人間であるがゆえの当たり前の)ズルい面をこうやって自然と愛らしく表現出来るのは脚本と演技あってこそだよなぁ。ごちそうさんでも、め以子の人間として誰もが持っている狡さを愛らしさで化粧して見事に描いていたものな。こう言うとこホント好き。
 
祐椿尼とおとわの会話。「孫が見たい」という言葉で堺行きを後押しする母上優しい。あくまで領主としての責任を背負い込もうとするおとわに「一人の女性としての幸せ」を望んでいいんだって言ってるんだよな。それでおとわは一旦堺行きを決意するんだけど、見ながらこれは翻される決意なんだよなってわかるのがまた切ない…。こうやっていずれ
 
武田侵攻と徳川勢。徳川は癒し。それにしても今回思いっきりコメディに振ってたな~。武田に乗り換えようとした直後に織田からの援軍到着しちゃうのめっちゃ笑った。そこから破れかぶれで三方ヶ原の戦になだれ込み、戦闘シーン皆無のまま敗走。早っ!負けるの早っ!!
 
攻めてきた武田に対して井伊がどう対応するかというと、逃散!まさかここで第14回が伏線だったことが判明するとは…「井伊の百姓は昔から逃散してたから」ってスゲェ伏線だなオイ!近藤殿が「あのアマが~」って乗り込んでくるのめっちゃ笑った。前回それなりに井伊に対して譲歩してたけど、やっぱり本心ではいけ好かねぇって思ってるんだよな。でも普段はそういう気持ちをちゃんと抑えて領主してるんだろうな。かわいいやつだ。って思えるこの展開がまずすごい。政次を死に追いやった張本人なのに、ここまで好感度を回復してくるのホントすごい。見事。
 
井伊谷の落城。高瀬の間者説は「まぁそうよね」って感じだったけど、意外と裏の無いアッサリした展開だったなぁという印象。イヤイヤながらも武田に従わざるをえないという見せ方だったと思うけど、「従わざるを得ない」の部分がちょっと弱い気がしたかも。前の回で直之に「名前はなくとも自分は井伊の者だ」って明るく宣言してた彼女が実は間者だったというのは確かにドラマ性を感じるんだけど、その演出として山伏?の連絡役がいきなり出現したのが微妙だったかなぁ…なんつーか「これまでもこんな目立つ方法で連絡取ってたの!?」というツッコミどころ感というか。目に見えない(暗号だけとか)方法の方が得体の知れない感があって良かったような気もする。
 
そして今週の直之。鎧姿のおとわが立ち上がった時にサッと連携して近藤殿を人質に取る直之にマジ萌え。か、カッコいい…!今回は普通に当たり前のようにおとわを「殿」呼びするところとかもホントわかってるとしか言いようがない。でも無理に「殿」としての役割を押しつけたりはしてないんだよね。もう自然と呼んじゃうんだ、仕方ないんだ、みたいな感じなのが上手いよなぁって。おとわを殿だと思っているけど、殿ではいられない現状をきちんと受け入れてもいるんだよね。あのキャンキャン吠え立ててた直之が…と思うとホントその成長っぷりが頼もしい。

おんな城主直虎 第36回「井伊家最後の日」

瀬名姫と家康劇場。瀬名ちゃんが井伊のことで家康に詰め寄る時の言葉が「どうして井伊を見捨てたのか」じゃなくて「見捨てたままということはございませんな?」って言い方なのがすごく良かった。この時代、戦の流れによっては「一度は見捨てる」ってことがあり得ることだし、もう起こってしまったことを詰っても仕方ないっていう分別があるって描き方に見えて、瀬名ちゃんは気が強いけどちゃんとわきまえてる描写なの嬉しい。於大の方への対応も、上手くいってない感じとそれでもきちんと引き下がるところを知っている態度が、瀬名ちゃんの賢さをきちんと見せてくれてると思う。あ~~この夫婦のこの先も辛いんだよなぁ~~;;しんどい。

近藤殿の「クララが立った!」はネタ過ぎるだろ…w でもこのわずかのシーンで近藤殿の人となりがわかるの、とても上手い。憎しみだけで井伊を乗っ取ったんじゃないんだよね。たまたま木材泥棒の一件で下地があって、たまたま徳川の井伊侵攻でチャンスが出来ちゃったから、流れに乗ったまでで。実際に成し遂げた後には後ろめたさもあって(これは憎しみがあったからこそ感じる後ろめたさでもあるんだろう)、だからこそ井伊の家臣を召し抱えてもいいという申し出が出てくる。っていう流れがすんなりと理解できた。上手いよなぁ本当に。

そして包囲網のように松下からは虎松の養子縁組の話。井伊家の敗戦処理としては願ってもない状況がどんどん積みあがっていく。戦で死なずに済んだ者たちのうち、希望者はそのまま武士として新たな主に仕えて生計を立てていく目処が立ち、次期当主候補は(土地と名は違ってしまうけれど)領主となる道筋がつき、後は「井伊家を再興する」という名目だけを諦めればすべてうまくいきそうだというところまで追いつめられる。そして、面白いなぁと思ったのが、直虎は決して「井伊家を再興したい」という望みを自分自身で強く持っているわけじゃないんだよな。皆がそう望むから。そのために皆で頑張ってきたから。これまでの犠牲があまりに大きいから。「目指さなければならない」っていう思い込みで諦められなくなっている。そして、自分の中にもやっぱり「諦めてしまうのは悔しい」という気持ちもないわけではない。そういう複雑な直虎の心情がすごく伝わってくる。

それをリセットするきっかけになるのは、やっぱり龍雲丸なんだな~。「断っちまえばいいじゃねぇですか」「諦めちまえばいいじゃねぇですか」どっちも同じ程度の重さしか無いとでもいうように、どっちでも何とかなるとでもいうように。でも、そんなに簡単に放り出せることじゃないことも、知ってるんだろうな。でも龍雲丸はあくまでも直虎に別の考え方、別の道を指し示す役割を担っているだけで、運命の相手っていうのとは違う気がする。なんだろう、同じものを見てはいない感じというか。あと、リセットという考え方のきっかけは龍雲丸なんだけど、背中を押すのは龍雲丸じゃないというのがスイーツじゃないなぁって思うところ。ここ、萌えに走りたければいくらでも龍雲丸プッシュ出来るところなのに、しないんだよなぁ。

そして、直虎の背中を押して引導を渡すのは南渓和尚でした。南渓和尚の「そなたはようやった」って慰労の言葉に「ご期待に沿えず申し訳ありませんでした」って泣きじゃくる直虎のシーンは本当に切なかった…これまで期待されて望まれて、それを叶えることを「自分の望み」として生きてきた直虎ですら、この状況はどうしても無理だ手詰まりだと感じていて、それでも諦めることを自分一人では決断できないんだよな。でも南渓和尚が「それでいい」って言ってくれて、ようやくその重荷を下ろすことが出来たんだろうなぁ。悔しさも大きかっただろうけど、ホッとしてもいるんだろうなぁ。張り詰めた糸が切れたような鳴き声に胸が詰まった。

この、直虎の弱さをまっすぐに描くのが面白いところだよなぁと思う。自分自身で「井伊家再興を諦める」って決断をする人物に描くことだって当然出来るのに、あくまで「自分では決断出来ない」人間として描いちゃう。でも、昔の少女時代のおとわなら「絶対諦めない」って結論した気がするから、これはやっぱり直虎の成長あるいは変化なんだろうなぁ。虎松を説得するところも、過去の己の発言を撤回する流れだったし、がむしゃらで向こう見ずな過去の「おとわ」を、ここで一度脱ぎ捨てているように見える。これが前向きな変化なのか、挫折ゆえの低迷期としての描写なのか、まだ3か月あるのでじっくり見続けたい。

今週の直之。「所詮はおなごじゃな」って昔の言葉を言い放った後、「俺はそのおなごに一生ついていくつもりだったんだ」って絞り出すように続けた直之に泣いた。直之は直虎を崇めていた訳じゃない。女城主としての弱さ、頼りなさ、甘さ、全てを弱点としてきちんと受け入れた上で、自分が使えるべき相手として直虎を選んだんだよな~。そこはある意味対等な主従であって、だからこそのこのセリフだと思うとホント泣ける。あんなに小憎らしかった昔の「所詮はおなご」の言葉すら、こうやって伏線として回収してくるのすごい。

虎松の演技に相変わらずため息が出る。今の時代の子役スゲェ…。そして何やら悪巧みを始める南渓和尚…直虎を焚き付けるのを諦めたと思ったら、その矛先を虎松に向けるとか、ある意味一番腹黒くてしたたかだよ…誰よりもしぶとく井伊家に執着しているのは、実は南渓和尚なのかもしれないなぁ。虎松の新たな父上、どっかで見た顔だ…どこだっけ…と気になって、調べたら「ごちそうさん」の詐欺師!和枝ちゃんを騙した詐欺師じゃないか!!脚本家繋がりの配役なのかなぁ?面白いな、こういうの。

そして龍雲丸の妻問いシーンはめちゃくちゃ笑った!「名前を教えてもらえますかね?」「村と容姿がわかれば調べられると思うが」「かわされてるんですかね?」「何やら話が噛み合っていないようじゃな」「だいぶ」って言った後の直虎が(というか柴咲コウさんが)フッってしんどそうに笑うのが本当に絶妙のタイミングと演技で本当に大好きだ!プロポーズのシーンなのに、甘さの中に笑いを入れてくるの、本当に森下脚本らしくてニヤニヤが止まらない。ニヤニヤが止まらないのに、どこか甘さの中に空疎さが漂うプロポーズシーンでもあって、この先が順風満帆に幸せいっぱいとは行かないことを既に予告しているかのよう。

そして龍雲丸は「一緒にいる。とわを残して死なない」って言ってプロポーズしたけど、これ多分フラグなのかなぁ…個人的には(伴侶という体裁でなくても)龍雲丸は最後までとわを陰に日向に支えてあげて欲しいなって思うけど、そうならないってことなのかなぁ…どこまでも覚悟を求めてくる酷い脚本だよ!(誉めてる)

そして直虎はおとわにもどり、幸せに農民として暮らしましたとさ。めでたしめでたし。

ってところで北条氏康が亡くなり、マツケン信玄が「死におった♪ 死におった♪」とサンバ(違)を踊って事態は急展開する。次回「武田が来たりて火を放つ」ってサブタイトルが既にズルい!目が離せない!

おんな城主直虎 第35回「蘇えりし者たち」

よかった、さすがに三週連続での鬱展開はなかった。再生と復活の物語。

政次の死のショックで死人のようだった直虎が、気賀の惨状を知って飛び起きて走り出す姿に切ない力強さを感じる。ショック療法的な効果なんだろうけど、政次の死に対抗するショックとして気賀での虐殺って重すぎるだろ…でもそれくらいの衝撃じゃないとこちらの世界に戻ってくることは出来なかったのかもな。

たった一人でも生き残った者がいて、なんとか助けることが出来たという事実が、直虎を、南渓和尚を、そして方久を救った。絶望にうちひしがれる中での、小さなでも確実に身近にある希望がどれだけ支えになることか。そして龍雲丸にとっても、自分一人が悪運強く生き残ってしまったという事実に対して、直虎の「生きていてくれて良かった」という言葉がどれだけ許しを与えたことか。心に大きな傷を負いながらも生き残った者たちが、肩を寄せ合ってそれでも生きていく姿が力強かった。「ごちそうさん」でかっちゃんが死んだ後のめ以子の悲しみとその中でのあがきが、やっぱり同じテーマだったような。どんな絶望的な中でも人間は生きていけるし、生きようとしていいんだっていうメッセージに見えた。

全然関係ない…というか小さいことなんだけど、ああやって死体ばかりがゴロゴロとある戦場で、生存者を探すシーン。今回助かったのが龍雲丸だけっぽかったんだけど、こういう「一人だけが生き残る」ってエピソードって、傍から見てると「え、本当に一人だけ?大丈夫?みんな心音まで確認した?(龍雲丸みたいに)声出せないけど生きてる可能性ない!?」って心配になる。

直虎が龍雲丸に対して「勝ちとはなんであろうか」って独り言のように問いかけるのが印象的だった。城を追われ、政次は失ったものの、家の者はみんな生き延び、民百姓を戦に取られることもなく生きている井伊家と、家長を失ってまだ幼い跡継ぎが戦場へ赴かなければならない鈴木家、井伊を奪ったもののその後も戦にかり出されて怪我をして二度と馬に乗れない体となった近藤殿。奪われた者としての恨みはあるものの、奪った相手も必死で生き、そして苦しんでいる姿に憐れみを感じるというのがものすごい説得感あった。直虎と一緒に徐々に許す心を修得してく感じ。

氏真と家康の会談。戦時中の疲れ切っていい感じに乱れた氏真の髪とメイクが職人技。表情の演技も素晴らしい~。そして繰り返し描かれる家康の厭戦気質。直後の酒井との「武田が黙っていますかな?」の後の表情といい、こうやって徐々に家康も成長していく姿が描かれるのがいい。そして氏真のお坊ちゃんぷりがやっぱりいい。「蹴鞠で勝負を決めればいい」とか突拍子もないこと言い出したと思ったら、その後自分で「でもそうなると蹴鞠が上手い者を争ってやはり争いが起こる」って本質ついた発言させるのが素晴らしい~!物事の真理を見抜くことが出来る聡明さがありつつ、あるいはあるからこそ、戦国を生き抜く才覚には恵まれなかった氏真。でもこの後自分が得意とする雅な知識で生き抜いていけるんだから、この人も戦に負けて勝負に勝ってるよな~と。

龍雲丸、髪縛ったまま水被ってたけど、そういうものなの…?あれが当時の一般人の慣習なのか、髪型がカツラだから崩すわけにいかないという大人の事情なのかわからない…多分大人の事情だと思うんだけど確信が持てない…

方久。酒井のあの残虐な独断以降、右往左往し目の光が消え抜け殻のようだった方久が、昊天さんの薬調合を見て銭の匂いをかぎつける感じにニヤリとする。世を儚んで死んで行った者を弔うわけでもなく(先週の予告は明らかにそういうミスリードだったよね?)、銭のために薬を扱う、そのためには僧にならなければならない、という現実路線一直線の帰依に「さもありなん」と。でも「死の商人」を厭わなかった方久が、「生の商人」になろうとしているのが良かったな。方久は方久のフィールドで、今よりはマシな世界で金儲けすべく復活するのが微笑ましい。

口移しで薬を飲ませたのは南渓和尚だ、からの南渓和尚の過剰なスキンシップに思わず笑い転げる直虎と、その笑顔を嬉しそうに見守る寺の僧侶たちが愛おしい。そして隠し里で流行しているらしい「伝わりそうで伝わらない(?)但馬物真似選手権」が可笑しかった。これどこまで脚本にあったんだろう?そしてこの物真似選手権のこと、高橋一生さんは知ってるんだろうか?あのみんなの物真似が、メタ的に撮影しながらみんなで笑い合って撮ってる感じがして、すごくすごーくいいなぁって。

それまで誰も触れなかった政次の話を、ああやってみんなが「こんなだったね」って言いながら笑い合うのって、最高に「但馬が今の井伊を守っている」ことになるよなぁって。そしてなつさんの涙と笑顔が尊くてなぁ…なつさんは政次が井伊のために尽くしていたことを誰よりも近くで見てきた人なので、あれほど忌み嫌われていた政次が、死してこうして井伊の民の中に生きているのを見たら、そりゃー嬉しかろう。

昊天さんたくさん出てきて嬉しい~

おんな城主直虎 第34回「隠し港の龍雲丸」

前回の政次の最期はツラい面もあったけど、どちらかというとドラマとしての見せ方に半ば興奮気味に「すごいものを見た」と思ってたものだけど、今回は完全に痛めつけられた上での絶望しての「すごいものを見ちまった…」だった。ある意味、あの衝撃の33話をそっくりそのまま伏線にしたような今回の34話だったような…。脚本に「あんな甘っちょろい物語で悲劇を語るな。真の地獄を見せてやる」と言われた気分…(血反吐を吐きながら)

何がツラいって、龍雲党に代表される「気賀の民」の死の無慈悲な無意味さ。いや、意味はあるのか。今川(というか大沢)に対する見せしめという、徳川側にとっての意味は、まぁ確かにある。でもそれは死んでいく民にとっては何の救いでもないわけで…誰に、なぜ、何のために殺されるのか、きっと誰もわからないままだったに違いない。ただただ「そういう時代だから」と散っていく、散らされていく命に言葉も出ない。先週の政次の死は、これと対比させるための、あの過度に装飾された死だったのかもしれない…あの舞台演出のような不自然な死に様には「フィクションはこうやって見せ場を作れるけど、戦というのは本来人の命が軽々と無意味に失われていくものですよね」って現実を突きつける意味があったかのような。先週のドラマに無邪気に感動した己の甘さを痛感する…どうしてこんな脚本書けるんだろう…脱帽。

ただ死んで行く民ってだけでもSAN値をゴリゴリ削られるのに、あそこが堀川城でそこに龍雲丸がいるという容赦のなさよ。龍雲丸には城に対する不信とトラウマがあったわけじゃないですか。それを直虎が(今となってはちょっと甘っちょろい感じで)「それなら理想の城を作ればいいではないか!」とか無責任に言って、あの堀川城が出来たわけじゃないですか。通常のドラマだったら、龍雲丸がトラウマを克服すべく作ったこの城によって、民を守り逃がすことができた、みたいな痛快な展開が待っているはずじゃないですか。ドラマってそういうものじゃないですか。それが、逃げるための隠し港で、逆に乗り込んできた援軍(?)に皆殺しにされるこの展開どうよ…自分の作った城で仲間が死んでいくのを目の当たりにする龍雲丸…鬼か…森下脚本鬼過ぎないか…(何度目だこのセリフ)

今回の最大のヒール役、酒井忠次。演技があまりに悪役すぎて混乱したけど、歴史上では最後まで徳川忠臣だし、井伊直政とも関係性悪くなさそうだし、何故こんなに悪意向きだしの演技なんだろう?ってちょっと気になった。意味のない憎まれ役を作るとは思えないので、森下さん的に何か意味があるんだろうとは思うんだけど。家康のことを軽んじてるようにも見えたけど、そのあたりもなんか伏線になってるのかなぁ。

三人衆鈴木殿と南渓和尚のやり取り。ここもちょっと「ん?」て思ったとこだったな~。鈴木殿自身が「近藤殿を諫めることが出来なかった」と反省するのはまぁ「いい人なんだな」って思うんだけど、そこまで責任感じることかなぁって。記憶が混濁してる直虎を見て恐縮もしてたけど、鈴木殿にとって井伊ってそこまで配慮する相手なんだろうか?視聴者は政次の真の姿や直虎との絆を知っているからこそのショックだけど、鈴木殿にとっては政次は井伊家を狙う奸臣のはずで、直虎の気の病みようにそこまで同情するもんだろうかってちょっと疑問に思った。疑問というより、なんていうか取って付けた感?

あと、南渓和尚。政次の辞世の句をわざわざ届けてくれた相手に「但馬を生き返らせる術を」とか言っちゃうのは八つ当たりが過ぎるような?これが直虎の言葉ならまだわかるんだけど(直虎は感情的にそういうことを言いそうなキャラだし)、これまで昼行灯決め込んでた南渓和尚がいきなり怒りをあらわに言うのが超違和感あったんだよな。私がこれまでずっと南渓和尚のキャラを読み間違っていただけなのか。後藤隊長もキレる時はキレるって話なのか。感情が制御できないくらい、絶望が深いという表現なのかもしれないけど、こっちも取って付けた感がなきにしもあらず。

これ、鈴木殿がこんなに恐縮しきってすまなそうにしてる&南渓和尚が怒りを隠しきれずに鈴木殿に八つ当たりするのどっちか一つだったら、上手く消化できた気がする。違和感が二つぶつかって、見ていてなんとなく白々しいというか、描写がくどいというか、言い訳めいてるというか。

あ~~~龍雲党が(頭以外…だよね?)みんな死ぬなんて聞いてないよ~~~~!ショック大きすぎるよ~~~~!早く来週の展開を見たい。

・「殿の手にかかったなら」って静かに政次の死を受け入れるなつさんから漂う未亡人感…!
昊天さん祭り!そして傑山さんの相変わらずの二の腕!!

 

おんな城主直虎 第33回「嫌われ政次の一生」

ひっさびさに、見終わってため息しか出ない壮絶なドラマを見た。なんかとんでもないものを見た。見終わっても全然自分の中で咀嚼できない、ものすごいものに押しつぶされたような感覚。圧倒された。打ちのめされた。

領主を追われてからの直虎が尼僧姿に戻っていたのはこのためもあったんだな。尼姿の直虎が槍で政次を突き刺すという構図の、あの絶望的な残酷さ、そしてそれなのに漂うあの壮絶な美しさ。殺生からもっとも遠いところにいるべき僧侶が、自ら家臣に対して呪詛を吐き、命を奪うということの罪深さ。あの「地獄へ落ちろ、小野但馬」という言葉の裏の、自らも共に地獄に落ちる覚悟が切なくも甘い。そう、甘いんだよ。あんなに苦しく切なく救いの無い場面だったのに、画面から放たれる強烈な甘美さ。放映された後ラブシーンだって言われてたらしいけど、やっぱりそうだよな。みんなそう感じるよな。女主人公が、自らの片翼である存在に対して呪詛を吐き突き刺して殺す迫真のシーンに、その裏の強い信頼と絆と愛情を感じずにはいられないんだよな。すごいよな。ドラマってこういうものを言うんだよな。やっぱり大河って面白いな。ってただただひれ伏すしかない。

隠し里での政次となつさんとのひとときがねぇ…政次の本当の素顔を垣間見てしまったような、なんともむず痒くも愛おしいシーンだった。こうやって見てるとよくわかった。おとわの前では、鶴は常に自らを律して張り詰めていなければならなかったんだな~。それは直虎を前にした政次になっても同じことで、もちろん政次が自ら望んでそうなっていたのだろうけど、それでもやっぱり常に張り詰めてるってツラいよな~。政次の運命の相手は間違いなく直虎しかいないのだけど、本当に素の、ただの一人の男としての政次は、きっとなつさんとのこういう小さな日常が似合う、ささやかで慎ましい男だったんだな~っていうのがしみじみとわかってしまってツラかった。「今だけは」って言うなつさんに「はい」って言った時の高橋一生さんの声色な!あの演技な!それまでと異質の、切り取られたような、二度とは訪れない幸せ空間。この壮絶な回にこのささやかな幸せをぶっ込んでくる脚本の鬼畜さな~ホントによくやるよな~大好きだ!

今回、作中で南渓和尚が直虎と政次を評して「お互いの片翼」って言ったのがね、すごい効いてた。何度も言うけど比翼の鳥、連理の枝である相手を「呪詛を吐いて刺し殺す」という行為の破壊力ハンパねぇ。これねー、二人の間にあるのが男女の愛じゃないからこそ自分はここまで感情を揺さぶられたんだと思うんだよな。根底に男女の愛がある「かもしれない」けど、絶対にそこには到達しないと無意識のうちにお互い決めている(でも確認はし合わない)二人が、最後まで憎しみあっているという演技をしながら、その観衆の面前で地獄での邂逅を約束してるシーンなんだよね。すごくないかこれ?こういうのにラブシーンて言葉をあまり使いたくないんだけど、それでもやっぱりラブシーンとしか言いようのない己の語彙の無さ、感性の鈍さが歯がゆい。でもこのシーンの衝撃を絶対私は忘れないと思う。本当にすごかった。

柴咲コウさんと高橋一生さんの演技、本当に素晴らしかったよ~。迫真にせまる直虎の「小野を憎んでいる演技」は、政次がほんの微かに唇を揺らすだけできちんと伝わったとわかるんだよな。その後の政次の恨み節で答え合わせできるんだけど、あの表情の演技だけでも完結するのが本当に素晴らしかった。直虎が槍で刺した後の政次の表情がね~。政次にとっては、直虎は何よりも守りたい「井伊そのもの」であって、清らかに気高くあって欲しい信仰の対象のようなものだったはずで、汚れを全部引き受けて自分だけ地獄に行こうとしてたのに、その直虎が「政次を殺すこと」で業を背負って共に地獄へ行くって宣言したってことなわけで。そんなことは望んでいなかったはずなのに、予想のはるか斜め上を行く直虎に「さすが俺のおとわ」って思ったんだろうな~って感じる表情だった。何はともあれ、政次は誰よりも幸せ者、果報者だったと思うわ。自分の死が愛するものの礎となると確信して死ねるんだもんなぁ。ここまで物語を牽引してきた政次(高橋一生さん)の花道に相応しい、芸術的な最期だった。はぁ~ありがとうございました。なんか良くわからんけど、全てに感謝するしかない。

その他。家康について。なんとなく三人衆のうさんくささを感じつつも、己の力不足もあって直虎に肩入れする余裕もなく、「井伊家復興」の約束を果たすことも出来ずに土下座したままジリジリ下がっていく家康の姿だけが癒しだった。近藤殿の描き方も良かったな~。直虎たちにとっては憎むべき敵なんだけど、これまで直虎がしてきたことが積もり積もって今回のことが起こってしまったのがよくわかる。近藤殿は憎しみだけで行動してるんじゃないんだよね。憎しみが根底にあったけど、今回のような好都合な機会が巡ってこなければ、きっと近藤殿は小競り合いだけする国衆相手で済んだだろう。でも、こういう時代にぶつかってしまった。そして、こういう時代にぶつかってしまったとしても、過去の(材木盗賊の件とかもろもろの)件がなければ、他の三人衆のように共に徳川にくだるだけで済んだだろう。両方の悪い目が揃ったからこそのこの悲劇だけど、一つは直虎の自業自得って言うのがね~。容赦のない描き方。しんどい。

見終わって、この疲労感なんだっけ、久しぶりだなって思ったんだけど、わかった。清盛見た後の疲労感だ。すっごいパワーでぐいぐいせまってきて、目をそらすことを許さないあの感じ。全てを言語化できない、言葉に詰まるあの感じ。しんどいしんどい言うしかないあの感じ。今回の演出の人が清盛の「叔父を斬る」の回の演出の人だったと聞いて、「…あ~…あ~どうりで…」って思ったんだよな。また清盛見たくなった。

 

おんな城主直虎 第32回「復活の火」

いよいよ目の前に戦の火が燃え上がり始める今回。各陣営が戦支度に勤しみ、各々の思惑で裏切ったり裏切られたりする。政次のザンバラ髪(っていうの?)姿が麗しすぎてヘンな声出そうになった。月代似合う~って思ってたけど、それ以上にザンバラ髪似合う~!そしてまさか関口君が裏切ると思ってなかったからびっくりした!寿桂尼様が井伊家にバッテンしたのを見て「さすが寿桂尼様」って思ったけど、関口君の離反までは見抜けなかったか…あるいは寿桂尼様亡き後の氏真の小者っぷりを見限ってしまったのかもしれない。前回の関口君の微妙な表情はコレだったか…。今後まだ井伊と絡みがあるのかな?

直虎と家康というトップ同士では上手く話がまとまりかけてたのに、ここに出てくる井伊谷三人衆(の中の近藤殿!!)の不穏な動き。コレがさぁ…これまで龍雲丸の件に絡めて、直虎が近藤殿を煽りまくった結果の報いにもなってるのがツラい…だって確かにあの時私も直虎に対して「どう考えても政次の言い分の方が正しいでしょ、直虎らしいけどさ」って思ったもんなぁ。今川に対しては最大限の警戒をしてたけど、多分その目付である三人衆には直虎自身軽く見てる節あったもんなぁ。積もりに積もった積年のそういうモヤモヤが、近藤殿の逆恨み?というか不満爆発?を誘発したのも仕方ないと思えるからこそツラい。直虎の直虎らしさを、政次も領民も商人もみんな慕っている。だからこそ、あの時の近藤殿に対するツケを今ここで払うしかない。ツラい。

家康も一度直虎の策に乗ると決めたら、小粒な三人衆なんかの言葉に動かされるなよ~と思いつつ、でもそれでこそ家康~って思うからやっぱりこれまで積み上げてきた人物描写がすごいんだよな。この時代、直接顔を合わせて相手の真意を推し量るなんて出来る相手は限られただろうし、だからこそ調略担当の手腕が重要だったんだろうし、家康が「但馬守っていうのはそんなに奸臣なの?」って聞いたりするの、井伊が以下に小さくてちっぽけな存在であるかの証でもあって、あぁ~!ってジリジリする。

そしていよいよ戦になるという段階になって、家臣の前で「小野はこれより井伊を再興する」って宣言する政次の口調がカッコよかった!でもその後に「これまで騙していてすまない」って言ったのに「知ってましたよ」って言われたの恥ずかしすぎない?渾身の演技見透かされすぎじゃない?いいの?小野政次それでいいの??いや、一応事前に「虎松の首のすげ替えは家臣も知ってるけど、井伊家を乗っ取るためだと思ってる…と思う」って可愛く言ってたから、政次も内心「バレてるかもな」って思ってたんだとは思うけどさ~。こういうお茶目に見せかけて悶絶案件なとこも森下さんだよなぁって思った。

政次と直虎。
コトが起こってから一度も相手の思惑をきちんと確認できていなかった二人が、久しぶりに囲碁を囲む。お互い口調を変えて楽しんでるの可愛いなオイ!この時の、政次が直虎を主君として最大限認める言葉がね~。これまでそう思ってくれているとは信じていても、実際に言葉として「お前を殿として最大限仕える」と言われることのなんと嬉しいことか。しかし人目をせっかく忍んでいるのに、月明かりの下で囲碁指すのはいいのか、政次よ。そして「戦いが終わったら日の光の下で囲碁が出来るな」ってそれ壮絶なフラグじゃないですかヤダ…。

直虎が井戸で過去の井伊家を支えてきた人々に丁寧に御神酒を献上するシーン。小野和泉守が!!我らが吹越満が!!ここで直虎に感謝の献杯を受けるとは!!もうずっと言い続けてるけど、不憫不憫と言われ続けながらも見事に報われてる政次よりも、息子にすら最後まで理解されなかった小野政直という存在の方が断然不憫だから!小野和泉守のことを思うと切なくて切なくて…それがこうやって「あの」直虎に献杯されているの本当に嬉しかったし、もしかしたら今回の中で一番感動したかもしれない。私どれだけ小野政直に入れ込んでたんだって話だよ…。

政次となつさん。
「この戦いが終わったら結婚しよう」ってそんなお手本みたいなフラグ何本も立てなくても!というわけでついになつさんに求婚した政次。フラグとして考えると全然良くないんだけど、とりあえずなつさんという存在の大事さをちゃんと政次が理解して認識しているということが明確になっただけでも良かったわー。これで「ずっとおとわに恋い焦がれていた」って結論にされたら胸焼けするところだったので、こういうさじ加減がほんと安定安心の森下さんて感じだった。政次の直虎への想いが本心でどうなのかはわからないけど、少なくとも政次が今、個人として一番手放したくないというのはなつさんっていうのはすごく納得できた。

政次が直虎を(恋情とは違うかもしれないけどある一定の強い感情で)想いつつ、それでもなつを「手放したくない」って言うのが、政次の人間らしいワガママっぽくて可愛かった。一歩間違うと直親のスケコマシ案件になりそうなところ(当然脚本家はそれを意識してると思う)、実際に政次があの場慣れしてない感じで言うと「幸せにおなり~;;」って思えるの不思議。これはねぇ、直親のあのどこか歪んだスケコマシっぷりを見ているからこそだと思うんだよ。三浦春馬本当に素晴らしい演技だった(今さら?)…。あと「手放したくない」ってことは、なつのことは既に自分のものであるって思ってた証でもあるわけで、なんというかエロス~って感じだし、そういう相手に改めて「側にいてくれ」って伝える展開が胸熱だった~。直虎に対しては信仰に似た気持ちがあり、なつに対しては女を求めてるんだろうなって。女じゃ下世話過ぎるなら、家族?そういう地に足着いた感情に向き合うという展開が本当に好きだ~素晴らしい~!

今週の之の字。
政次の元で力になってやって欲しいという直虎の依頼に対して「寝首をかけば良いので?」って偽悪的に答えるのホント之の字。それに対して「本当にそうした方がいいと思うなら」って真面目に返す直虎に、政次と直之に対する二人への信頼をしみじみと感じた。これはまたフラグですよ…最後に政次の思いを受け止めて井伊に持ち帰るのが之の字だったりしちゃうんですよ…政次の「オレはこの時のために生まれてきた」って言葉を託すのが之の字だったらどうしよう…死ぬ…死んでしまう…(萌えで)その後に「なつにすまぬと伝えてくれ」って展開だったらもう…もう…(のたうち回る)(ただの妄想)


・今日も昊天さん(と傑山さん)が一瞬でてきて嬉しかった!
・雑巾がけ虎松&六左かわいいぞ~